旧葛西橋
亀戸駅から明治通りを南下し、境川交差点から清洲橋通りを東へ進むと、荒川右岸の土手に突き当たる少し手前に、今回ご紹介する都営バスの「旧葛西橋」バス停があります。
施設や建造物の名に「旧」をかぶせたバス停名は珍しく、都内では他に事例を知りませんが、いかにも都営のバス停らしい生真面目さがあり、私の好きなバス停名のひとつです。
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葛西橋は、荒川に架かる橋で、現在は深川からの葛西橋通りの延長にあり、その先は江戸川区を横断して浦安へと通じていますが、もともと昭和3年に架橋された木橋の葛西橋は、現在よりやや上流の清洲橋通りの延長にあり、同39年の改架の際に現在の位置に移されました。バス停に「旧」が付くのはそのためで、バスを降りて荒川を目指して歩いていくと、清洲橋通りが東砂6丁目交差点の先で土手に突きあたる場所が、かつての葛西橋跡地ということになります。ここには現在も釣り船屋などが集中し、旧橋時代の賑わいの一端を偲ばせています。
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私の好きな永井荷風の随筆に、『放水路』(昭和11年発表)という作品がありますが、ここに荒川の土手をひたすら下り、旧葛西橋へ辿り着いた荷風の姿を見ることができます。

「一歩一歩夜の進み来るにもかかわらず、堤の上を歩みつづけた。そして遥か河下の彼方に、葛西橋の燈影のちらつくのを認めて、更にまた歩みつづけた」

「わたくしは橋の欄干に身を倚せ、見えぬながらも水の流れを見ようとした時、風というよりも頬に触れる空気の動揺と、磯臭い匂と、また前方には一点の燈影も見えない事、それらによって、陸地は近くに尽きて海になっているらしい事を感じたのである」

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まだ南砂一帯の埋め立てが進む前の記述であり、旧葛西橋が海に面した河口の橋であったことが窺えます。

「あたり全く暗くなりし時かの橋の袂に辿りつきぬ、欄干の電燈をたよりに老眼鏡をかけて見るに、葛西橋の三字をよみ得たり、堤防は猶尽きざれど海に達することさして遠くはあらざるべし、(中略)葛西橋の上より放水路の海に入るあたりを遠望したる両岸の風景は、荒凉寂寞として、黙想沈思するによし、橋上に立ちて暮烟蒼茫たる空のはづれに小名木川辺の瓦斯タンク塔の如く、工場の烟突遠く乱立するさまを望めば、亦一種悲壮の思あり」

これは荷風の日記『断腸亭日乗』昭和6年12月2日の記述ですが、当時は旧葛西橋からおよそ500メートル下流、現在の清砂大橋と地下鉄東西線の鉄橋の位置が海岸線となっていました。現在も葛西橋から下流方向を見渡せば、前方の橋が東京湾への視界を遮るものの、荒涼とした雰囲気だけはある程度味わえるでしょう。但し、葛西橋通りの交通量は激しく、「黙想沈思するによし」というわけにはいきそうにありません。それよりも、旧葛西橋付近の土手に寝転ぶほうが、よほど気持ちがよさそうです。
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帰りがけ、清洲橋通りを歩いていると、公園の公衆トイレの目隠し壁に、都電のイラストが描かれているのを見つけました。昭和47年まで、葛西橋までの清洲橋通りを走っていた29系統の電車です。こんな発見も、「みちくさ」の大きな醍醐味ですね。