陶土を積んだトラックが往き来する埃っぽい国道の急坂を、自転車を押して汗だくになりながら登っている。
意気込んで10キロ離れた自宅から自転車で出てきたことはいいが、県境を越える登り坂になった途端にこんな体たらくである。どんなに元気だと威張っていても、寄る年波には勝てない。
ようやく下り坂になり、瀬戸の町並みが眼下に広がった。
愛知県瀬戸市は焼き物で栄えた町だ。いたるところに製陶所の看板を掲げた建物が見える。
お年寄りから聞く昔話には「瀬戸へいかんでどこへいくと虫が鳴く」とか「宵越しの金は持たない」といったものがあり、活気があった町の様子が伝わってくる。焼き物をめぐる仕事はいくらでもあり、瀬戸に住んでいれば、“食いっぱぐれる”ことはなかったともいわれている。
さて、瀬戸市内にある琺瑯製の町名表示看板をできるだけたくさん探そうというのが、今回の目的だ。相棒は29年前のツーリング用自転車ランドナー。社会人1年目にボーナスをはたいて買った奴だが、メンテナンスを終えて戻ってきたばかりなのでピカピカだ。
国道から脇道に逸れると、町は緩やかに登る坂道となった。陶器が入った木箱を無造作に積んだ製陶所の脇を潜り抜けたり、迷路のような狭い道を適当に走ったり…みちくさ感覚で、ぶらりと走るのもたまにはいい。
品野町の収穫は「瀬戸牛乳」がスポンサーになっている町名看板が2枚と、スポンサー名が読めない1枚。おそらく琺瑯製の町名看板は市内に10数枚は残っていると思うが、やみ雲に探しても簡単には見つからない。
それこそ脇道から路地へ、しらみつぶしに、舐めるように探す意気込みがないと、古い家屋や板壁の陰に埋もれようとしている彼らを探し出すことはできないはずだ。
古瀬戸町から国道248号線を離れ南下すると、古い家屋が密集する一角に入った。地図上では東郷町、前田町と記されたエリアだが、ここでのホーロー探検は後回しにし、以前から訪ねたかった「窯垣の小径」を目指す。
トイレも完備された駐車場に相棒を置いて、階段からいきなり急になる坂道を登ると、家屋の石垣に陶器の破片やレンガ(?)がびっしりとはめ込まれた道が続いていた。
瀬戸の町では陶器をアクセントとしてコンクリートのブロック塀に塗りこんでいるのをよく見かけるが、陶器でできた石垣(窯垣)というのは初めて見た。アート感覚で、なかなか小粋な風景だ。
後で調べたところレンガだと思った丸い棒や板状のものは、登り窯や石炭窯で陶器を焼くときに、焼き物を保護するために使用したツク、エブタ、エンゴロと呼ばれる窯道具のことだった。
クルマと違って自転車の良いところは、ゆっくりとした目線で探索ができるところだ。それが功を奏して、ただならぬ“匂い”を感じるレトロな商店を見つけた。
店の入口には「づつうにノーシン」と「毎日香」、そして右の壁には「ごきぶりホイホイ」の看板が掛かっていた。看板商店としてはこれだけでも合格点なのだが、更に僕を有頂天にさせたのは、その店内だった。
薄暗い店内はまるで時間が止まった博物館(失礼!)のようで、壁には「六神丸」や「中将湯」の木製看板が掛かり、ピンクレディーや王選手など往年のアイドルやタレントの販促物で埋もれていた。
「おじいさんのでぇ(代)から、この場所で商売やっとるでなも、もう80年以上になるわな」
「あんたさん、どこからいりゃぁた?」
いきなり店に現れて写真を撮りたいと言った僕に、店主のおばあちゃんは楽しそうに応えてくれた。
祖母が生きていれば、こんな風だったかな…などと思いながら、久しく聞くこともなかった“正統派名古屋弁”の優しい響きに、うっとりとしてしまうのだった。
更に、もうひとつ楽しいやり取りがあった。看板商店から続く道を更に奥に入った家屋の土間に、ちらりと赤い看板が見えたのだ。
「ごめんくださ~い」と声をかけると、いかにも元気がよさそうな女性が出てきた。年のころは僕と同じくらいだろうか。元は“看板娘”だったかもしれない。
壁に貼られた「マツダランプ」の看板を「撮りたい」と言うと、「取りたい」と勘違いしたのか、「もういらんで、もってきゃあ」の返事。
僕にしても看板を集める趣味はない。一旦は断りをしたが、ドライバーまで出してきて剥がそうとするので、快くいただくことにした。
しかし、電器店を営んでいた昭和30年代から壁の一部になってしまったお宝は、渾身の力をこめてもさび付いたネジはびくともせず、あくまで抵抗の構え(笑)。
結局、看板を貰うのを諦めて辞したが、帰り際に僕の背中にかけられた女性の一言は、「今度アンタが来るときは、もっと大きなドライバー用意しとくからね~」だった(笑)。
