振り返ってみると、僕は彼女に“遭いたくて”琺瑯看板を探し始めたのかもしれない。
通学途中の、魚屋の板壁に貼られた彼女の脚線美を、ドキドキしながら横目で見ていたのは、にきびだらけの中学生のとき。
今では、
(あの角を曲がったら、ひょっとしたら…)
(あの古い土蔵の裏側に、ひょっとしたら…)
…なんて、いつも彼女との出遭いを求めて、田舎の道を歩く自分がいる。
彼女の名は、由美かおる。
おじさんたちを惑わす可憐な花であり、永遠に生き続ける琺瑯看板界の大スターだ。
僕よりずっと年上のお姉さんであるが、看板の中で微笑む姿はいつも19歳のままであり、“守ってあげたい”看板女王なのである。
福井県(2005.3撮影)
…のっけから、ストーカーまがいの表現になってしまった(汗)。
由美かおるがプリントされた「アース渦巻」は、琺瑯看板のなかでもダントツに認知度が高い。金鳥や大村崑のオロナミンCと並んで、ネグリジェ姿の生足を惜しげもなくさらした彼女の姿を思い浮かべる方は多いと思う。
今ではすっかり見かけなくなったが、ほんの数年前までは、ちょっとした田舎に行けば目にすることができた。「みちくさ学会」の読者の諸兄にも、古い民家の板壁やバス停、よろず屋の軒下などに燦然と光り輝く彼女を見た人もいるはずだ。
全国を放浪(琺瑯?)したこれまでの5年間で、46枚の彼女の看板を見つけているが、そのいずれもが郊外のロケーションだった。殺虫剤の広告らしく、田舎に絞って貼ったことは容易に想像がつくが、ビルの谷間に貼られるよりは、のどかな田舎の風景にあったほうが断然似合うと思っている。
長崎県(2006.8撮影)
スポンサーのアース製薬株式会社は、1969年の倒産で大塚グループ傘下となったもの、1973年に「ごきぶりホイホイ」の大ヒットにより3年余りで再建に成功し、殺虫剤市場のトップメーカーに成長した。ちなみに、「アース渦巻香」は1940年に発売された歴史があるブランドだ。
大塚グループの広告戦略として有名なのは、タレントを使った琺瑯看板である。
「オロナミンCドリンク」の大村崑、「オロナイン軟膏」の浪花千栄子、「ボンカレー」の松山容子、「ハイアース」が水原弘、そして、「アース渦巻」が由美かおるである。
琺瑯マニアの間では“大塚五人衆”と呼ばれ、その「顔モノ」看板は収集人気アイテムとなっており、最近ではネットオークションでも高値取引されている。
全国津々浦々に貼られた看板が売買の対象となり、“琺瑯狩り”と呼ばれる窃盗集団の暗躍もあって、絶滅の一途を辿っているのは周知の事実である。田舎の風景から彼らの姿が消えたのは、そんな理由にもよる。
一方で、“飾り看板”と呼ばれる二次利用もさかん。レトロ趣味を演出した居酒屋やイベントなど、最近では都市部での露出が多くなっているから、何とも皮肉だ。
広島県(2010.8撮影)
由美かおるの「アース渦巻」の看板は、1970年に製造されたと考えられる。これは同年のCM出演と一致していることによる。
彼女は1950年兵庫県生まれで、西野バレエ団に入団後、歌手、女優として活躍。1986年から人気時代劇『水戸黄門』にレギュラー出演し、番組の中で披露される入浴シーンは名物となっている。
アース製薬の商品では、1973年の「ごきぶりホイホイ」のCMキャラクターにも起用されており、田舎のよろず屋では、その名残りともいえる下のような販促シールを見つけた。
ガッツ石松とのツーショットは、まさに“美女と○獣”だ(失礼)。
秋田県(2008.5撮影) 静岡県(2005.6撮影)
さて、由美かおるの「アース渦巻」は、水原弘の「ハイアース」と仲良く並んで貼られていることが、あまりにも強い印象として一般化している。
タレントの顔がプリントされているだけに、遠くから見ても目立つし、並べて貼ることで、よりパフォーマンス性を高くしている。
左右、上下貼りの二通りがあるようだが、貼り方によっては、ぴったりとくっつけずに距離を置いているものもあり、貼り師さんたちの性格が現れているようで面白い。
島根県(2009.8撮影)
富山県(2008.7撮影)
ついでに、彼女とツーショットで貼られた水原弘について触れておくと、昭和33年、デビュー曲の「黒い花びら」で第1回日本レコード大賞を獲り、昭和42年には「君こそわが命」で奇跡のカムバック、そして昭和58年、巡業先の福岡で肝硬変悪化による静脈瘤破裂により、42才という若さで壮絶死を遂げた歌手である。
酒におぼれ、借金にがんじがらめになって破滅に向かって突き進んだ彼と、田舎の風景になじんで、のんびりと、看板の中で今も生き続ける彼の姿は対照的であり、何とも不思議な気持ちにさせられる。
center>静岡県(2006.4撮影)
そのツーショットも、今では急激に姿を消している。
水原のだんなが欠落して、独り身になってしまった(?)由美かおるも見かけなくなってきた。
彼女が単独でいればいるほど、田舎に咲いたホーローの花は、その存在感と輝きを更に増すことになるだろう。
※看板の消失・盗難防止のため、掲載画像の撮影場所は県名のみとしました。
今では、
