
大塚グループの琺瑯看板にはタレントの顔をプリントしたものが多くある。
これまでに由美かおるの「アース渦巻」、水原弘の「ハイアース」、松山容子の「ボンカレー」についてウンチクを並べてきた。
大御所ともいえる大村崑の「オロナミンCドリンク」と、浪花千栄子の「オロナイン軟膏」はいずれ触れるとして、今回は、これら大塚系以外の顔モノ看板をいくつか紹介してみたい。
演歌の女王・美空ひばりの「金鳥」
美空ひばりの「金鳥」はホーローマニアの中でも垂涎の収集アイテムだ。ネットオークションでも高値で取引されているだけに、近年、急速に姿を消している看板のひとつといっていいだろう。
有名なのは「金鳥の夏、日本の夏」というテレビCMでのフレーズ。彼女を起用した「花火編」が流れたのは昭和42年。以後、すだれ編(43年)、日本の祭り編(44年)、縁日編(45年)、屋形船編(46年)、沖縄編(47年)、友禅流し編(48年)、いかだ編(49年)と、7年間続いたという。
さて、あの頃は都会で暮らしていたにもかかわらず、やたらと蚊が多かった。下水道の側溝にもどぎつい赤色をしたボウフラがクネクネと泳いでいたし、夏の夜は就寝前にポンプ式のアースで部屋中の蚊を退治して、かとりせんこうに火をつけてから蚊帳を吊るというのが当たり前だった。
近くの川べりで採ってきたホタルを蚊帳の中に放ち、吐息のような淡い点滅を指で追いながら、それこそ宇宙空間にいるような幸せな錯覚に浸って眠りにつくことができた。
今となっては懐かしい思い出である。
トップ写真の看板は、2006年1月、大阪府で見つけた。神社の参道にある古い雑貨屋さんの軒下にさりげなく掛かっていたが、しかし、そこは美空ひばり。死してなおオーラは消えず、参拝客の誰もが気づくほどの存在感だった。
YouTubeから流れる映像、「愛燦々」を歌う姿を見るたびに不覚にも涙が込みあげてくる。
昭和を代表する演歌の女王・美空ひばりは、夏でも冬でも浴衣姿のまま、雑踏の商店街の軒下や田舎の土蔵の壁からいつまでも微笑んで、“日本の夏”を見ていくのだろうか…。

確かにアイドルだった、シェリーの「サクラカラー」
ネットで調べてみるとシェリーのプロフィールはこうある。1957年生まれ。東京都出身。1974年、日本テレビ「噂のチャンネル」に出演。歌、ドラマ、司会でアイドルとなった。一時芸能界を離れていたが、1996年女性セブン連載「私の失楽園」を契機にブラウン管に復帰。
僕がシェリーを知ったのは、おそらく1974年のデビューからだ。“♪ここからジュースを飲んだらダメ~よ~”の出だしから始まる「甘い経験」は当時、高校に入学したばかりの僕にとっては鮮烈なフレーズだった。「うーん、飲みたいっ!!」。あの頃はうぶだった…(笑)。
今でもよく覚えているのだが、当時の彼女はハーフらしく透き通るような肌が印象的だった。小柄なので繊細で病的なイメージもあって、荒井由美ではないが、“守ってあげたい”代表選手のようなアイドルだった。
当時、爆発的に人気があったのは、花の高一トリオと呼ばれた山口百恵・桜田淳子・森昌子だったが、僕はどちらかというと、メジャー系よりもB級アイドル路線で、シェリーを始め、木ノ内みどり(竹中直人の奥さんですねぇ)、岡田奈々、大場久美子、小林麻美といったところがごひいきだった。レコードまで買うことはなかったけど、仲間が集まって試験勉強の合間にカップヌードルでもすすっていると、誰からともなく…
「お前、誰がいいんや?」
「俺は、小林麻美だがや」(名古屋弁丸出し)
「岡田奈々は岐阜市出身やろ、今度待ち伏せするか」
…なんていう、軽薄なセリフがポンポン飛び出していた。
しかし、シェリーの順位は低かったような気がする。だが、僕らにとっては気になる存在だったことは確かだ。
学校からの帰り道、両手をズボンのポケットに入れて、少しうつむき加減にして“♪ここからジュースを飲んだらダメ~よ~”なんて、そこばっかし繰り返しながら、家路に着いたことを覚えている(笑)。
…確かにアイドルだった、シェリー。今では看板の中でしか見ることができないけど、達者で頑張っていることを祈りたい。
(トップ写真は2006年1月、奈良県で撮影。2008年4月消失確認)

「ハヤシもあるでょぉ~」…南利明の「ジンセンアップ」
「元気グングン、ジンセンアップ」…明らかに崑ちゃんのオロナミンCを真似たフレーズである。ジンセンアップは1979年にコスモフーズから発売された高麗人参入りのドリンク。現在でも「ジンセンアップ100」という名称で売られているようだが、詳細は不明。
タレントは南利明。名古屋弁丸出しで一世を風靡したコメディアンである。僕の記憶では、南利明は強烈なイメージとして残っている。昭和44年に発売されたオリエンタルのスナックカレーのCMだ。
「めっちゃめちゃ、うめぇでかんわ~オリエンタルのスナックカレー~、たった3分温める(ぬくとめる)だけ、肉や野菜がいっぺぇへっっとるでょぉ~、みんなウハウハウハウハ喜ぶよ~、オリエンタルのスナックカレー、ハヤシもあるでょぉ」
…こんな下品な(?)丸出しの名古屋弁が、ブラウン管を通して彼の口からポンポン出てきたからおかしかった。
名古屋以外で放映されたかどうか分からないが、通学の道すがら、ランドセルを背負った悪ガキどもと、おどけながら何度も口ずさんだことを思い出した。あれから40年以上経ったというのに、いまだに覚えている自分が怖い(笑)。

彼を使ったジンセンアップの看板は背景が白と緑の2種類が知られている。ホーロー加工をしていないので、現存するほとんどが経年とともに褪色が進行しているようだ。上の右の写真は、みちくさ学会講師「鍾馗さん」担当のKiteさんに情報提供いただき撮影したもの。
…さて、こんなにおかしかった南利明、1995年に鬼籍に入った。享年70歳。
(トップ写真は2007年5月、福島県で撮影)

- つちのこ
- 琺瑯看板探険隊が行く
- 1958年名古屋生まれ。“琺瑯看板がある風景”を求めて彷徨う日々を重ねるうちに、「探検」という言葉が一番マッチすることを確信した。“ひっつきむし”をつけながら雑草を掻き分けて廃屋へ、犬に吼えられながら農家の蔵へ、迫ってくる電車の恐怖におののきながら線路脇へ、まさにこれは「探検」としか言いようがないではないか。