今回は、番外編というか余興のような記事をひとつ(タイトルにはあまり意味はありません)。
暗渠や川跡、川については、辿ることの体験自体が面白さの本質なので、なかなかスポット的な記事にしづらく、写真や文章も多くなりがちで、いつも困っている。たまには気軽に読めるアイテム的なテーマを取り上げてみようと思っているのだが、暗渠沿いで見られるアイテムといえば、井戸、マンホール、旧地名、坂道、銭湯、給水塔・・・とほかの「みちくさ」記事と被りまくりなので、非常に悩ましいところだ。何か、他の講師の方の題材と被らず、そもそもあまり取り上げられることがないようなものはないだろうか・・・と考えた末に思い出したのが、暗渠沿いでよく見られる、突き出した排水管だ。
冒頭の写真は世田谷区を流れていた烏山川の暗渠の最上流部。未舗装の道が暗渠(川を埋め立てた跡)なのだが、その暗渠沿いの段差から突き出して、向きを下に変え、暗渠の路面下へと潜っていく排水管がいくつか見える。
くいっと曲がっているパーツは「継ぎ手」という。壁面や地中に埋め込められずに露出しているのには、おのおのの場所により事情があるのだろうが、このように排水管が突き出している風景は、暗渠沿い以外ではあまり目にすることがないように思える。
これなら他の記事のテーマとも被らないし、通常見向きもされないという意味では「外蛇口」や「換気口」に匹敵するかもしれない。暗渠好きの間でも、いわば「暗渠サイン」としての認識はされていても、これ自体に着目する人はあまりいないようだ。ということで、今回はこの「突き出した排水管の継ぎ手」について取り上げてみようと思う。なお、以下の事例はいずれも東京都内のものである。
早速、事例を見ていこう。下の写真も烏山川の暗渠で見られた継ぎ手群だ。継ぎ手には口の数と曲がり方とその角度によっていくつかタイプがある。曲線で90度曲がるタイプは「90度大曲りエルボ」と呼ばれている。肘、だ。道端に、突き出した肘が並ぶ風景、ということになる。
次は品川区豊町と西品川の、古戸越川の暗渠における事例。古びた大谷石の擁壁から突き出した継ぎ手は、暗渠の路面まで高低差があるため、直線の配管をつないで、暗渠の路面まで下ろされている。一般的には塩化ビニール製のものが多いが、右側の写真のように古そうな陶器製のものも散見される。
エルボ型以外に、継ぎ手の先が二股に分かれているものが、ぽっこりと飛び出しているものもよく見かける。下の事例は大田区仲池上、呑川支流の暗渠。わざわざレンガ敷き風の歩道にしているところに、強烈な違和感を持ち込んでいる。このタイプの継ぎ手は「90度Y型」と呼ばれている。T字型なのだけど、Y型。ふつうなら配管の分岐に使われるのだろうが、片方の側は蓋がしてあるだけだ。点検や清掃用の口として使われるのだろうか。
二股に高低差が加わると、こんな感じに。広尾を流れていたいもり川の暗渠沿いの崖。白い擁壁に並ぶ水抜きの穴と相俟って、抽象的風景となっている。ちなみに天辺の継ぎ手は「90度大曲りY型」のようだ。
こちらは2つの継ぎ手を組み合わせた事例。世田谷区松原を流れていた北沢川支流の暗渠である。川が流れていた頃からあったであろう、苔むした古い擁壁から飛び出した排水管は、暗渠の風景に溶け込み、アクセントを添えている。ここでは「90度大曲りY型」継ぎ手に直線の配管をつないで高低差を補い、さらに別の継ぎ手で少し曲がってから路面下にもぐりこんでいる。この少し曲がっている継ぎ手は「45度エルボ」と呼ばれるタイプのものだ。
そしてこちらは参宮橋の「春の小川」こと河骨川の暗渠上に突き出た排水管。奇怪な形状となっているが、よく見てみると「45度Y型」「90度Y型」「90度大曲エルボ」の3つの継ぎ手を組み合わせていることがわかる。
