東京オリンピック開催を契機に消滅した性風俗(権田原のハッテンバ)を散歩
今回は、東京オリンピック開催を契機に消滅した性風俗(権田原のハッテン場)を散歩します。
 JR信濃町駅を下車し、外苑東通りを南へ進むと、権田原の交差点があります。いかにも古風な響きがある地名(地名の由来は江戸時代)ですが、このエリアは、かつて「権田原(ゴンダワラ)」という名のハッテン場でした。ハッテン場とは、ゲイ(男性の同性愛者)が相手を見つけたり、性行動をうながす場所のことで、その 語源は「発展」からきています。ハッテン場は大別して、公共の空間とゲイ専用有料施設の2つがあって、公共の空間は、特定の公園や公衆便所、海岸などが挙げられます。

 権田原の最盛期は、1961年から1971年までの10年間で、夜になるとどこからともなく集まってくる男たちによって、公園や公衆便所が開放的な性行動の場に変質させられました。(現代風俗研究会:現代遺跡・現代風俗91)

 1964年、東京オリンピック開催のため、周辺が道路整備事業の対象区域となると、公園に柵がめぐらされ入口が閉ざされてしまうなど、ハッテン場のエリアは次第に縮小され、男たちは公園の南側のエリアに移動しました。ところが、隣接する都営住宅の住民の騒音拒否運動の抵抗にあい、東京都公園管理事務所は、公園の夜間閉門の措置をとったため、権田原のハッテン場は消滅しました。


 原宿駅の西側に広大な敷地を持つ代々木公園があります。代々木公園は、敗戦後の1945年にアメリカ軍に接収されたワシントンハイツが、1964年に東京オリンピックの選手村となった後、1967年に都市公園として開園したものです。選手村当時、オランダの選手団宿舎として使用された建物が現在も保存されています。木立にたたずむ姿は軽井沢を思わせます。


 広大な敷地の中には、サイクリングコースがあって、公園の北部にあるサイクリングセンター(通称自転車小屋)で自転車を借りてサイクリングを楽しむことができます。ゲイ雑誌「バディ」2002年8月号によると、この自転車小屋裏付近が、ある時期、都内でも有数の野外ハッテン場でした。


 以上のように、権田原のハッテン場は、東京オリンピック開催を契機に消滅しましたが、皮肉なことに、オリンピック選手村の跡地に出来た代々木公園に新たなハッテン場が出現しました。