まずはじめに、被災地の皆様へ、こころからのお見舞いを。
復興作業に関わるすべての皆様に、こころからのエールを。
いまトーキョーのあちこちのエスカレーターが、節電のため停止している。

この場でも繰り返し考察してきたように、バリアフリーの側面もあるエレベーターとちがって、エスカレーターは、ラグジュアリーな乗り物であり、都会派の特権であり、行き急ぐ都民の足である。
したがって、電力不足という非常事態のいま、真っ先に停止されるのは当然のことであるのだが、「トーキョーにはこんなにエスカレーターがあって、それはじつに贅沢なことだ」という事実が、ついに誰の目にも明らかな形で示されたようで、ずばりそのことばかりを追いかけ、書き続けていた私としては、感慨深いものがある。
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いま私が考えていることは2つある。
エスカレーターはこれからどうなるか。そしてトーキョーは、これからどうなるのか。

トーキョーにはエスカレーターが多い。ものすごく。しかもどれもが、きちんと動いている。
今回エスカレーターが停められてまず私が思ったのは、「こういう光景、おととしの夏訪れたニューヨークの地下鉄では非常ではなく日常だったな」ということだ。
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ニューヨーク地下鉄は、まずなにより24時間走っているし、最近のイメージアップ戦略によって、昔と比べてかなり快適になった(らしい、昔を知らないけど)。
がしかし、エスカレーターについては、動いている率が(てきとうな実感で)60%程度であった。
動いていないものはどうしたかというと、故障しているか、時間帯によって停止しているかのどちらかである。世界経済の中枢、マンハッタンで、それなのだ。

エスカレーターの運転停止は、いまの一時的な措置ではなく、他のさまざまな物事と同様、今回をきっかけに「そもそもの運転時間と運転台数、ちょっと見直したほうがいいんじゃね」という議論が、必ず起こるだろう。

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さらにだ。そもそも、エスカレーターがそれほど必要なくなる、という事態も考えられる。

今回もうひとつ、震災によって浮き彫りになったのは、「トーキョーは、短い時間に集中してすごい距離を移動しまくるひとたちで溢れている」という事実である。
3月11日、駅に、そして街に、自宅まで帰れない人々があふれた。
そして計画停電によって、当たり前のように動き続けてきた交通機関は麻痺した。
「在宅勤務でいいんじゃね」「ラッシュ時にわざわざ会社に行かなくていいんじゃね」という議論は、エスカレーターの台数云々の問題より真っ先に巻き起こっている。
結果、「ラッシュ時に大量の人々をスムーズに送る」という目的でかなりの台数を並列に設置した駅のエスカレーターは、役割を終えるだろう。

もっともっと、大きな話をすれば、ずっと続いてきたトーキョーへの一極集中はかなり分散されることになるだろうし、バブル期のアニメや漫画が描いた、壮大な立体構造都市のような未来は訪れないし、超ロングなエスカレーターを必要とする、地下奥深くを走る電車も、もう作られないかもしれない。

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だけど、トーキョーのそんな未来を、私は嘆かない。
私が追い続けていることは、トーキョーのトーキョーらしさと、その変化それ自体だ。
街の小さな変化のひとつひとつを同じように見つめ続けてきたみちくさ学会他カテゴリ講師の皆さんもそれは同じだとおもう。

どんな形であれ、トーキョーの来るべき未来に、愛をこめて。





  • 田村美葉「東京エスカレーター」管理人

  • 東京エスカレーターMANIAX

  • 1984年うまれ、石川県出身。大学入学を機に上京。以来、主にエスカレーターに乗って浮かれたり、かっこいい橋脚を追って延々と高架下を歩いたりしている。高架橋脚ファンクラブ会長。