朝日湯
古い街並みをあちらこちらみちくさしながら最後に銭湯にたどり着く。
今回は横浜・鶴見区の生麦、旧東海道沿いを歩いてみました。
今回は銭湯の他、史跡もありも鉄分もありと、いつもよりは皆さまに楽しんでいただけるのではと思います(笑)
さて、生麦といえば幕末に天下を揺るがす大事件(生麦事件・薩摩藩士による英国人殺傷事件)が起こったことで教科書にも載っているわりに有名な地名でありますが、もともとは東海道沿いの海に臨んだ寒村でありました。
江戸の二代将軍・徳川秀忠の一行がこの地を通る時、ぬかっていた街道を通り易くするために地元の民が生麦を刈り取り道に敷き詰めて通行の助けをしたことから将軍より「生麦」の地名を与えたというのが当地の由来とのことでした。

この旧東海道は京浜急行の生麦駅の南西、キリンビール横浜工場の辺りから国道15号と分岐する形で今も残っています。
そしてこのキリンビールの入口のすぐ脇に生麦事件の碑が建っています。
02 生麦事件碑
生麦事件は文久2年8月21日(1862年9月14日)に当地、武蔵国橘樹郡生麦村付近において薩摩藩主の父・島津久光の行列に迷い込んだ騎馬のイギリス人を、供回りの藩士が殺傷した事件。

幕末の事件として歴史の教科書にも載っている有名な事件なのですが、実際にその地に立つと時代に流された僅かな痕跡しか見られません。
石碑に隣接する事件の際に刀を洗ったと伝えられる井戸の後にも小さな碑、というか目印の石標示もありますが、もともと建ち並ぶ家の間にあったこの表示も区画整理され取り壊された建物の敷地のフェンスに囲われた一画にちょこんと残されている状態で、気をつけないと見落としてしまうくらいの物。
これはもう保存されているというより、ただそこにあったので残されているだけという状態ですね。
03 生麦事件井ヂ跡
さて、生麦より少し先の鶴見まで脚を伸ばして、都会のローカル線ともいうべき趣きを楽しむためにJR鶴見線の海芝浦支線に乗って海芝浦駅まで行ってみることにします。

鶴見線は昔、私鉄の鶴見臨海鉄道として開業されました。
鶴見駅は現在でもその頃の名残でホームは西側の高架に独立していて京浜東北線ホーム側からは改札を通って入るようになっています。
スイッチパック型のレトロな駅構造は地方鉄道のような雰囲気を漂わせています。
04 鶴見駅
やってきた3両編成の電車に乗って駅と駅の間隔が短いため電車はゆっくりと進みます。
鶴見を発車してすぐ、車窓に鉄道遺跡が現れます。
05 本山駅跡
これは旧鶴見臨海鉄道の私鉄時代にあった「本山駅」ホームの遺構です。
さらに電車は国道駅~鶴見小野駅~弁天橋駅~浅野駅と進みます。
ここから線路は大きくカーブして海芝浦支線へ。
車窓の左手には運河が迫る路線を走っていきます。
やがて終点の海芝浦駅到着。
06 海芝浦
駅はすぐ横が海というこんな環境です。
電車は降りても駅からは出られませんが、ホーム終端の先に続く場所に「海芝公園」という小さな公園があります。
駅舎には飲み物の自販機とトイレもあるので安心です。
写真を撮ったりしているうちに乗ってきた電車の折り返し時間になります。
これに乗らないと1時間以上後にならないと次の電車は来ないので、乗ってきた乗客も全員電車にのります。
やがて電車は出発、鶴見駅へゆるゆると走っていきます。
鶴見~海芝浦4.7キロ、なんだか不思議な空間に小旅行した感じがします。
因みにこの公園は夜景を楽しむこともできるそうですが、平日は22:29、土休日は公園の閉園時間の20:30から25分後の20:55発の最終電車に乗らなければ帰れなくなりますのでご注意を。

帰りは鶴見のひとつ前の国道駅で下車してみます。
07 国道駅改札
高架下の国道駅は昭和5年の鶴見臨海鉄道としての開業当時よりほとんど改装されておらず昭和初期の風情を色濃く残しています。
その独特の雰囲気から映画やドラマなどの撮影にも何度も使われているようです。
08 国道駅
駅名の由来は外を通る第一京浜国道(国道15号線)からきていますが、その国道側に出ると左右の駅構造物には何箇所も窪みが見られます。
これは太平洋戦争中に米軍機の機銃掃射を受けた痕なのだそうです。

