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わたしが角のたばこ屋を鑑賞していて気がついたことのひとつに「角のちがい」というものがある。
一言に「角」とはいえ、愚直なまでに直線的な「角」があれば、艶やかで官能的とも思えるような「柔らかな角」もある。前者を男性的とすれば、後者は女性的。この観点から見れば、たとえば上記画像のたばこ屋はじつに女性的である、ということが言える。もちろん、ただ歩道と車道を分ける白線が大きくカーブを描いていることが、視覚的に「柔らかな角」の印象を与えるというだけではなく、建物の色が「夏の海で日焼けした小麦色の肌」を想起させる、ということも理由のひとつである。ひと夏のアバンチュールというものがこの世の中にあるとすれば、このたばこ屋はそれを経験し、ひと皮もふた皮もムケた状態で新学期を迎えた女学生のような面持ちで、今この場所に存在しているのかもしれない。わたしは「きっとそういうことなのだろう」「いや、そうにちがいない」と、画像の右下に何気なく写りこんでいるハトの視点で、それをただぼんやりとながめているのだ。

しかしわたしはなぜこんなことを一生懸命に説明しているのか。それはたばこ屋鑑賞の醍醐味のひとつに「妄想する楽しみ」があるからだ。角のたばこ屋を見るだけで、そこからいくつものストーリーが広がっていく。あることないこといくらでも考えたらいい。妄想は角のたばこ屋を楽しむひとつの方法でもあるのだ。

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これは直線的な角にあるたばこ屋である。前述の流れからいえば、男性的なたばこ屋ということになる。たばこ銘柄「KOOL」との関係性により、大々的にそれがフィーチャーされた店舗となっているが、見るべき点は建物とたばこ屋自体の色味のマッチングにある。これを「調和型」とわたしは呼ぶ。じつはたばこ屋はビルのデザインや雰囲気と一体化したようなものは少なく、八百屋やコンビニエンスストアなどに間借り、もしくは同居している形が圧倒的に多い。その場合は申し訳程度に存在しているか、明らかに異質の何かがくっついているというちぐはぐな印象を持たせるものとなるため(それはそれで魅力的なのだが)、こうしてすっきりと「調和」している物件は大変貴重であるとも言える。

<調和>
全体がほどよくつりあって、矛盾や衝突などがなく、まとまっていること。また、そのつりあい。「―を保つ」「周囲と―のとれた建造物」「精神と肉体が―する」(デジタル大辞泉より)

たとえばこれを企業人に置き換えると、社内において上司とも部下ともバランスよく付き合い、角が立つことは一切言わず(角のたばこ屋なのに)、クライアントとも波風を立てずに交渉ごとを行うことができ、合コンにおいても調整役を買って出て、浮いた話もないわけではないが、相手を取り合うなど他人から反感を買うようなことはせず、なにごともそつなく、無難に、ことを穏便に、すべてを「調和」の方向に持っていくことができる“男性”ということになる。

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ここで前述の女性的たばこ屋と男性的たばこ屋を合体させることにより“結婚”を試みるとどうなるか。写真のアングルもあるが、おどろくべきことに入口部分が完全に一致した。これはおそらく相性が良い二人である。きっと明るい家庭を築いてくれるにちがいないし、元気な子どもをたくさん産んでくれることだろう。二人は今、ここに新たな人生を歩みだしたと言ってもいいのかもしれない。

角のたばこ屋には性別がある。性別があるということは、わたしたちと同様に生きているということでもある。人の数ほど人生があるのと同様に、たばこ屋の数ほどドラマがあるとすれば、わたしは角のたばこ屋を見続けることで、どこかもっともっと深いところへいけるような気がしているのだ。

今回は角のたばこ屋に対する「妄想的な視点」を提案した。次回は現実に立ち返ることで、より「ミクロな視点」を提案していくつもりである