さて、この日は古い家屋が密集する前田町や陶生町、杉塚町などで8枚の町名琺瑯看板を見つけた。アーケードがあるレトロな商店街や、瀬戸川に沿って軒を並べる町家の風景に包まれて、愛車のペダルをこいだ。
路地マニアでもある僕にとってはうれしくなるような風景に出遭った。軒先がくっつきそうな、そんな薄暗い路地の奥にも、ひっそりと琺瑯看板が隠れていた。
昼飯は瀬戸を代表するB級グルメ「瀬戸焼きそば」。豚肉の煮汁をダシに、醤油の味付けの麺にキャベツをたっぷり炒め、豚肉と紅しょうがを添えたシンプルなスタイルだ。昔からあったものだが、最近は町おこしでけっこう店も増えてきたようだ。
せっかくなんで、老舗の人気店を2軒ハシゴしてみた。
一軒目は、「大福屋」。ここは何度も行っているひいきの店。相変わらず店内もテイクアウトも混んでいた。大盛を注文。醤油の味付け麺がなんとも香ばしく、ペロリと食べてしまった。
続いて目と鼻の先のアーケード銀座商店街にある「銀座茶屋」。さすがに続けて大盛は食べれない(笑)。並を注文。思わず「うまい!」と唸ってしまった。
聞くところによると、この店は瀬戸焼きそばの発祥の店ということだった。ついでに「玉せん」なるものも注文してみた。大きな海老せんべいに玉子焼を挟んで二つ折りしたものだが、どろりとしたソースがからんで、パリっとした食感がなんともいえず旨かった。
お腹も一杯になって、適当に写真を撮りながら帰宅したが、さすがに登り坂の峠超えは膝が悲鳴を上げた(笑)。
とはいえ、わずか半日ばかりの小さな旅だったが、人とのふれあいや昭和の匂いがする町の風景を、のんびりと楽しんだ一日になった。 (取材2010.9.18 他多数)
※瀬戸市のお宝たち
※写真左上から…1~3行目2枚目までは瀬戸市に残るスポンサー入りの町名表示看板。現在13枚見つけている/3行目3枚目は消火栓や消防関係の看板。これもスポンサー入りだが、市内にはまだ数枚残っている/3行目4枚目~4行目は瀬戸市内に現存している琺瑯看板。年々減少の一途だ/5行目は右から瀬戸牛乳の木製箱、レトロな商店の販促物、大福屋の焼きそば(大盛600円)、銀座茶屋の焼きそば(並盛380円)、玉せん(100円)
ようやく下り坂になり、瀬戸の町並みが眼下に広がった。
愛知県瀬戸市は焼き物で栄えた町だ。いたるところに製陶所の看板を掲げた建物が見える。
お年寄りから聞く昔話には「瀬戸へいかんでどこへいくと虫が鳴く」とか「宵越しの金は持たない」といったものがあり、活気があった町の様子が伝わってくる。焼き物をめぐる仕事はいくらでもあり、瀬戸に住んでいれば、“食いっぱぐれる”ことはなかったともいわれている。
さて、瀬戸市内にある琺瑯製の町名表示看板をできるだけたくさん探そうというのが、今回の目的だ。相棒は29年前のツーリング用自転車ランドナー。社会人1年目にボーナスをはたいて買った奴だが、メンテナンスを終えて戻ってきたばかりなのでピカピカだ。
国道から脇道に逸れると、町は緩やかに登る坂道となった。陶器が入った木箱を無造作に積んだ製陶所の脇を潜り抜けたり、迷路のような狭い道を適当に走ったり…みちくさ感覚で、ぶらりと走るのもたまにはいい。
品野町の収穫は「瀬戸牛乳」がスポンサーになっている町名看板が2枚と、スポンサー名が読めない1枚。おそらく琺瑯製の町名看板は市内に10数枚は残っていると思うが、やみ雲に探しても簡単には見つからない。
それこそ脇道から路地へ、しらみつぶしに、舐めるように探す意気込みがないと、古い家屋や板壁の陰に埋もれようとしている彼らを探し出すことはできないはずだ。
古瀬戸町から国道248号線を離れ南下すると、古い家屋が密集する一角に入った。地図上では東郷町、前田町と記されたエリアだが、ここでのホーロー探検は後回しにし、以前から訪ねたかった「窯垣の小径」を目指す。
トイレも完備された駐車場に相棒を置いて、階段からいきなり急になる坂道を登ると、家屋の石垣に陶器の破片やレンガ(?)がびっしりとはめ込まれた道が続いていた。
瀬戸の町では陶器をアクセントとしてコンクリートのブロック塀に塗りこんでいるのをよく見かけるが、陶器でできた石垣(窯垣)というのは初めて見た。アート感覚で、なかなか小粋な風景だ。
後で調べたところレンガだと思った丸い棒や板状のものは、登り窯や石炭窯で陶器を焼くときに、焼き物を保護するために使用したツク、エブタ、エンゴロと呼ばれる窯道具のことだった。
クルマと違って自転車の良いところは、ゆっくりとした目線で探索ができるところだ。それが功を奏して、ただならぬ“匂い”を感じるレトロな商店を見つけた。
