街歩きにおいて、地図は必須のアイテム。GPS機能を利用し地図中の現在地を確認しながらのみちくさも簡単にできるようになりました。
とくにスマートフォンの世界では、地図とGPS機能を組み合わせた、みちくさ向けのアプリが多数発表されています。
前回ご紹介した「TOKYO古地図」に続き、今回は事務局員大谷が「東京時層地図」をご紹介します。
「東京時層地図」とは
「東京時層地図」は、「地図地理検定」でもおなじみ、財団法人日本地図センターさんが開発した、明治初頭から現在までの街の変遷を知ることができるiPhone用地図アプリです。東京23区内を中心に、文明開化期、明治のおわり、関東地震直前、昭和戦前期、高度成長前夜、現代の地図を切り替えることができます。
さらに、航空写真や、高低差を立体的に表現した地形図も入っているため、様々な使い方ができるのです。
それでは、さっそくこの「東京時層地図」を使った楽しいみちくさを実践してみましょう。
「ロケタッチ」の紹介記事でも出てきた、新都心歩道橋の周りの今と昔を見比べてみます。
文明開化期の新都心歩道橋界隈
まずは現地を歩きながら現代の地図を見てみましょう。
読者の皆様にも、Googleストリートビューで今の歩道橋周辺の雰囲気を見ておいていただければと思います。
大きな地図で見る
古地図と現代の地図を見比べるとき、手がかりになるのは何と言っても寺社。
「日蓮宗常圓寺」さんの位置を頭に入れて、一気に地図を文明開化期の時代に切り替えてみます。
東京都内の寺社は、とくに1923年の関東大震災をきっかけに移転しているものも多いのですが、「常圓寺」さんはバッチリ、明治初期にも現在と同じ場所にありますね。ところが周囲は一面のお茶畑。今や高層ビル群となった西新宿も、100年ちょっと前まではこのようなのどかな風景が広がっていたのですね。
さて、お寺の南側をナナメに走るのが青梅街道です。現在の地図を見ると、青梅街道は、途中で古地図では「新都心歩道橋下」の交差点から、少し東北に向きをかえて、JR線と交差する「大ガード」へと繋がっていることがわかります。ところが、文明開化期の地図では、ほぼ真っ直ぐ道が伸びています。
次の時代を見てみる
30年ほど経った明治の終わり、今からちょうど100年ほど前の地図を見てみましょう。
驚くほど様変わりしていますね。青梅街道は依然直進しているようですが、すでに現在のルートと同じ・"新"青梅街道が切り開かれているのがわかります。
続けて、20~30年ずつ時代が下って、左から昭和初期、高度経済成長期。
整備された青梅街道を都電(路面電車)が走るようになり、新宿駅西口ロータリー北側、今の小田急ハルクのあるエリアの開発が進んで行くのがわかります。山手線と交差していた旧青梅街道も南北に開かれた道路に分断され、細い路地のようになっていきます。
そして現代へ
さあ、それでは現代の旧青梅街道を歩いてみましょう。
ここは「新都心歩道橋下」交差点。左側が現在の青梅街道。延長線上に細い道が残っていますね。
歩道橋の上から見てみましょう。今の青梅街道と比べるととても狭く、人通りも多くはありませんが、道はたしかにのこっていますね。
この道は、このまま思い出横丁とユニクロ新宿西口店の間の小路となり、JR線と交差します。
西新宿に鉄道?
気づいた方も大勢いらっしゃると思いますが、もう一度、明治後期の地図を見てみましょう。
現在の山手線新大久保駅方面から枝分かれした鉄道路線が、青梅街道を横切って、「水道浄水場」へと入っていっているのがわかります。そうです、旧淀橋浄水場の引込み線なのです。「新都心歩道橋下」交差点は、淀橋浄水場の入り口地点でもあったのですね。(前回のアプリレビュー「TOKYO古地図(iPhoneアプリ)」」で阿部が発見した浄水場入口の石碑の場所とも一致しますね。)
この引込み線、昭和初期の地図では姿を消しており、きわめて短い間だけの路線だったことがわかります。しかし、路線がなくなったあとも、線路跡は道路として残っていることも、東京時層地図に目を凝らすとわかります。
さあ、現在の鉄道跡を見てみましょう。
私自身、この道を何度となく歩いていますが、かつてここに鉄道が走っていたとは思いもよりませんで
したので、地図を見て大変驚きました。
普段よく訪れる繁華街、勤務先の意外な歴史を掘り起こすことの出来る「東京時層地図」。これだけでも大変楽しいアプリなのですが、次回は、開発に携わった方に、お勧めの使い方・開発裏話を伺います!(続く)
■関連リンク
・「東京時層地図」(※App Storeへ遷移します)
・東京時層地図|地図センター ~地図を見る・知る・買う~ - 公式サイト
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