今回は、「精進落とし」で賑わった遊里跡を散歩します。
「精進」とは、一心に仏道修行することを言いますが、そのためには、「不許葷辛酒肉入山門(葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず)」と言われるように、修行する者は、精力のつく野菜(五葷)、酒、肉については、欲情を刺激して身体がケガレるという理由で食べることが許されませんでした。
同じように、修行の妨げになる(ケガレる)として、社寺や霊場への女性の立ち入りを禁じる慣習も生まれ、これは「女人禁制(にょにんきんせい)」と呼ばれました。「女人禁制」の身近な例としては、「相撲の土俵に、女性は上がってはならない。」、「岸和田だんじり祭で、 女性はだんじりに乗ることはできない。」などがあります。実際、1990年の東京両国国技館での大相撲初場所千秋楽に、内閣総理大臣杯を手渡そうとした森山真弓内閣官房長官は、日本相撲協会から、土俵にあがることを拒否されました。
奈良県の大峯山(標高1719m)は、修験道(しゅげんどう)の霊場で、現在も女人禁制を守る山として知らています。山の境界は「女人結界(にょにんけっかい)」と呼ばれていて、ここから先の女性の立ち入りは禁止されています。
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大峯山の修行は大変厳しいもので、日本三大荒行のひとつである「西の覗き」は、肩に命綱をかけられ断崖絶壁の上から逆さまに下ろされた状態で合掌し、その状態でいろいろな訓戒をして、それをよく守るという約束をさせられます。「親孝行するかッ!」「奥さんを大事にするかッ!」「女遊びしないかッ!」などの質問に、必死で「ハーイ、ハーイ」と絶叫します。
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「女人禁制」は、江戸時代以降、奇妙な性風俗を生み出しました。女性を聖地から排除しておきながら、聖地で修行を終えた男性は、聖地の近くに設けられた遊廓で「精進落とし」と称して買春をしました。

大峯山の西麓に位置する洞川温泉は、修験道龍泉寺の門前町として発達し、沿道に並ぶ旅館には「精進落とし」の客を相手とする遊女などもいて夜遅くまで賑わいました。
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「精進落とし」とは、もともと「四十九日の忌明けに、それまでの酒や肉を絶った質素な食事から通常の食事に戻す。」ことを言いますが、これがいつの間にか、「性の抑圧に耐え、修行を乗り越えた後のご褒美?」というような、男性にとって都合の良い解釈がされてしまったようです。(次回へ続く)