
もうタイトルそのままですけど、今回は僕が坂道というものに興味を持つきっかけともなった坂の途中から富士山が見える場所があるというお話です。
都内には、江戸時代から「富士見坂」とよばれ続けている坂道が今でも数十箇所存在します。今のところ僕自身が足を運んだ富士見坂は22箇所あり、そのほかにも行こうと思っていけていない坂やすでに無くなってしまった坂などがまだ数カ所ほどあるようです。
ちなみに富士見坂とよばれている坂道は基本的に坂上から坂下へと歩いている途中ちょうど視線のむこうに遠景として富士山が見えたことから名付けられた坂道で、たいていはその方向が西向きになっています。ただ例外的に南向きの坂道もあるそうですが、どちらにしても現存する富士見坂で今も富士山が見える坂道はおそらく1、2箇所くらいだと思われます。
そんなわけでこれら全部を紹介してしまうのも手なのですけど(笑、そのうちそういうこともしてみたいですけどね)、とりあえず今回はそのなかのいくつか気になる坂道を紹介してみたいと思います。
まずひとつめは散歩がてらふらりとたちよれる場所でもある渋谷駅のすぐ東側に「宮益坂」という名の坂道があります。ここは知っているかたも多いかもしれませんけど、かつては富士見坂ともよばれていた坂道で、江戸時代から存在する坂道です。ただ現在はまわりにビルが建ちならんでしまったため富士山をみることはできなくなり、宮益坂という名のほうが浸透していったと思われます。
坂自体を楽しんだり、坂の途中にある神社にお参りしたり、食事をしたり、買い物したり・・・、といろいろとたのしむことのできる繁華街坂道ですかね。
次に富士見坂という名はどこにもついていないけれど、昔から富士山がみえた場所というものもあって、その代表格が目黒の「行人坂」とよばれる坂道です。
こちらは目黒駅のすぐ西側にあり、富士見坂と名のついていない坂で富士山がかつて見えた場所としては有名な場所らしく、僕自身プライベートで何度か通ったことはある坂道のわりにきちんと写真ではおさめていなかったので、よくよく調べてみると広重さんが「江戸名所百景」の「目黒爺々が茶屋」というタイトルで、この近くの風景を描いていました。

この絵(浮世絵)の手前の坂道は茶屋坂とよばれる坂らしく(ということはここもかくれ富士見坂ですかね・・・)、行人坂のすぐ近くに今も現存しています。あと右下にみえている茶屋(おそらくですけど)は江戸時代、富士山が眺望できることから将軍が鷹狩でやってきた時によく立ち寄った場所でもあったみたいです。なので今の坂道の風景と見比べてみるのもなかなか楽しいかもしれませんね。
そして今回はちょっと長くなりますけど、最後にJR目白駅から徒歩でなんとか行ける豊島区高田と文京区目白台の境界あたりにある「富士見坂」をあげてみたいと思います。

こちらは僕のお気に入りの富士見坂のひとつで、写真は坂上からすこし下ったあたりの風景なのですけど、なんとこの坂道はここからふたつの坂道に分岐していて、右側が「富士見坂」、左側の細い階段坂道が「日無坂」とよばれています。そしてこの坂道の雰囲気を特徴づけているのがそのちょうど間にある民家と風情のある塀ですかね。もちろん今は新宿のビル群のために見えなくなった富士山に思いをはせるというのもありです(ちなみに上の写真は2002年11月に撮影したものですので今より弱冠遠景のビルの数も少ないかもです)。

