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 数ある都区内のバス路線のうち、車窓風景の面白さという点でお勧めなのが、王子駅と北千住駅を結ぶ都営バスの路線です。
荒川右岸の土手上を走る区間が延々と続き、並行する隅田川が場所によっては荒川にくっつきそうなほど近接するため、両河川を左右に見下ろすダイナミックな車窓風景が随所で楽しめます。

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 土手上を走るという性質上、バス停も宮城土手上、小台土手上、桜木土手上といった名称が続きますが、桜木土手上からひとつ北千住寄りに、今回ご紹介する「新渡し」バス停があります。

このバス停、どう見ても地名ではなく施設名でもなく、新渡しとはいったい何なのかと戸惑いますが、これはかつて隅田川を往来していた渡船の名であり、明治期から昭和初年頃にかけて、町屋から西新井方面への便として活躍した渡船が、新渡しと呼ばれていました。ここからやや下流側に、既にお竹の渡しと呼ばれた渡船があり、それより後に設けられたことから「新」の命名となったようです。近くの尾竹橋の架橋が昭和9年であり、役目を終えた渡船はその後間もなく廃止されたと思われますが、それからおよそ70年以上を経た現在でも、バス停に新渡しの名が残されているというのは、実に驚くべきことではないでしょうか。渡船の記憶がこうした形で後世に伝えられているというのも、事例としては珍しいでしょう。


 バスを降りると、そこには信号機とバス停の他、何もありません。バス停前に土手上へ上る階段があり、すぐに荒川右岸の広々とした眺望が待ち構えています。上流の扇大橋越しに、遠く秩父の山々までを見渡せば、爽快な開放感から、思わず深呼吸でもせずにはいられなくなるほどの心地よさが味わえます。

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 一方、バス停の反対側には、土手下へ降りる階段があり、その先の団地の中を抜けるとすぐに隅田川ですが、こちらは高いコンクリート護岸で視界が遮られ、川の姿を見ることはできません。渡船の痕跡は当然ながら皆無であり、無表情な護岸からは、渡船場の跡地を見分けることすら叶わないのが実情です。

 隅田川沿いを下流方向に歩くと、すぐに尾竹橋です。この橋の名は、前述のお竹の渡しに因むもので、そもそもは渡船場の近くに茶屋があったことからお茶屋の渡しとも呼ばれ、お竹はその茶屋の娘の名だったと伝えられます。

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尾竹橋上で、ようやく隅田川の川面を見ることができますが、やはり渡船場の痕跡を見出すことはできません。その代わり、橋を越えて足立区から荒川区に入り、隅田川南岸に沿った住宅街を歩いていると、新渡しについて簡単に触れた小さな説明板を見つけることができます。それによれば、荒川区側の渡船場は現在の町屋5、6丁目の境界付近にあったとのこと。とすれば、対岸の足立区側は、バス停から100メートルほど上流が、新渡しの渡船場跡になると思われます。