実は、「蕃塀」を神道関係の辞典で引いてみると、もともとはお隣りの三重県の伊勢神宮にある独特な塀を指していると記されている。

伊勢神宮の「蕃塀」



 「みちくさ」とはちょっと言い難い蕃塀シリーズの第2弾は、全国の神社の総本山ともいうべき存在である伊勢神宮(正式名称は神宮)の蕃塀を取り上げてみたいと思う。
 そもそも「蕃塀」という言葉は、例えば臨川書店が発行した『神道大辞典』で調べてみると、「皇大神宮・豊受大神宮の東西南北の板垣御門外にあって障蔽をなす塀」を意味しているという。この皇大神宮は伊勢の神宮の内宮、豊受大神宮は同じく外宮のことをいう。その内宮と外宮の御正宮の周囲には板垣が巡り、東西南北の各面に板垣御門と呼ばれる入り口が開いている。私たち一般の参拝者は、南側の板垣御門のところで参拝できるのだが、蕃塀はその門の前に存在する塀である。つまり、辞典類では「蕃塀」は伊勢の神宮にある特別な塀を意味しているのだ。
み008伊勢神宮2

 上の写真と冒頭の写真は、皇大神宮(内宮)の御正宮の南にある蕃塀の写真である。柱が4本建てられており、その間に横板がはめ込まれた板塀である。下端には盤(地貫)、上部には樋(頭貫)が渡され、最上部に覆板(笠木)が置かれる簡素な構造である。御正宮を巡る板垣とほぼ同一の構造で、まるで板垣を切り取って外側に突き出したかのようである。これまで紹介してきた連子窓型蕃塀とは形が全く異なり、窓がなく完全に遮蔽する塀であるといえる。このような蕃塀を私は「衝立(ついたて)型蕃塀」と呼んでいる。
み008伊勢神宮3

 一般に御正宮の周縁に近づくことはできないが、南面の他にも、西面と北面の蕃塀も遠目にみることができた。おそらく辞典の通り、東面にも蕃塀はあるのだろう。上の写真は西面の蕃塀を撮影したものであるが、これを見る限り、南面の蕃塀と同じ構造に思われた。
み008伊勢神宮4

 一方、こちらの写真は、豊受大神宮(外宮)の御正宮の南にある蕃塀の写真である。皇大神宮(内宮)のそれと同じように、4本の柱の間に横板がはめ込まれた板塀の構造であり、尊厳に満ちあふれていて風格がある。豊受大神宮でも、遠目に御正宮の東・西・北面の蕃塀をみることができた。よって内宮および外宮の東西南北の4面に衝立型蕃塀があることが分かる。
 さて、伊勢の神宮の蕃塀は、記録からその歴史を少したどることが可能だ。延暦23年(804)に「蕃垣」の記述があることから、蕃塀はおおよそ8世紀までは遡りうることが分かっている。それ以降の状況は分からないが、先に紹介した『神道大辞典』では、明治2年(1869)に神道の国教化などの政策を進めるため蕃塀が再興されたという。今見える形の蕃塀が延暦年間のものと同じ形か否かは厳密には確定できないが、「再興」されたのだからきっと同じ形なのだろうと思う。
み008伊勢神宮5

 このようにみると、尾張地域に多く分布する連子窓型蕃塀よりもはるか以前に、伊勢神宮に衝立型蕃塀が存在した可能性があることとなる。辞典的には、本来の蕃塀は伊勢神宮にある衝立型蕃塀が正しい姿なのであって、連子窓型蕃塀は本来の蕃塀とは異なるものなのかもしれない。
 このあたりの謎は、次回さらに追求してみたいと思う。それまで待てない方は、蕃塀マニアにいくつか手がかりがあるので、そちらを探索されるとよいだろう。





  • 蕃塀マニア

  • 蕃塀マニア

  • 愛知県出身。某団体職員。2006年に愛知県豊橋市所在の石巻神社の蕃塀を見て、それが「蕃塀(ばんぺい)」という名前のものであることを知り、それから蕃塀の調査を開始した。