
古い街並みをあちらこちらみちくさしながら最後に銭湯にたどり着く。
今回は旧中山道の宿場町として知られる埼玉県の深谷市を歩いてきました。
深谷は現在ではネギの産地としてしられていますが、江戸期には旧中山道の宿場町として栄え、天明年間には旅籠が80軒もあったということです。
現在でもその名残が残る古い街並み見ることが出来ます。
今回は仕事での訪問だったのですが、古い街並みを見て歩くために一泊して見ることにしました。
まずは深谷駅。
この東京駅を模したような立派な建物は実は古い建物ではありません。
1887年(明治20年)には深谷煉瓦製造株式会社が設立され、ドイツから輸入した当時最新式のホフマン釜で質の高い煉瓦が生産されていました。
この煉瓦を使用して東京駅や赤坂離宮などが建てられたのに因んで1996年(平成8年)に完成した東京駅の丸の内側駅舎をモデルにした赤煉瓦風のもので、1999年(平成11年)には関東の駅100選のひとつに選ばれています。
この様なレトロ建築風な建物でありながら、現代の駅に多く採用されている橋上駅として造られたので特徴的な構造をしています。
さて、それでは駅を出て旧街道に進みます。
駅を出て北へ。
しばらく行くと仲町という交叉点がありますが、この左右両側にそれぞれ1キロほど続くのが旧中山道深谷宿です。
興味の無い人から見れば、ただの地方都市の古い商店街という感じですが、古い商家や煉瓦造りの煙突をもつ造り酒屋など大小様々、なかなか古くてあじのある建物が残されています。

▲ここは中山道より1本入った路地、菊泉という酒を醸造している造り酒屋の滝澤酒造。
立派な煉瓦蔵と煙突が目立つ大きな建物。
宿場町の西側に建っています。

▲この三階建て煉瓦倉庫の建物は金物屋の旧・柳瀬商店倉庫。
現在は深谷れんがホールとして使われています。

▲仲町會館。
現在は西島町に入っている地域ですが旧町名の町内会館が残されています。
結構古い洋風建築物。近くには仲屋湯という銭湯もあります。
しかしながらまわりは再開発のためなのか更地が目立ち、この建物もポツンと残っているという感じでした。

こちらは小林商店。
洋風建築の建物に煉瓦造りの蔵、おまけにトマソンまで。
なかなか見応えのある物件でした(笑)
洋風部分の木造モルタル造り三階建ては昭和二年建築、煉瓦蔵は大正元年築だということです。
ちょうど行われていた深谷七夕祭りのための飾りが下がっています。
色々見て歩いているうちに夕暮れが迫ります。
まずは腹ごしらえをして、その後に風呂屋です。
風呂屋のすぐ近くにある食堂、伊勢屋。

昭和13年創業の古い商家造りの建物で隣との境の煉瓦の防火壁が古さを物語っています。
中も外もホントに昔ながらの大衆食堂という感じのお店。
ここで出すカレーライスも今ではなかなか見ない懐かしいまっ黄色なカレーなのでした。
さてさて、ここでいよいよみちくさの仕上げの銭湯です。
今回入ったのは「姫の湯」。
古い街なみの残る旧中山道からちょっと入った路地裏にある昔ながらの銭湯です。
手前に5台くらいの駐車スペースがあり、その奥が暖簾のかかった入口になっています。
エントランスは四角いモルタル製のファッサードに屋号の姫の湯の文字。
暖簾は夏らしい色合いの図柄のものが掛かっています。

入口を入ると突き当たり正面に山の描かれたタイル絵があります。
右手が男湯側入口。
下足箱は旧型さくら鍵が付いているフタを開けると奥に傘を差し込む穴のあるクラシックなタイプの物。
そこの33番に靴をしまってから引き戸を開けて中に入ります 。
脱衣場は番台形式なのですが利用されておらず、男湯側の番台脇に腰掛けてテレビを見ているご主人に料金を支払います。
脱衣場は高い天井に少しばかり簡易的な格天井、四方が漆喰塗りの折り上げになっています。
天井からは懐かしい天井扇がまわっています。
天板の部分は老朽化していますが、それもレトロ銭湯の趣きとなっています。
外壁側に造り付けの横に長いロッカーが並び、床にはかなりの数の脱衣カゴも積まれています。
入口側のガラス戸外には濡縁があり、外には岩を配された池のある坪庭になっています。
さて浴室。
天井はかまぼこ型の体育館風な半円アーチに丸い湯気抜きが4つ。
奥壁にはかなり年季の入ったペンキ絵があり、富士山と湖の図柄が描かれています。
現在東京周辺で見られる絵師の物とは違う古い作品のようでした。
その下には深浅2槽の浴槽。
熱めの湯が満たされていて、浅い浴槽側だけジェットの仕掛けというシンプルな物。
カランは両サイドと鏡もないシンプルなタイプの島カラン1基。
男女境壁側から5.4.4.4の配列になっています。
暑い季節につき開け放たれた窓から風が入ってきて心地よい。
昔の姿そのままに残る深谷の名銭湯なのでした