(あの角を曲がったら、ひょっとしたら…)
(あの古い土蔵の裏側に、ひょっとしたら…)
…なんて、いつも彼女との出遭いを求めて、田舎の道を歩く自分がいる。
彼女の名は、由美かおる。
おじさんたちを惑わす可憐な花であり、永遠に生き続ける琺瑯看板界の大スターだ。
僕よりずっと年上のお姉さんであるが、看板の中で微笑む姿はいつも19歳のままであり、“守ってあげたい”看板女王なのである。
…のっけから、ストーカーまがいの表現になってしまった(汗)。
由美かおるがプリントされた「アース渦巻」は、琺瑯看板のなかでもダントツに認知度が高い。金鳥や大村崑のオロナミンCと並んで、ネグリジェ姿の生足を惜しげもなくさらした彼女の姿を思い浮かべる方は多いと思う。
今ではすっかり見かけなくなったが、ほんの数年前までは、ちょっとした田舎に行けば目にすることができた。「みちくさ学会」の読者の諸兄にも、古い民家の板壁やバス停、よろず屋の軒下などに燦然と光り輝く彼女を見た人もいるはずだ。
全国を放浪(琺瑯?)したこれまでの5年間で、46枚の彼女の看板を見つけているが、そのいずれもが郊外のロケーションだった。殺虫剤の広告らしく、田舎に絞って貼ったことは容易に想像がつくが、ビルの谷間に貼られるよりは、のどかな田舎の風景にあったほうが断然似合うと思っている。
アース製薬と由美かおる
スポンサーのアース製薬株式会社は、1969年の倒産で大塚グループ傘下となったもの、1973年に「ごきぶりホイホイ」の大ヒットにより3年余りで再建に成功し、殺虫剤市場のトップメーカーに成長した。ちなみに、「アース渦巻香」は1940年に発売された歴史があるブランドだ。
大塚グループの広告戦略として有名なのは、タレントを使った琺瑯看板である。
「オロナミンCドリンク」の大村崑、「オロナイン軟膏」の浪花千栄子、「ボンカレー」の松山容子、「ハイアース」が水原弘、そして、「アース渦巻」が由美かおるである。
琺瑯マニアの間では“大塚五人衆”と呼ばれ、その「顔モノ」看板は収集人気アイテムとなっており、最近ではネットオークションでも高値取引されている。
全国津々浦々に貼られた看板が売買の対象となり、“琺瑯狩り”と呼ばれる窃盗集団の暗躍もあって、絶滅の一途を辿っているのは周知の事実である。田舎の風景から彼らの姿が消えたのは、そんな理由にもよる。
一方で、“飾り看板”と呼ばれる二次利用もさかん。レトロ趣味を演出した居酒屋やイベントなど、最近では都市部での露出が多くなっているから、何とも皮肉だ。
由美かおるの「アース渦巻」の看板は、1970年に製造されたと考えられる。これは同年のCM出演と一致していることによる。
彼女は1950年兵庫県生まれで、西野バレエ団に入団後、歌手、女優として活躍。1986年から人気時代劇『水戸黄門』にレギュラー出演し、番組の中で披露される入浴シーンは名物となっている。
アース製薬の商品では、1973年の「ごきぶりホイホイ」のCMキャラクターにも起用されており、田舎のよろず屋では、その名残りともいえる下のような販促シールを見つけた。
ガッツ石松とのツーショットは、まさに“美女と○獣”だ(失礼)。
水原弘とのツーショット
さて、由美かおるの「アース渦巻」は、水原弘の「ハイアース」と仲良く並んで貼られていることが、あまりにも強い印象として一般化している。
タレントの顔がプリントされているだけに、遠くから見ても目立つし、並べて貼ることで、よりパフォーマンス性を高くしている。
左右、上下貼りの二通りがあるようだが、貼り方によっては、ぴったりとくっつけずに距離を置いているものもあり、貼り師さんたちの性格が現れているようで面白い。
ついでに、彼女とツーショットで貼られた水原弘について触れておくと、昭和33年、デビュー曲の「黒い花びら」で第1回日本レコード大賞を獲り、昭和42年には「君こそわが命」で奇跡のカムバック、そして昭和58年、巡業先の福岡で肝硬変悪化による静脈瘤破裂により、42才という若さで壮絶死を遂げた歌手である。
酒におぼれ、借金にがんじがらめになって破滅に向かって突き進んだ彼と、田舎の風景になじんで、のんびりと、看板の中で今も生き続ける彼の姿は対照的であり、何とも不思議な気持ちにさせられる。
center>静岡県(2006.4撮影)
そのツーショットも、今では急激に姿を消している。
水原のだんなが欠落して、独り身になってしまった(?)由美かおるも見かけなくなってきた。
彼女が単独でいればいるほど、田舎に咲いたホーローの花は、その存在感と輝きを更に増すことになるだろう。
※看板の消失・盗難防止のため、掲載画像の撮影場所は県名のみとしました。
- つちのこ
- 琺瑯看板探険隊が行く
- 1958年名古屋生まれ。“琺瑯看板がある風景”を求めて彷徨う日々を重ねるうちに、「探検」という言葉が一番マッチすることを確信した。“ひっつきむし”をつけながら雑草を掻き分けて廃屋へ、犬に吼えられながら農家の蔵へ、迫ってくる電車の恐怖におののきながら線路脇へ、まさにこれは「探検」としか言いようがないではないか。