こちらはさらに継ぎ手が増え、5つ。擁壁から出た2本の「90度大曲りエルボ」を「90度Y型」と「90度大曲りエルボ」で横向きに1本に集約し、さらに「90度大曲りエルボ」と直線の配管で地下へとつないでいる。ここまでくるとちょっとメカニカルになり過ぎで風情は薄まる。これもまた古戸越川の打ち棄てられた暗渠沿い。
以上、もっともらしく継ぎ手の名称を記したりて、いくつか事例を挙げてきたが、個人的には特に継ぎ手のパーツ自体に興味があるというわけではない。継ぎ手や排水管が暗渠のほとりに存在するにいたった経緯を想うとき、そこになんともいえぬ感慨を覚えるのである。個人的な体験を記してこの文章の終わりとしよう。冒頭の場所、烏山川上流の暗渠に戻る。いくつもの継ぎ手が路面近くにひっそりと飛び出しているこの光景が成立したのはそれほど昔のことではない。
20年ほど前にこの場所を訪れたとき、川はまだ暗渠にはなっておらず、コンクリート張りの水路が住宅の裏手の合間を流れていた。かつて世田谷の水田を潤した烏山川の源流のひとつであったその水路に流れていたのはしかし、濁った排水であり、その姿はもはや川と呼べるような状態ではなかった。数年後、川は埋め立てられ、下水管が敷設された暗渠となっていた。無残な川の姿を見ないで済んだことに、ある意味ほっとした自分がいた。そのほとりに並ぶ排水管の継ぎ手は、川の最期の姿を思い出させ、地下に収まりきらなかった暗渠の哀しみの表出であるように思えた。
面白うて やがて悲しき 継ぎ手かな
というわけで、最後におまけ。世田谷区弦巻の、蛇崩川暗渠の緑道に大量に並ぶ巨大な継ぎ手のオブジェ。暗渠と継ぎ手のただならぬ縁を意識してつくられたものかどうかはわからない。
(蛇崩川)
蛇崩川だけに、蛇足でした。
おあとがよろしいようで。
冒頭の写真は世田谷区を流れていた烏山川の暗渠の最上流部。未舗装の道が暗渠(川を埋め立てた跡)なのだが、その暗渠沿いの段差から突き出して、向きを下に変え、暗渠の路面下へと潜っていく排水管がいくつか見える。
くいっと曲がっているパーツは「継ぎ手」という。壁面や地中に埋め込められずに露出しているのには、おのおのの場所により事情があるのだろうが、このように排水管が突き出している風景は、暗渠沿い以外ではあまり目にすることがないように思える。
これなら他の記事のテーマとも被らないし、通常見向きもされないという意味では「外蛇口」や「換気口」に匹敵するかもしれない。暗渠好きの間でも、いわば「暗渠サイン」としての認識はされていても、これ自体に着目する人はあまりいないようだ。ということで、今回はこの「突き出した排水管の継ぎ手」について取り上げてみようと思う。なお、以下の事例はいずれも東京都内のものである。
早速、事例を見ていこう。下の写真も烏山川の暗渠で見られた継ぎ手群だ。継ぎ手には口の数と曲がり方とその角度によっていくつかタイプがある。曲線で90度曲がるタイプは「90度大曲りエルボ」と呼ばれている。肘、だ。道端に、突き出した肘が並ぶ風景、ということになる。
次は品川区豊町と西品川の、古戸越川の暗渠における事例。古びた大谷石の擁壁から突き出した継ぎ手は、暗渠の路面まで高低差があるため、直線の配管をつないで、暗渠の路面まで下ろされている。一般的には塩化ビニール製のものが多いが、右側の写真のように古そうな陶器製のものも散見される。
