津島神社
 規模の雄大さ、端正な造作、派手過ぎず気品あふれる彩色。蕃塀のことを語る上で、この蕃塀を欠かすことはできない。

津島市津島神社の「蕃塀」



 「みちくさ学会」と銘打つ以上、記事にする話題は日常空間の中でふっと見ることができるモノが対象となるべきだろうと思う。だから、これまではありふれた雰囲気を持つ神社を取り上げてきた。しかし、蕃塀の説明をする上で、どうしても語らなければならない大社がある。そこを参拝することがメインとなってしまうような著名な神社の蕃塀を、今回から3回にわたって取り上げて、蕃塀の歴史を考えてみよう。

み007-2津島神社

 愛知県津島市にある津島神社は、その昔は津島牛頭天王(ごずてんのう)社と呼ばれた古社である。全国に約3000もの分社を持つ大社でもある。毎年夏に華やかな津島天王祭が行われ、大勢の人々が参拝に訪れてくる。

 この津島神社の蕃塀は木造の連子窓型蕃塀である。正面から見た時の横幅は、全ての連子窓型蕃塀の中で最大規模であり、屋根も桧皮葺きで風格がある。柱類は朱色に、羽目板類は白色に、連子窓は緑色に、肘木などの先端は金色に彩色され、美しい。

み007-3津島神社

 津島神社は、正面から南門、蕃塀、拝殿、廻廊、祭文殿、釣殿、本殿という建物群からなり、こうした社殿構成は「尾張造(おわりづくり)」と呼ばれる。これらの建造物は貴重な文化財として評価され、本殿と楼門は国重要文化財に指定されている。拝殿などの多くの建物も愛知県指定文化財となり、本蕃塀は木造蕃塀の中では、唯一の県指定文化財である。

 木造蕃塀の製作年代は不詳な場合が多いが、さまざまな記録からみて津島神社の蕃塀は文政8年(1825)に建造された可能性が高い。少なくとも宝暦2年(1752)に編纂された『張州府志』の津島神社を描いた図に蕃塀が存在していないので、そこまでは遡らないだろう。

 では、木造連子窓型蕃塀そのものはどこまで古くまで遡りうるのだろうか。記録の上では、尾張一之宮に相当する「真清田(ますみだ)神社」の蕃塀が最古で、承応2年(1653)に補修された『真清田神社古絵図』に描かれている。現在この蕃塀は戦災のため焼失し残っていない。現存するものとしては、尾張国総社に相当する「尾張大国霊(おわりおおくにたま)神社」の蕃塀は正徳3年(1714)に記された「中島郡国府宮社内并社家屋敷図」に描かれており、そこまで遡ること可能性が高い。尾張大国霊神社の蕃塀は横幅が3番目に大きく、桧皮葺きで、全体の見た目が重厚である。

み007-4大国霊神社

 私の全く勝手な印象なのだが、尾張大国霊神社の蕃塀を「キング・オブ・蕃塀」とするならば、津島神社の蕃塀は「クイーン・オブ・蕃塀」と呼べるかもしれないと感じている。




  • 蕃塀マニア

  • 蕃塀マニア

  • 愛知県出身。某団体職員。2006年に愛知県豊橋市所在の石巻神社の蕃塀を見て、それが「蕃塀(ばんぺい)」という名前のものであることを知り、それから蕃塀の調査を開始した。