前編の神戸に続き、今回は京都の坂道をいくつかぶらりとみちくさしてみました。
京都の坂道といえば、一年坂、二年坂、三年坂が有名ですよね。
ただこのみちくさ学会ではやはりそれらを紹介するだけではなんかとなくおもしろくないと(僕が勝手に思っているだけですけど)いうことで、今回はこの界隈にはその他にもいくつかの坂道があったのでそちらの話をメインにしていきたいと思います。
まずは八坂神社のほうから「ねねの道」を歩いていると、途中道の左側に高台寺という有名なお寺があります。(※高台寺:豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(ねね)が慶長11年(1606)開創した寺。公式HPより抜粋)
その高台寺へと続く小道というか参道に「台所坂」という名がつけられていました。(2枚目の写真ですね。)
なぜ台所坂と名づけられたかについては、ちょっと詳しく調べてみないとわかりませんけど、とにかくこの坂道をあのねねさんが何度も行き来したことだけは事実のようですね。
さすがにしっかりと整備された勾配具合といい道の距離といいちょうど良い具合の階段坂道でした。
そしてこれが今回の大収穫の坂道だったのですが、ねねの道をぬけて一年坂をぬけて二年坂を歩いている途中に、なんと「龍馬坂」なる坂道があったんです。(3枚目の写真がそうです。)
名前のとおりあの坂本龍馬さんにまつわる坂道です。龍馬マニアの方にとってはあたりまえの場所なのかもしれませんが、このすぐ近くには龍馬さんのお墓もあります。なのでだいたいはご想像のとおりです。
ただここは、この龍馬坂と並行してすぐとなりにある「維新の道」なる通りのほうが有名なためかこちらは人通りも少なく、坂下の二年坂の賑わいがうそのように静かな坂道でした。
しかも遠くには八坂の塔も見えています。
4枚目の写真は、さらに龍馬坂を上り、坂上のほうをみたものです。
このあたりから坂上はうっそうとした竹林がせまってくるとともになかなかに急な階段坂道となっていました。
この日はまだ京都にもすこし雪が残っていたので、かなり足元に注意をむけないといけないくらいの勾配具合で階段自体は整備がしっかりと行き届いているといえばちょっと疑問な感じでしたけど、つくりはしっかりとしたものでした。
またこの写真の場所のすぐ隣には「2010年10月歴史地理学者中村武生」という署名入りで、『坂本龍馬、中岡慎太郎など幕末志士葬送の道』と書かれた案内板が設置されていました(ということはつい最近ですね・・・)。説明文は長いのでここでは抜粋しませんけど、とにかくここが龍馬坂なんだろうということだけは確信できたかもです。
そして最後は、過去の坂と現代のテクノロジーが出会う場所というかそんな坂道もありました。(5枚目の写真です。)
「五条坂」といって三年坂とちょうど坂上を同じくする坂道なのですけど、今回歩いていてふと遠くを眺めていたら、なんと京都タワーがちょうど坂道の軸線上にぽっかりと見えていました。これはわざと計画されたものなのか、はたまた偶然なのかわかりませんけどとにかく気になる坂道でした。
というわけで、一年坂、二年坂、三年坂はともかく、その他のこの界隈の坂道はなにやら京都の有名な建物とも関係がふかそうだなあと妄想しつつこの地をあとにしました。
ちなみにトップの写真は、三年坂の途中で撮ったものです。なんともタイミングがよく舞妓さんが歩いてらしたので思わず撮ってみました(画像はちょっと加工してあります)。
そして6枚目の写真も同じく三年坂ですが、見てのとおり夜のものです。
昼間の人通りとはうってかわって誰もいませんでした。おかげでまわりのまちなみ探索はできましたけど。
ただ昔はもっと暗かったんでしょうね。