姫の湯
埼玉県深谷市西島4-3-59
営業時間15:00~23:00 定休日 毎週月曜日

現在でもその名残が残る古い街並み見ることが出来ます。
今回は仕事での訪問だったのですが、古い街並みを見て歩くために一泊して見ることにしました。
まずは深谷駅。
この東京駅を模したような立派な建物は実は古い建物ではありません。
1887年(明治20年)には深谷煉瓦製造株式会社が設立され、ドイツから輸入した当時最新式のホフマン釜で質の高い煉瓦が生産されていました。
この煉瓦を使用して東京駅や赤坂離宮などが建てられたのに因んで1996年(平成8年)に完成した東京駅の丸の内側駅舎をモデルにした赤煉瓦風のもので、1999年(平成11年)には関東の駅100選のひとつに選ばれています。
この様なレトロ建築風な建物でありながら、現代の駅に多く採用されている橋上駅として造られたので特徴的な構造をしています。
さて、それでは駅を出て旧街道に進みます。
駅を出て北へ。
しばらく行くと仲町という交叉点がありますが、この左右両側にそれぞれ1キロほど続くのが旧中山道深谷宿です。
興味の無い人から見れば、ただの地方都市の古い商店街という感じですが、古い商家や煉瓦造りの煙突をもつ造り酒屋など大小様々、なかなか古くてあじのある建物が残されています。

▲ここは中山道より1本入った路地、菊泉という酒を醸造している造り酒屋の滝澤酒造。
立派な煉瓦蔵と煙突が目立つ大きな建物。
宿場町の西側に建っています。

▲この三階建て煉瓦倉庫の建物は金物屋の旧・柳瀬商店倉庫。
現在は深谷れんがホールとして使われています。

▲仲町會館。
現在は西島町に入っている地域ですが旧町名の町内会館が残されています。
結構古い洋風建築物。近くには仲屋湯という銭湯もあります。
しかしながらまわりは再開発のためなのか更地が目立ち、この建物もポツンと残っているという感じでした。

こちらは小林商店。
洋風建築の建物に煉瓦造りの蔵、おまけにトマソンまで。
なかなか見応えのある物件でした(笑)
洋風部分の木造モルタル造り三階建ては昭和二年建築、煉瓦蔵は大正元年築だということです。
ちょうど行われていた深谷七夕祭りのための飾りが下がっています。
色々見て歩いているうちに夕暮れが迫ります。
まずは腹ごしらえをして、その後に風呂屋です。
風呂屋のすぐ近くにある食堂、伊勢屋。

昭和13年創業の古い商家造りの建物で隣との境の煉瓦の防火壁が古さを物語っています。
中も外もホントに昔ながらの大衆食堂という感じのお店。
ここで出すカレーライスも今ではなかなか見ない懐かしいまっ黄色なカレーなのでした。
さてさて、ここでいよいよみちくさの仕上げの銭湯です。
今回入ったのは「姫の湯」。
古い街なみの残る旧中山道からちょっと入った路地裏にある昔ながらの銭湯です。
手前に5台くらいの駐車スペースがあり、その奥が暖簾のかかった入口になっています。
エントランスは四角いモルタル製のファッサードに屋号の姫の湯の文字。
暖簾は夏らしい色合いの図柄のものが掛かっています。

入口を入ると突き当たり正面に山の描かれたタイル絵があります。
右手が男湯側入口。
下足箱は旧型さくら鍵が付いているフタを開けると奥に傘を差し込む穴のあるクラシックなタイプの物。
そこの33番に靴をしまってから引き戸を開けて中に入ります 。
脱衣場は番台形式なのですが利用されておらず、男湯側の番台脇に腰掛けてテレビを見ているご主人に料金を支払います。
脱衣場は高い天井に少しばかり簡易的な格天井、四方が漆喰塗りの折り上げになっています。
天井からは懐かしい天井扇がまわっています。
天板の部分は老朽化していますが、それもレトロ銭湯の趣きとなっています。
外壁側に造り付けの横に長いロッカーが並び、床にはかなりの数の脱衣カゴも積まれています。
入口側のガラス戸外には濡縁があり、外には岩を配された池のある坪庭になっています。
さて浴室。
天井はかまぼこ型の体育館風な半円アーチに丸い湯気抜きが4つ。
奥壁にはかなり年季の入ったペンキ絵があり、富士山と湖の図柄が描かれています。
現在東京周辺で見られる絵師の物とは違う古い作品のようでした。
その下には深浅2槽の浴槽。
熱めの湯が満たされていて、浅い浴槽側だけジェットの仕掛けというシンプルな物。
カランは両サイドと鏡もないシンプルなタイプの島カラン1基。
男女境壁側から5.4.4.4の配列になっています。
暑い季節につき開け放たれた窓から風が入ってきて心地よい。
昔の姿そのままに残る深谷の名銭湯なのでした

姫の湯
埼玉県深谷市西島4-3-59
営業時間15:00~23:00 定休日 毎週月曜日

- まぁやぁ
- 銭湯と路地裏散歩な日々
- 銭湯wiki
- 1960年、東京生まれ埼玉育ち。現在は神奈川県藤沢市に在住。小さい頃は風呂屋のペンキ絵が描きかえられるのを心待ちにしていた子供でした。
現在は路地裏散歩と居酒屋徘徊を趣味としており、産業遺産ならぬ生活遺産に興味を抱き銭湯や古建物などを見て巡っております。
座右の銘は遠い温泉より近くの銭湯、かな。