青山霊園
遂に青山霊園である。お墓を「史跡」と呼べるのかという議論はさておき、個人的には都内で一番大好きなスポットである。何度行っても新たな出会いがあり、楽しみは尽きない。
昨今、著名人の墓を巡る「墓マイラー」と呼ばれる一群が出現する一方で、「お墓なんて気味が悪い」と端から毛嫌いする向きも少なくない。今回は少しでも墓参りが楽しくなる方法を伝授しようと思う。

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大鳥圭介の墓と桜


青山霊園は、明治五年(1872)に、旧大名青山家の屋敷跡に明治政府が造営した霊園で、言わば「官営墓地」である。官営と呼ぶに相応しく、官位官職を刻んだ墓石が並ぶ。26万㎡という広大な敷地に約11万体が眠る。フラッと訪れても何らかの発見はありそれなりに楽しいが、やはり事前の下調べは必須であろう。

表参道駅から青山霊園に入ると管理事務所があるので、そこで地図を入手することをお勧めする。青山霊園は、全ての区画に「-種-号-側」と住所のような記号が割り振られているので、それを手掛かりにすれば、比較的簡単にお目当ての墓に行き着くことができる。

幕末から明治初年の歴史に関与した人物の墓だけでも軽く100を超える。時間と熱意があれば虱潰しに回る方法もあるが、とても一日や二日では終わらない。興味を持って霊園を巡るには、テーマをもって訪れることをお勧めしたい。どういうことかというと「坂の上の雲」や「翔ぶが如く」といった名作を精読し、作品に登場する人物の墓を訪ねるのである。きっと墓石が人格を持ったものに感じられるに違いない。

青山霊園には幕末維新期に活躍した人物の墓が多い。中には暗殺された大久保利通、森有礼や、桜田門外の変で落命した有村兄弟の墓もあるが、基本的には維新後まで生きながらえたということであり、つまり功成り名を残した人たちである。気のせいか、ここにある墓は少し誇らしげである。
青山霊園に眠る著名人と出演作品を紹介しておく。なお、複数の作品に登場している人物については、私の独断でどちらか片方に記載した。

翔ぶが如く」(司馬遼太郎)
大久保利通・大久保満寿・中村太郎(大久保暗殺時の馬車の御者)【1種イ2号15~17側
】・川路利良・川路澤子【1種イ4号1~3側】・黒田清隆・黒田清子【1種イ1号9~10側】・伊地知正治【1種イ9号22~23側】・尾崎三良【1種イ4号22側】・野津鎮雄・野津道貫【1種イ1号26側】・高島鞆之助【1種イ1号9側】・大木喬任【1種イ5号7~10側】・吉井友実【1種イ6号4側】・永山休悦・永山弥一郎(盛弘)・永山休二【1種イ10号8側】・西郷糸子・西郷寅太郎【1種イ11号22側】・川上操六【1種イ13号13側】・後藤象二郎【1種イ13号24側】・税所篤【1種イ16号12側】・副島種臣【1種イ21号1側】・犬養毅【1種ロ8号1~14側】・川村景明【1種ロ19号11側】・高崎正風【2種イ17号1~6側】・西南戦争戦死者墓【1種ロ12号6側】

世に棲む日日」(司馬遼太郎)
小田村寿子【1種イ1号29側】・南貞助【1種イ3号5側】・久保断三【1種イ3号2側】・三浦梧楼【1種イ5号15~16側】・周布政之助【1種イ1号38側】・那珂五郎【1種イ1号4側】

胡蝶の夢」(司馬遼太郎)
司馬凌海(島倉伊之助)【1種イ6号4側】・手塚律蔵(瀬脇寿人)【1種イ2号8~9側】

坂の上の雲」「殉死」(司馬遼太郎)
乃木希典・乃木静子【1種ロ10号26側】・奥保鞏【1種イ9号9側】・山本権兵衛【1種イ9号26~27側】・秋山好古【1種イ19号2側】・金子堅太郎【1種ロ7号5側】・島村速雄【1種ロ8号1~14側】・立見尚文【立山1種イ1号5側】・加藤友三郎【1種ロ12号1~6側】・広瀬武夫【1種イ21号9側】・福島安正【1種イ16号4側】・長谷川好道【1種ロ20号4側】

落花は枝に還らずとも」(中村彰彦)
秋月悌次郎【1種ロ12号26側】・山川浩【1種ロ18号5側】・山川健次郎【1種ロ18号5側】・小野権之丞【2種イ13号9側】

万延元年の遣米使節団」「幕末遣欧使節団」(宮永孝)
木村芥舟【1種イ20号4側】・立石斧次郎【1種ロ6号6側】・肥田浜五郎【1種ロ10号21側】・佐野鼎【1種イ1号7側】・杉孫七郎【立山1種ロ3号5側】

アメリカ彦蔵 (新潮文庫)」(吉村昭)
ジョセフ彦【外人墓地】

ポーツマスの旗」(吉村昭)
小村寿太郎【1種ロ12号1~6側】

白い航跡」(吉村昭)
高木兼寛【1種イ10号21側】

火はわが胸中にあり」(澤地久枝)
旧近衛鎮台砲兵 合葬墓【2種イ11号29側】

大久保利通川路利良夫妻秋山好古


乃木希典夫妻ジョセフ彦司馬凌海


秋月悌次郎小村寿太郎旧近衛鎮台砲兵合葬墓