河港水門
先日、みちくさ学会事務局の大谷さんが、京急大師線の車窓から一瞬見える水門に感動したってメールで知らせてくれました。それって川崎名物の「河港水門」じゃないですか。
言われてみれば、たしかに河港水門は電車から見えます。すっかり忘れてました。というわけで今回は京急川崎から大師線に乗ってみましょうか。大谷さん、ヒントありがとうございました。人の発見を横取りしたみたいな、ちょっとずるいような気が一瞬したのですが、それは単なる気のせいだと思います。

さて、京急川崎駅を出た電車は次の港町駅を出ると工場地帯に入りますが、その次の鈴木町駅までの間、左手にちょっと水面が見えます。その水面の奥、多摩川の堤防上の不思議な構造物が、めざす河港水門です。駅はどちらで降りても水門までは同じぐらいの距離です。堤防を越えて多摩川側まで入れますが、途中に大型車の出入りがありますので気をつけてください。
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河港水門は1928年(昭和3年)の完成なので、人間でいえばもう82歳です。あ、別に人間じゃなくても82歳か。最近は動物の年齢のことばかり考えているので、何でも人間の年齢に換算しようとするクセがついています。さて話は82年前のこと。その当時、川崎に大運河を掘る計画がありまして、この水門はその運河の多摩川への出入口として真っ先に作られたのだそうです。しかしその後、残念なことに川崎運河計画は頓挫してしまうのです。
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川崎の海からの表玄関となるはずだった河港水門は、現在の防潮水門などとは背負うものがまるで違っていたようです。その大きな期待の現われが、門柱の上にどかんと乗った不思議なモニュメント。遠くから見ると全く正体不明なオブジェですが、近くで見てもやっぱりわかりません。これ実は、当時の川崎の名産品であるモモとナシとブドウの盛り合わせなんだそうです。言われてみればそのように見えなくもない。さらにその下には川崎市のマークなども彫られています。
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実はこの水門の落成記念祝賀会がど派手なものだったらしく、当時の資料を見てぶったまげました。水門の鉄のゲートを緞帳の代わりにした舞台が作られ、「松竹キネマスタア」が来て元禄花見踊りなどを披露したらしいのです。もうため息が出そうです。今の感覚で言ったら、水門の完成祝賀会にAKB48が来るようなもんでしょう。別にAKB48には興味ないですが、ちょっと見てみたかったですね。このあたりの話は2008年にみんなで作った『ドボク・サミット』(武蔵野美術大学出版局)という本に書きましたので、ご興味のある方はぜひ。
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そこまで盛り上げておいて計画中止、っていうストーリー展開がすごいと思います。結局、水門と掘りかけの短い水路だけがさびしく残りました。しかしその100メートルもない短い水路は、その後ずっと荷揚げの場所として使われ続けたのです。おかげでご老体水門は今でも現役です。昭和の終わり頃に改修され、平成になって国の登録有形文化財に指定されました。何といっても文化財ですから今後も安泰でしょう。
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水門のまわりは何とも不思議な包み込まれるような空間です。ここだけ多摩川の堤防がぐーっと回り込んでいるのです。これはちょっと前の写真なので、今はまた雰囲気が変わっているかもしれません。気になる方はぜひ一度、訪ねてみてください。


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  • 佐藤淳一

  • Das Otterhaus

  • 1963年、宮城県生まれ。水門写真家。最近はカワウソばかり撮っている。高いところと水のそばが得意。近著は「カワウソ」(東京書籍刊)。