店の入口には「づつうにノーシン」と「毎日香」、そして右の壁には「ごきぶりホイホイ」の看板が掛かっていた。看板商店としてはこれだけでも合格点なのだが、更に僕を有頂天にさせたのは、その店内だった。
薄暗い店内はまるで時間が止まった博物館(失礼!)のようで、壁には「六神丸」や「中将湯」の木製看板が掛かり、ピンクレディーや王選手など往年のアイドルやタレントの販促物で埋もれていた。
「おじいさんのでぇ(代)から、この場所で商売やっとるでなも、もう80年以上になるわな」
「あんたさん、どこからいりゃぁた?」
いきなり店に現れて写真を撮りたいと言った僕に、店主のおばあちゃんは楽しそうに応えてくれた。
祖母が生きていれば、こんな風だったかな…などと思いながら、久しく聞くこともなかった“正統派名古屋弁”の優しい響きに、うっとりとしてしまうのだった。
更に、もうひとつ楽しいやり取りがあった。看板商店から続く道を更に奥に入った家屋の土間に、ちらりと赤い看板が見えたのだ。
「ごめんくださ~い」と声をかけると、いかにも元気がよさそうな女性が出てきた。年のころは僕と同じくらいだろうか。元は“看板娘”だったかもしれない。
壁に貼られた「マツダランプ」の看板を「撮りたい」と言うと、「取りたい」と勘違いしたのか、「もういらんで、もってきゃあ」の返事。
僕にしても看板を集める趣味はない。一旦は断りをしたが、ドライバーまで出してきて剥がそうとするので、快くいただくことにした。
しかし、電器店を営んでいた昭和30年代から壁の一部になってしまったお宝は、渾身の力をこめてもさび付いたネジはびくともせず、あくまで抵抗の構え(笑)。
結局、看板を貰うのを諦めて辞したが、帰り際に僕の背中にかけられた女性の一言は、「今度アンタが来るときは、もっと大きなドライバー用意しとくからね~」だった(笑)。
さて、この日は古い家屋が密集する前田町や陶生町、杉塚町などで8枚の町名琺瑯看板を見つけた。アーケードがあるレトロな商店街や、瀬戸川に沿って軒を並べる町家の風景に包まれて、愛車のペダルをこいだ。
路地マニアでもある僕にとってはうれしくなるような風景に出遭った。軒先がくっつきそうな、そんな薄暗い路地の奥にも、ひっそりと琺瑯看板が隠れていた。
昼飯は瀬戸を代表するB級グルメ「瀬戸焼きそば」。豚肉の煮汁をダシに、醤油の味付けの麺にキャベツをたっぷり炒め、豚肉と紅しょうがを添えたシンプルなスタイルだ。昔からあったものだが、最近は町おこしでけっこう店も増えてきたようだ。
せっかくなんで、老舗の人気店を2軒ハシゴしてみた。
一軒目は、「大福屋」。ここは何度も行っているひいきの店。相変わらず店内もテイクアウトも混んでいた。大盛を注文。醤油の味付け麺がなんとも香ばしく、ペロリと食べてしまった。
続いて目と鼻の先のアーケード銀座商店街にある「銀座茶屋」。さすがに続けて大盛は食べれない(笑)。並を注文。思わず「うまい!」と唸ってしまった。
聞くところによると、この店は瀬戸焼きそばの発祥の店ということだった。ついでに「玉せん」なるものも注文してみた。大きな海老せんべいに玉子焼を挟んで二つ折りしたものだが、どろりとしたソースがからんで、パリっとした食感がなんともいえず旨かった。
お腹も一杯になって、適当に写真を撮りながら帰宅したが、さすがに登り坂の峠超えは膝が悲鳴を上げた(笑)。
とはいえ、わずか半日ばかりの小さな旅だったが、人とのふれあいや昭和の匂いがする町の風景を、のんびりと楽しんだ一日になった。 (取材2010.9.18 他多数)
※瀬戸市のお宝たち
※写真左上から…1~3行目2枚目までは瀬戸市に残るスポンサー入りの町名表示看板。現在13枚見つけている/3行目3枚目は消火栓や消防関係の看板。これもスポンサー入りだが、市内にはまだ数枚残っている/3行目4枚目~4行目は瀬戸市内に現存している琺瑯看板。年々減少の一途だ/5行目は右から瀬戸牛乳の木製箱、レトロな商店の販促物、大福屋の焼きそば(大盛600円)、銀座茶屋の焼きそば(並盛380円)、玉せん(100円)
- つちのこ
- 琺瑯看板探険隊が行く
- 1958年名古屋生まれ。“琺瑯看板がある風景”を求めて彷徨う日々を重ねるうちに、「探検」という言葉が一番マッチすることを確信した。“ひっつきむし”をつけながら雑草を掻き分けて廃屋へ、犬に吼えられながら農家の蔵へ、迫ってくる電車の恐怖におののきながら線路脇へ、まさにこれは「探検」としか言いようがないではないか。