さて、この国道を横浜方面に少し歩くと右手に金属葺き入母屋屋根の銭湯が見えて来ます。
ここが黒湯の天然温泉を利用できる千代の湯(横浜市鶴見区生麦5-14-10)です。
この界隈は以前には黒湯の天然温泉を供する銭湯も多くあり、かつては鶴見温泉ともいわれておりました。
生麦は海辺の町としてもともと銭湯が多く建ち並ぶ地域。
かなりの近さで銭湯が隣接している銭湯密集地帯でした。
現在でも比較的多い数の銭湯が存在していますが、時代の流れとともに廃業が相次いでかなり減少してしまっております。
ところで筆者の自己紹介には「遠くの温泉より近くの銭湯」などと書いていますが、実は温泉も大好き。
その天然温泉が銭湯で楽しめるという素晴らしい風呂屋が今回の最終目的地であります。
09 千代の湯
さて千代の湯。
同湯は昭和23年築の昔ながらの銭湯。
以前は銭湯らしい金属製の高い煙突が立っておりましたが、近年の改装でガス化でもされたのか短く切り詰められておりました。
暖簾をくぐるとたたきの下足スペース、左手の下駄箱に靴をしまって右手の自動ドアから中に入ります。
ここもちょっと前までは昔ながらの番台の銭湯でしたが改装時にフロント化されて待ち合わせ用の休憩スペースも備えられています。
料金を入らって左手の暖簾の掛かる入口から男湯へ。
脱衣場はフロント化で少し狭くなったものの白く塗られた高い折り上げ付きの格天井。
時代物の天井扇が男女脱衣場に1基づつ下がっています。
外壁側にはサウナスペースが張り出しておりました。
さて浴室。
手前にはカラン列が並び、奥壁側に浴槽が並ぶ関東型レイアウトの構造。
奥壁には富士山のペンキ絵が描かれていました。
その下には3つに仕切られた浴槽が並び、左手の外壁側から低温風呂、高温風呂、中温風呂と書かれています。
このうち低温と高温の浴槽は地下150mよりと書かれており、濃い褐色の黒湯温泉が満たされています。
因みに低温風呂と書かれている方でも結構熱めの温度になっておりました。
中に入ると沈めた手がすぐに見えなくなる褐色の湯はすべすべ感があり、美肌効果もあるということでした。
浴槽のタイルは黒く色素が付着しており、その濃さがうかがえます。
レトロ銭湯で天然温泉が味わえるという無二の喜びを充分に堪能して上がります。

さて、そとはちっとも涼しくなりませんが熱い湯につかるとキリッとして後の爽やかさはなんとも気持ちの良いものです。

裏手の旧東海道をぶらぶらと歩くとやはり元は漁師街、鮮魚を扱う店が何軒も建ち並んでいます。
街角には色々な所に稲荷神社かせ見られたり、鶴見川沿いの貝殻の積もった川岸を歩いたりしながら生麦駅近くまでやって来ます。

実は先ほどの千代の湯で銭湯はシメかというとそうではありません。
ここで国道15号沿いに出てもう一軒の黒湯温泉銭湯、朝日湯(横浜市鶴見区生麦3-6-24)に入ります。
10 朝日湯夜
黒瓦の載った風格ある建物の屋根には温泉マークの輪郭にラジウムと朝日湯の文字の目立つ大きな看板がのっています(残念なことにこの看板は故障していて現在では点灯しないという事です)。
屋号入りのオリジナル暖簾をくぐると下足スペース、左手の男湯側から入って番台に料金を支払います。
脱衣場は高い折上げ付きの格天井。
広々としたレトロな空間が広がっています。
ロッカーは島ロッカー2基と外壁側の造り付け。
入口側の硝子戸の外には狭いながら坪庭になっています。

さて浴室。
浴室は中普請の際に新しく改装されており、同湯の外観から感じるほどのレトロ感はありません。
しかし明るくて快適な浴室になっています。
奥壁には渓谷の写真が貼られています。
その下は4つに仕切られた浴槽になっており、男女境壁側2槽は黒湯の温泉浴槽になっています。
白湯の浴槽は湯温が少し低め、黒湯槽は高めの設定で体感的には44度位かと思いましたが温度計は46度を指していました。
その左手は白湯のバイブラ付き浅浴槽、いちばん外壁側が深い座ジェット2基付きの浴槽になっています。
外壁側脱衣場寄りにはサウナ室があり、その隣には黒湯の源泉を湛えた水風呂があります。
カランは男女境壁側と島カラン2基。
外壁に近い方の島カランは内側のみのカラン配列になっています。

黒湯の温泉浴槽にのんびりつかり、さらに黒湯源泉の水風呂を心ゆくまで堪能いたしました。

普段はどちらかの銭湯の印象が薄くなってしまうという理由であまりはしご湯はしないようにしているのですが、今回はいずれも特徴的で優れた黒湯天然温泉の銭湯だったので2軒とも楽しんでしまいました。

いやぁ~遠くの温泉より近くの温泉銭湯、いいですね、かなり。


千代の湯

神奈川県横浜市鶴見区生麦5-14-10
営業時間14:30~22:30 定休日 不定休

朝日湯

神奈川県横浜市鶴見区生麦3-6-24
営業時間15:00~23:00 定休日 5.15.25日






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  • 銭湯wiki

  • 1960年、東京生まれ埼玉育ち。現在は神奈川県藤沢市に在住。小さい頃は風呂屋のペンキ絵が描きかえられるのを心待ちにしていた子供でした。

  • 現在は路地裏散歩と居酒屋徘徊を趣味としており、産業遺産ならぬ生活遺産に興味を抱き銭湯や古建物などを見て巡っております。

  • 座右の銘は遠い温泉より近くの銭湯、かな。