
朽ちゆく井戸ポンプに敬礼。
ほろびこそ わがよろこび・・・
こんにちは、寒い日が続きますね。井戸の柏崎です。
さて、
『ほろびこそ わがよろこび。死にゆく者こそ美しい。
さあ わがうでの中で息絶えるがよい!』
とは、かの有名なゾーマ様のお言葉ですが・・・
井戸ポンプはその初めから、ホロビを内包しているといっても良いでしょう。
さほど丈夫ではないその鋳鉄のボディーは、天敵ともいえる「水」にさらされ続ける。それは屋外に設置されるがための「雨」そして、自ら排出する「井戸水」によるものだ。
月島、佃島。品川などの古来よりの埋め立て地に設置されている井戸などではあろうことが「塩分を含んだ水」すら出てくるのだ。
また、子供に見つかれば恰好の遊び道具となり、過剰な上下運動により、支えの部分からポキリと逝く。もちろん、私ども井戸ポンプ愛好家は愛護的にポンプを扱うためポキリとはいかない。
コンクリートの土台も常にさらされる水により苔むして、風化を促進させていますし。何より、ポンプへの力が梃子の原理により増幅されて、コンクリの土台を割ろうとする力に返還されています。そういった月日が数年経過しただけでも、あたかも老戦士のように古びてきてしまうのです。
そして、機能を果たせなくなった井戸ポンプは静かに忘れられ、いつしか撤去されてしまう。
ある井戸ポンプ愛好家の偉人はこう言いました。
『井戸ポンプは二度死ぬ。それは水を出せなくなった時と、存在を忘れられた時だ』と。
そこで、今回は、まさに朽ち行く井戸ポンプの過程と最後の姿をご紹介して・・・みなさまの記憶に留めていって貰いたいと思います。
では。・・・
井戸枠付き井戸ポンプの場合

使われなくなって、数年経過。
まだ直そうと思ったら、直せそうだ。(十条)

路地裏にひっそりと置かれている。その蓋をはずせば、井戸の底には、まだ水がたたえられているはず。(台東区、朝倉彫塑館裏の路地)しかも、ここらへんの水は・・・おいしいはず。
朝倉彫塑館には「谷中の大井」といわれていた井戸があり、井戸の底が二間もある大きな井戸であったそうだ。
現在も庭の水を始め、朝倉彫塑館の水設備は全て井戸の水を利用して作られており、
地下の井戸(直径4m程)からくみ上げた水を屋上の水槽に揚げて使用している。
噴水は、その位置エネルギーを利用し噴出させている。
残念ながら、井戸自体は館の地下にあるため見ることは出来ない。
以前は、飲用の水も井戸水だったそうだが、区営となり衛生上の理由から上水道に切り替えた。
井戸の底には炭や石灰を大量に沈めてあり良質の井戸水であった。
灘の水にも似ているともいわれ、朝倉文夫先生は飛鳥山の造り酒屋に酒を作らせ、好んで飲んでいたそうでそうだ。

またしても十条。
このあたりの井戸枠は、その上に植物を置かれているケースが多い。
他の地域では、薄暗い場所で、ジメジメと井戸が隠れているケースが多いので、なんだか心が安らぐ。大事にされていそうで。

これは、荒川区の耳無不動尊で見つけた、井戸枠の名残。
このあたりが、井戸の名残としては最終形。これ以上になると私には発見できなくなる・・・。
打ち抜き井戸ポンプの場合
打ち抜き井戸だと、事態はもう少し深刻。
丈夫な井戸枠が無いので、簡単に無くなってしまうのだ・・・

これは、東上野の清洲橋通り沿い。
柄も残っているし、土台もしっかりしている。復旧もできるかもしれない。

これは、東十条。土台が傾き、穴が開いていることがわかる。
しかし、布で保護されているため、ポンプ自身は、それほどいたんでいない・・・

これは、冒頭の写真にもつかったものだが。土台もポンプもよく朽ちている。
というか、理想的な朽ち方だ。萌える。(千駄木)

またもや十条。井戸枠バージョンの時もそうだったが、植木の台と化している。
幸せな老後だ。.

最終段階。
一見、井戸ポンプとは関係なさそうだが、ここまでこの記事を読んてくれた諸兄なら、もうわかるはずだ。(読み飛ばしてたらわからんよ。きっと。それでもわからなければ実地訓練だ。)
何をどう見たって井戸ポンプの名残なのだ。これは。
私も現地で見た時に瞬間的に井戸跡だと分かった。
井戸の水受け、井戸ポンプのポンプの土台。そして排水の場所・・・
目をつぶれば、当時の姿が浮かぶ。
井戸ポンプの周りで遊ぶ子供たち、井戸水で洗濯をするご婦人たち。そして夕餉の香り・・・
ここまでわかるようになれば、もう君も達人だ。
免許皆伝と言わざるを得ない。
さあ、卿らも街にでて、忘れられ行く井戸ポンプの記憶をとどめにいくのだ!よろしくたのむよ!
おわり。

- 井戸人_柏崎哲生
- 井戸人別館【東京翠影】
- 1976年生まれ 地元の裏道にて井戸ポンプを発見し、その魅力に取り付かれる。
・■_nendonさんのステータス - ロケタッチ