池袋駅西口から高島平へ向かう国際興業バスは、要町交差点から山手通りを北上し、板橋区役所前を過ぎると間もなく、国道17号との合流点で今回ご紹介する「仲宿」バス停に到着します。
02_旧中山道

仲宿の「宿」とは、旧中山道板橋宿を指します。品川、千住、新宿と並ぶ江戸四宿のひとつに数えられた板橋宿は、日本橋寄りから平尾宿、仲宿、上宿の三宿で構成され、中山道第一番目の宿場として栄えてきました。バスを降り、国道17号東側の路地を抜けると、旧中山道の仲宿商店街に出ます。昨年11月にご紹介した「堀割」バス停でも、旧中山道について触れましたが、巣鴨駅前から続く旧中山道の商店街は、堀割を経てこの板橋宿へと続いています。
03_板五米店

仲宿商店街の入口は、王子新道と交わる仲宿交差点で、「日本橋より二里二十町九間」と書かれた看板が立ち、宿場町らしさが演出されています。商店街に入ると、大きな煉瓦積みの壁に挟まれた土蔵造りの商店などが見られ、旧道筋らしい面影を感じ取ることができます。因みに、この商店には「板五米店」の看板がありますが、「板五」とは板橋町五丁目の略で、昭和30年代までで消滅した旧町名です。現在は板橋区仲宿が行政上の町名ですが、古くからの呼称である仲宿が行政上の町名となったのは昭和32年と、比較的新しく、それ以前は旧道を中心に板橋町1~10丁目がありました。
04_伊勢孫楼跡

商店の先を右へ入ると、古びた煉瓦塀の続く一画がありますが、これは板橋宿最大の旅籠として知られた伊勢孫楼の跡地とのこと。伊勢孫楼は妓楼でもあり、宿場としての機能を失った明治期以降の板橋宿が、遊郭として再生を図った歴史の一端を、この煉瓦塀が物語っています。
06_琺瑯看板

仲宿商店街をさらに歩き進むと、右手の民家の玄関先に板橋宿本陣跡の碑、その向い側に医師水村玄洞宅の跡地があり、そのすぐ先が、問屋場や貫目改所などの置かれた仲宿の中心地となります。現在も商店街の中核となるスーパーがあり、多くの人通りで賑わっている様子を見ると、宿場時代から人の流れには大きな変化がないものと感じられます。

スーパーの前から帝京大学病院の方へ分かれる通りは、御成道と呼ばれ、かつて板橋宿周辺に鷹狩に訪れた将軍が赤羽方面に向かう際に利用したといわれます。そして、御成道に面して山門を構えているのが、文珠院です。板橋宿名主の菩提寺ですが、墓所には宿場遊女の墓があり、いわゆる「投げ込み寺」だったことが窺えます。

仲宿商店街を抜けると、石神井川に架かる板橋に辿りつき、これを渡ると旧中山道は上宿に入ります。仲宿が行政上の町名として採用されているのに対し、上宿の町名は本町で、商店街も本町商店街と名を変えます。その本町商店街をしばらく歩いてから、バスの走る国道17号に戻ると、そこには「上宿」バス停があります。「仲宿」に続き、板橋宿の歴史を伝えるバス停がもうひとつあるとは嬉しいですが、このバス停、実は数年前まで板橋本町と称していたものを、わざわざ上宿に変更した経緯があります。板橋本町といえば地下鉄の駅名ですが、駅はもうひとバス停先であり、乗り換え客に不親切だったせいでの改称でしょうか。いずれにせよ、町名としては残らなかった上宿が、バス停名として採用されたことは、私にとっては願ってもない結果となりました。

最後に、板橋宿散歩で見つけた昔懐かしい「琺瑯看板」の住居表示板です。