シルバーメタリックに輝く名古屋市港区正徳5丁目にある神明社の蕃塀は、きわめて現代的な雰囲気がにじみ出ている。

正徳5丁目神明社の「蕃塀」

 木造でも石造でもないこの金属塀は、一見すると民家の一部かと勘違いしそうなものである。しかし、塀の裏側を見れば(下の写真)、ちゃんと石垣の上に本殿が鎮座していて、間違いなくこの神社の蕃塀であることが分かる。ただ、銀色に光るその姿は、神社の施設らしくない印象を持ってしまう。では、なぜこのような“ある意味”斬新な形になったのであろうか。


 そこで、まずは前回までの記事のおさらいをしておこう。神道の各辞典では、「蕃塀」は伊勢神宮の御正宮の前後左右にある木造の衝立のような塀を指していた。一方で、愛知県尾張地域に点在する「蕃塀」と称したものは、連子窓という窓を持つ塀で、もともとは「不浄除け」とか「透垣」などと呼ばれていたらしい。ところが、明治26年(1893)に愛知県にある熱田神宮で、伊勢神宮と同様な木造の衝立型蕃塀ができたことにより、「蕃塀」と「透垣」または「不浄除け」が“ごっちゃ”になって、今ある状況が生まれた、と蕃塀マニアは考えている。これを少し分かりやすく図解したのが下図である。




 さて、熱田神宮に伊勢神宮と同じ「蕃塀」ができたことによる影響は、単に呼び方が変わっただけではなく、形をそのまま真似したものができるという事態も引き起こした。江南市伊賀賀原神社の蕃塀(左写真)のように石造で衝立型にしたものや、名古屋市熱田区千年八幡社の蕃塀(右写真)のようにコンクリート造で衝立型にしたものができたのだ。このような蕃塀は今のところ全部で14例が確認されている。そして、これらは全て木造ではないところが“みそ”なのだろう。



 神社界最高峰の伊勢神宮とそれに準ずる熱田神宮は、まさに別格な存在である。おそらく、14例の衝立型蕃塀はその格式に畏れ(おそれ)を抱き遠慮して、形は似せたけれども木造ではなく材質を変えて建造されたものではないだろうか。その究極の形が、正徳5丁目神明社の金属製蕃塀なのだと考えている。そして、現代の住宅街に不思議と溶け込んだ存在となっているのだろう。



(蛇足) 少し前の、本みちくさ学会12月31日の記事「2010年ヒット記事ダイジェスト(前編)」にて、「蕃塀(ばんぺい)」カテゴリは読みの難しい漢字がならぶみちくさ学会においても群を抜いて難解、と言われてしまった。が、全くその通りだと思う。しかし、難しいのは漢字だけではなく、中身もそうなのかもしれない。講師陣あてに秘密裏に送信されるページビューランキング(抜粋)に「蕃塀」カテゴリが一度も名前が載らないのは、その証拠と勝手にひがんでいる。

 そこで、新年を迎えるにあたって難解な理由を少し考えてみた。まず、そもそも尾張地方以外の方にはなじみが無い施設であることが、難解な印象を与える大きな理由だろう。近くに無ければ関心が湧くわけがない。それにも増して問題なのは、文章が奥歯に何か挟まったような遠回り的な言い方になっていることだろう。でも、これは蕃塀マニアとしては如何ともし難い。なぜなら蕃塀マニアも蕃塀のことがよく分かっていないからだ。分からないから断定できないし、うまく説明もできない。断定しなくても蕃塀マニアの考えがいつの間にか定説化してしまうネット環境では、些細なこだわりはほぼ無意味なのだが、それでも「歯切れの悪さ」にはこだわっていきたいと思う。というわけで、蕃塀マニアの記事はいつも「本当か?」と疑って読んでくださいね。





  • 蕃塀マニア

  • 蕃塀マニア

  • 愛知県出身。某団体職員。2006年に愛知県豊橋市所在の石巻神社の蕃塀を見て、それが「蕃塀(ばんぺい)」という名前のものであることを知り、それから蕃塀の調査を開始した。