鍾馗さんの作者や制作年代が分かることはほとんどありませんが、滋賀県近江八幡市付近に分布する、技巧を凝らした「八幡系」鍾馗さんには、わずかに手がかりがあります。
瓦鍾馗の始まりとともに
近江八幡のかわらミュージアムには、2体の巨大な鍾馗さんが展示されています。
横幅はゆうに1mを超える巨大なものです。
この2体には銘が刻まれていて製作者と制作年代が明らかになっており、
文政11年(1828) 寺本仁兵衛五代目 兼武 とその弟 西堀栄三郎 の作。
八幡系のみならず、制作年代がわかっている瓦鍾馗の中では最古の作品です。
また、この鍾馗さんは古いだけでなくその技術の高さで、
後の鍾馗さんがとても及ばない水準に達しています。
金箔まで押した豪華な姿ですし、民家の屋根に乗せるには大きすぎるため、
現在まで良好な保存状態で残されたことも考え合わせると、
勝手な推測ですが、魔除けとしての実用品というよりは、
腕試しとか、展示用とか、特別な用途に作られたもののように思えます。
「寺本仁兵衛」は近江八幡で永らく瓦製造を営む寺本家の当主の代々の名乗りです。
かわらミュージアムのホームページによれば、寺本家はもともと京都深草で瓦屋を
営んでいたが、17世紀末ごろ八幡に移住してきて、寺院建築などに携わったそうです。
八幡で百年以上続いた家系が、この鍾馗さんを産みだしたのですね。
流れを引く「八幡系」鍾馗の優品
かわらミュージアムの超弩級鍾馗さんにはかなわないものの、明らかにその系譜に連なる鍾馗さんを
滋賀県内でいくつか見つけています。
滋賀県内だけでしか見られない「八幡系」鍾馗
赤・黄色の★が手作りの優品、緑が型抜きの普及品。ご覧のとおり、近江八幡市から
東近江市(旧八日市市)にかけてが分布の中心で、滋賀県外では唯一、
京都の人形店のショーケースに収まっているのを見たことがあるだけです。
滋賀県内でしか見られないことは、「八幡系」鍾馗が近代物流が発達する以前に廃れたことを示す
傍証になっているように思います。
ちなみに「八幡系」という名前、筆者が勝手に命名したものです。
今回紹介した鍾馗さん
東近江市西老蘇 <1061> | 野洲市木部 <0793> | 東近江市小中 <1216> | 東近江市綺田 <0931> | 東近江市五個荘塚本町 <1212> |
※写真をクリックすると筆者のブログ「鍾馗を尋ねて三千里」の解説ぺージが開きます。
※<>内の数字は筆者HP「鍾馗博物館」内・収蔵室の通し番号です。