エルボ型以外に、継ぎ手の先が二股に分かれているものが、ぽっこりと飛び出しているものもよく見かける。下の事例は大田区仲池上、呑川支流の暗渠。わざわざレンガ敷き風の歩道にしているところに、強烈な違和感を持ち込んでいる。このタイプの継ぎ手は「90度Y型」と呼ばれている。T字型なのだけど、Y型。ふつうなら配管の分岐に使われるのだろうが、片方の側は蓋がしてあるだけだ。点検や清掃用の口として使われるのだろうか。
二股に高低差が加わると、こんな感じに。広尾を流れていたいもり川の暗渠沿いの崖。白い擁壁に並ぶ水抜きの穴と相俟って、抽象的風景となっている。ちなみに天辺の継ぎ手は「90度大曲りY型」のようだ。
こちらは2つの継ぎ手を組み合わせた事例。世田谷区松原を流れていた北沢川支流の暗渠である。川が流れていた頃からあったであろう、苔むした古い擁壁から飛び出した排水管は、暗渠の風景に溶け込み、アクセントを添えている。ここでは「90度大曲りY型」継ぎ手に直線の配管をつないで高低差を補い、さらに別の継ぎ手で少し曲がってから路面下にもぐりこんでいる。この少し曲がっている継ぎ手は「45度エルボ」と呼ばれるタイプのものだ。
そしてこちらは参宮橋の「春の小川」こと河骨川の暗渠上に突き出た排水管。奇怪な形状となっているが、よく見てみると「45度Y型」「90度Y型」「90度大曲エルボ」の3つの継ぎ手を組み合わせていることがわかる。
こちらはさらに継ぎ手が増え、5つ。擁壁から出た2本の「90度大曲りエルボ」を「90度Y型」と「90度大曲りエルボ」で横向きに1本に集約し、さらに「90度大曲りエルボ」と直線の配管で地下へとつないでいる。ここまでくるとちょっとメカニカルになり過ぎで風情は薄まる。これもまた古戸越川の打ち棄てられた暗渠沿い。
以上、もっともらしく継ぎ手の名称を記したりて、いくつか事例を挙げてきたが、個人的には特に継ぎ手のパーツ自体に興味があるというわけではない。継ぎ手や排水管が暗渠のほとりに存在するにいたった経緯を想うとき、そこになんともいえぬ感慨を覚えるのである。個人的な体験を記してこの文章の終わりとしよう。冒頭の場所、烏山川上流の暗渠に戻る。いくつもの継ぎ手が路面近くにひっそりと飛び出しているこの光景が成立したのはそれほど昔のことではない。
20年ほど前にこの場所を訪れたとき、川はまだ暗渠にはなっておらず、コンクリート張りの水路が住宅の裏手の合間を流れていた。かつて世田谷の水田を潤した烏山川の源流のひとつであったその水路に流れていたのはしかし、濁った排水であり、その姿はもはや川と呼べるような状態ではなかった。数年後、川は埋め立てられ、下水管が敷設された暗渠となっていた。無残な川の姿を見ないで済んだことに、ある意味ほっとした自分がいた。そのほとりに並ぶ排水管の継ぎ手は、川の最期の姿を思い出させ、地下に収まりきらなかった暗渠の哀しみの表出であるように思えた。
面白うて やがて悲しき 継ぎ手かな
というわけで、最後におまけ。世田谷区弦巻の、蛇崩川暗渠の緑道に大量に並ぶ巨大な継ぎ手のオブジェ。暗渠と継ぎ手のただならぬ縁を意識してつくられたものかどうかはわからない。
(蛇崩川)
蛇崩川だけに、蛇足でした。
おあとがよろしいようで。
- 本田創 (ほんだ・そう)
- 東京の水2009Fragments
- 1972年、東京都生まれ。小学生の頃祖父に貰った1950年代の東京区分地図で川探索に目覚め、実家の近所を流れていた谷田川跡の道から暗渠の道にハマる。
1997年より開始したウェブサイト「東京の水」は現在"東京の水2009Fragments"として展開中。
2010年、「東京ぶらり暗渠(あんきょ)探検 消えた川をたどる! (洋泉社MOOK)」に執筆。
日本最南端の島の地理や民俗を紹介するサイト「波照間島あれこれ」も主宰。