最後の最後におまけの1枚です(4枚目の写真です)。。
これは同じく高田の富士見坂の坂上からの風景で、3枚目の写真よりも坂上の場所から撮ったものです。こうしてみると3枚目の写真の場所がいかにわざとらしくベストポイント選んでいて(笑)、しかもこの坂道がかなりの高低差があるというのもわかりやすいんじゃないですかね。
ということで、この富士見坂については元々昔からあった坂道からたまたま富士山が見えたからそう名付けられただけであって富士山をみるためにつくられた坂道ではない(と思いますけど・・・)はずなので、みちくさしたときは、富士山におもいをはせながら自分なりのベストポイントをぐるぐる歩きながら探すというのもまたおもしろいかもしれませんよ。
ちなみに富士見坂とよばれている坂道は基本的に坂上から坂下へと歩いている途中ちょうど視線のむこうに遠景として富士山が見えたことから名付けられた坂道で、たいていはその方向が西向きになっています。ただ例外的に南向きの坂道もあるそうですが、どちらにしても現存する富士見坂で今も富士山が見える坂道はおそらく1、2箇所くらいだと思われます。
そんなわけでこれら全部を紹介してしまうのも手なのですけど(笑、そのうちそういうこともしてみたいですけどね)、とりあえず今回はそのなかのいくつか気になる坂道を紹介してみたいと思います。
まずひとつめは散歩がてらふらりとたちよれる場所でもある渋谷駅のすぐ東側に「宮益坂」という名の坂道があります。ここは知っているかたも多いかもしれませんけど、かつては富士見坂ともよばれていた坂道で、江戸時代から存在する坂道です。ただ現在はまわりにビルが建ちならんでしまったため富士山をみることはできなくなり、宮益坂という名のほうが浸透していったと思われます。
坂自体を楽しんだり、坂の途中にある神社にお参りしたり、食事をしたり、買い物したり・・・、といろいろとたのしむことのできる繁華街坂道ですかね。
次に富士見坂という名はどこにもついていないけれど、昔から富士山がみえた場所というものもあって、その代表格が目黒の「行人坂」とよばれる坂道です。
こちらは目黒駅のすぐ西側にあり、富士見坂と名のついていない坂で富士山がかつて見えた場所としては有名な場所らしく、僕自身プライベートで何度か通ったことはある坂道のわりにきちんと写真ではおさめていなかったので、よくよく調べてみると広重さんが「江戸名所百景」の「目黒爺々が茶屋」というタイトルで、この近くの風景を描いていました。

この絵(浮世絵)の手前の坂道は茶屋坂とよばれる坂らしく(ということはここもかくれ富士見坂ですかね・・・)、行人坂のすぐ近くに今も現存しています。あと右下にみえている茶屋(おそらくですけど)は江戸時代、富士山が眺望できることから将軍が鷹狩でやってきた時によく立ち寄った場所でもあったみたいです。なので今の坂道の風景と見比べてみるのもなかなか楽しいかもしれませんね。
そして今回はちょっと長くなりますけど、最後にJR目白駅から徒歩でなんとか行ける豊島区高田と文京区目白台の境界あたりにある「富士見坂」をあげてみたいと思います。

こちらは僕のお気に入りの富士見坂のひとつで、写真は坂上からすこし下ったあたりの風景なのですけど、なんとこの坂道はここからふたつの坂道に分岐していて、右側が「富士見坂」、左側の細い階段坂道が「日無坂」とよばれています。そしてこの坂道の雰囲気を特徴づけているのがそのちょうど間にある民家と風情のある塀ですかね。もちろん今は新宿のビル群のために見えなくなった富士山に思いをはせるというのもありです(ちなみに上の写真は2002年11月に撮影したものですので今より弱冠遠景のビルの数も少ないかもです)。

最後の最後におまけの1枚です(4枚目の写真です)。。
これは同じく高田の富士見坂の坂上からの風景で、3枚目の写真よりも坂上の場所から撮ったものです。こうしてみると3枚目の写真の場所がいかにわざとらしくベストポイント選んでいて(笑)、しかもこの坂道がかなりの高低差があるというのもわかりやすいんじゃないですかね。
ということで、この富士見坂については元々昔からあった坂道からたまたま富士山が見えたからそう名付けられただけであって富士山をみるためにつくられた坂道ではない(と思いますけど・・・)はずなので、みちくさしたときは、富士山におもいをはせながら自分なりのベストポイントをぐるぐる歩きながら探すというのもまたおもしろいかもしれませんよ。