今回の「岡の下川水門」は、車窓から見える保証はありません。
と言いますか、広島電鉄宮島線の電車から遠望できるほどの距離にある水門なのですが、残念ながら建て込んだ街並みに隠れてしまうみたいなんです。訪ねたときは、車窓から見えるかどうかなど考えてもみなかったので、本当はどうなのか、もういちど広島に確認に行きたいところです。
さて、水門には必ず橋が付随しています。業界用語で管理橋と呼ばれる、文字通り水門の管理のためのものですが、一般に開放されてふつうに通行できることも多いのです。ところで今回の水門の管理橋はちょっと変わっています。どこが変わっているのか、わかりますか?
答え。中央部がぐっと高くなっているのです。つまりこんなふうに橋が坂道になってしまってます。どうしてわざわざ平地に坂道を作るような構造になっているのでしょう。それは、3枚のゲートのうち、中央部だけは船を通せるよう、水面からの高さをかせいでいるのです。本来なら管理橋全体をもっと高く設置するところですが、堤防の高さが低いので無理っぽい。でもどうしても船は通す必要があった・・・どうやらそんな事情が産み出した構造のようです。
1980年代の水門は、70年代のものに比べてちょっと装飾的になる傾向があります。単なるコンクリートの四角い構造物というのでなく、機器室の角を丸めたり、壁面を一部塗装してアクセントをつけたりするようになるのですが、その典型例みたいなスタイリングですね。ゲートメーカーは地元広島の水門の名門、豊国工業です。
はい。中央ゲートにはちゃんと「航路」って書いてありました。今は潮が引いているので思いっきり川底が露出してしまってますが、ここを通る船があるという動かぬ証拠です。この表示を無視して両側のゲートを通ると、ゲートの下はかわせても、管理橋の桁にぶつかる可能性があるわけです。もっとも両側のゲートの下は川底が浅いようで、わざわざ通る船などいないとは思いますが。
機器室に上がるためのらせん階段が水門の表側に設置されているのも、考えてみると珍しいかもしれません。普通は裏側(橋のある側)に設置します。橋と階段が別の側にあると、柱(堰柱といいます)に通路を設ける必要があるためです。実際この水門も、堰柱に通路用の貫通穴が開けられています。
あたりはもうだいぶ暗くなってきましたが、瀬戸内海を背にして川底まで降りてみました。ほんとにここに船が通るのか、ちょっと信じられないような浅い川ですね。両岸は住宅地で、あちこちから夕飯の匂いがただよって来るような、春のたそがれ時の撮影でした。
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さて、水門には必ず橋が付随しています。業界用語で管理橋と呼ばれる、文字通り水門の管理のためのものですが、一般に開放されてふつうに通行できることも多いのです。ところで今回の水門の管理橋はちょっと変わっています。どこが変わっているのか、わかりますか?
答え。中央部がぐっと高くなっているのです。つまりこんなふうに橋が坂道になってしまってます。どうしてわざわざ平地に坂道を作るような構造になっているのでしょう。それは、3枚のゲートのうち、中央部だけは船を通せるよう、水面からの高さをかせいでいるのです。本来なら管理橋全体をもっと高く設置するところですが、堤防の高さが低いので無理っぽい。でもどうしても船は通す必要があった・・・どうやらそんな事情が産み出した構造のようです。
1980年代の水門は、70年代のものに比べてちょっと装飾的になる傾向があります。単なるコンクリートの四角い構造物というのでなく、機器室の角を丸めたり、壁面を一部塗装してアクセントをつけたりするようになるのですが、その典型例みたいなスタイリングですね。ゲートメーカーは地元広島の水門の名門、豊国工業です。
はい。中央ゲートにはちゃんと「航路」って書いてありました。今は潮が引いているので思いっきり川底が露出してしまってますが、ここを通る船があるという動かぬ証拠です。この表示を無視して両側のゲートを通ると、ゲートの下はかわせても、管理橋の桁にぶつかる可能性があるわけです。もっとも両側のゲートの下は川底が浅いようで、わざわざ通る船などいないとは思いますが。
機器室に上がるためのらせん階段が水門の表側に設置されているのも、考えてみると珍しいかもしれません。普通は裏側(橋のある側)に設置します。橋と階段が別の側にあると、柱(堰柱といいます)に通路を設ける必要があるためです。実際この水門も、堰柱に通路用の貫通穴が開けられています。
あたりはもうだいぶ暗くなってきましたが、瀬戸内海を背にして川底まで降りてみました。ほんとにここに船が通るのか、ちょっと信じられないような浅い川ですね。両岸は住宅地で、あちこちから夕飯の匂いがただよって来るような、春のたそがれ時の撮影でした。
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