郷愁を誘う、こんな風景、どこかで見た記憶はないでしょうか―――。
琺瑯看板と僕
畑に建つ大きな黒壁の蔵を、満員電車の窓からいつもぼんやりと眺めていた。人生の折り返し地点を過ぎた不惑真っ最中の身、往復3時間の通勤。日々時間を消費するだけの都心に向かっていくレールに、自分の意思とは関係なく乗ってしまったようで、「かけがえのない貴重な何か」を削っているような気がしていた。 そんな頃読んだ『ホーローの旅』(泉麻人・町田忍共著 幻冬舎)という本が、中央線の車窓の風景と見事にリンクしたのだった。 読み終えてからは、いてもたってもいられない自分に気づいた。初恋のときめきに近いものを感じたことが不思議だった。ときめきが「どうしてもその場に立って、見たい」に変わっていくのに時間を要しなかった。 そして、空は蒼いというのに粉雪が舞う寒い週末、僕は実行に移す…。 (これが琺瑯看板か)…そびえるような蔵の前に立つと、手の届かない位置に、思った以上に大きな金鳥の菱形看板と、NECの丸い看板があった。その瞬間、胸がいっぱいになるような、郷愁の念が沸きあがってくるのを感じた。 心の奥底に引っかかっている、幼い頃どこかで見た懐かしい風景の、記憶の糸をたぐり寄せる遡行が始まったのだ。2005年2月、僕はこうして記念すべき、琺瑯看板を探す旅をスタートさせたのだった……。琺瑯探検に出かけよう
琺瑯看板はわが国では明治30年代後半に現れたといわれている。全盛期は昭和30年~40年代。文字通り広告文化を象徴するシロモノだった。しかし、テレビを中心とするマスメディアの発達により急速に衰退していく。また、琺瑯看板が貼られた建物や商店も都市化の波や老朽化による建替え等の理由で、日々失われているのが現状である。 琺瑯看板は鉄道沿線に貼られる大型看板(鉄道看板)や、商店等に貼られる吊り看板、張出し看板、短冊看板等に分かれる。その形状も菱形、丸型、長方形、楕円、姿…等バラェティに富む。 お宝鑑定番組が火付け役となったこともあり、また、昭和30年代ブームによるレトロ趣味マニアの増加等の理由により、近年、琺瑯看板に人気が集まっている。収集マニアによるオークションや“琺瑯狩り”と呼ばれる窃盗集団の暗躍もあり、売買の対象となってしまった。こうした渦中にある琺瑯看板は、今では自然のままに貼られたロケーションを見ることが困難である。貴重な彼らの姿を見ることができるのは、もはや時間の問題と言わざるをえない。そんな“絶滅危惧種”である琺瑯看板であるが、やみくもに探しても簡単には見つからない。しかし、ポイントを絞り要領よく探せば、まだまだ目に触れることは可能だ。琺瑯看板を探すという行為は「現代の宝探しゲーム」といってもいい。“モノを探す”という単純な行動ではあるが、そこには知的な遊び心が加わる。企業の広告戦略や古き良き時代を知るという目的もあれば、人によってはスポーツ感覚での楽しみも加わるかもしれない。 クルマで、自転車で、あるいは徒歩で、気ままな電車の旅もいいだろう。自分に合った琺瑯の旅がきっと見つかるはずだ。
- つちのこ「琺瑯看板」運営
- 琺瑯看板探険隊が行く
- 1958年名古屋生まれ。“琺瑯看板がある風景”を求めて彷徨う日々を重ねるうちに、「探検」という言葉が一番マッチすることを確信した。“ひっつきむし”をつけながら雑草を掻き分けて廃屋へ、犬に吼えられながら農家の蔵へ、迫ってくる電車の恐怖におののきながら線路脇へ、まさにこれは「探検」としか言いようがないではないか。