20100701
待ちかねた春を謳歌するように、薄紅色の桃と、りんごの白い花が高原を淡く染め上げる。
山ノ内町にある長野電鉄上条駅のホームに立つと、風に乗った甘い香りが鼻孔をくすぐった。
ホーローの旅に出て四日目。僕は駅舎の横にある巨大な蔵に目を奪われていた。漆喰の黒壁には「建物更生共済」「農協生命共済」「ケンシポマード」の看板が整然と並んでいる。その傍らを、桃を連想するピンクとクリーム色のツートンカラーの電車がトコトコと走っていく。
…何十年も同じ風景を繰り返し見てきたのだろうか。そんなことを思うと、“看板偏愛”に侵されている我が身には、ちょっとばかし胸に迫ってくるものがある。“生き証人”ともいえる看板たちが辿ってきた歴史の重みを、冷んやりとした金属の感触を通して確かめたくて、思いっきり背伸びをして手を伸ばしてみたが、ついぞ触れることはできなかった。
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更にもうひとつ手の届かない位置にある看板を見つけた。湯田中の温泉街から中野市に向かう途中の民家にあった「虫さされかゆみ・ムヒ」。
越中の売薬商人池田嘉市郎によって創業された池田模範堂の製品として今でこそ世界的なロングセラーになっているが、昭和30年代の販売戦略は、販路を拡大するために足で歩いた“売薬さん”による行商と、農村に貼られた琺瑯看板が主力だったという。たった一枚の看板であるが、辿ってみると、その背景には人々の努力と歴史の重みが隠れている。
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真夏を思わせる突き刺すような暑さに辟易しながら、小布施町から長野市に抜けた。
ここからは清酒の醸造元を中心に回っていく。あくまで私見であるが、絶滅しつつある琺瑯看板の“終の棲家”ともいうべき場所は、酒蔵だと思っている。蔵それぞれの味を守り続けることと銘柄に対する思い入れは、その銘を刻んだ琺瑯看板がシンボルとなって掲げられていることでも分かる。看板を探すポイントとして酒蔵にこだわるのはそんな理由からだ。
この日は八つの蔵を回って、四ヶ所で琺瑯看板を見つけた。中でも西飯田酒造(長野市)の「優等清酒信濃光」は、杉玉が下がる重厚な門扉に貼られていた。蔵の歴史と銘柄の主張を感じる、優れたデザインの逸品である。
また、千野酒造場(長野市)にあった「銘酒桂正宗」も小粒でピリリとした看板だ。この蔵を訪れた人のどれだけが気づくだろうか。手のひらに隠れてしまいそうな大きさだった。
20100705

さて、信州のホーロー探検もそろそろ終わりだ。山の端に落ちる陽のまぶしさに目を細めながら、ハンドルを握る。
信州新町から小川村への道はさすがに山深い。急な斜面にへばりつくような集落が、現れては消えていく。長旅の運転疲れが響いて持病の腰痛が気になりだした頃、鬼無里へ向かう辻で出遭った廃商店が素晴らしかった。
店の前には「明治スカット」の木製ベンチが置かれ、何事もなかったかのように、頑なに、ひっそりと、静かに悠久の時を刻んでいた。
…こんなレトロな空間、出遭っただけでもホーロー探検冥利に尽きるというものだ。
20100706


  • つちのこ「琺瑯看板」運営
  • 琺瑯看板探険隊が行く
  • 1958年名古屋生まれ。“琺瑯看板がある風景”を求めて彷徨う日々を重ねるうちに、「探検」という言葉が一番マッチすることを確信した。“ひっつきむし”をつけながら雑草を掻き分けて廃屋へ、犬に吼えられながら農家の蔵へ、迫ってくる電車の恐怖におののきながら線路脇へ、まさにこれは「探検」としか言いようがないではないか。