愛知県江南市は映画『20世紀少年』(堤幸彦監督2008~2009年)のロケ地となった町。調べてみると、昔ながらの面影を残す商店街は、嵐主演の映画『黄色い涙』(2007年)のロケにも使われたようだった。
春の兆しが色濃くなって、運動不足の体がウズウズしかけた頃、そんなレトロな町を訪ねてみることにした。
江南市役所の駐車場にクルマを置き、折りたたみ自転車で出発。久しぶりに乗る相棒は、メンテナンスが不十分なのか、ペダルを漕ぐたびにガタピシと揺れた。
駅前から放射状に延びる古知野新町通商店街に入ると、ロケで使われたという酒屋や食堂が軒を連ねていた。これで感動するわけでもないが、初めてホーロー看板探しで訪れた6年前と、いささかも雰囲気が変わっていないことに驚いた。
全国を旅していて、昭和の空気を肌で感じる商店街や町並みに出会うことは少なくない。しかし、幼い日、夕飯の買出しに出かける母に手を引かれ、わくわくしながら歩いた商店街の思い出をほうふつとさせる雰囲気にはめぐり合えないでいる。
僕が育った町の商店街は、コロッケを揚げる香ばしいラードのニオイや、美容院のシャンプーのニオイ、どこからか風に乗って漂ってくる蚊取り線香のニオイが混ざり、なんともいえない温かな、あかね色に染まった世界だった。
夏の日の夕刻には、ステテコとランニングシャツ一枚のおじさんたちが道端に縁台を出して、うちわを片手に賭け将棋に高じていたし、銭湯に入ると、桜吹雪の刺青をしたご隠居が鼻歌交じりでゆっくりと湯に浸かっていた。
乾物屋の暖簾の向こうから、ランドセルを背負った学校帰りの僕に、「のりちゃん、食べりゃぁ」(註1)と言いながら、新聞紙に包んだ“ういろう”(註2)をくれた金歯のおばちゃん。
「おめ、大きなったら、ぎょうさん稼がなあかんで」と、いつも決まったセリフを言って頭をなでてくれた漬物屋のオヤジ…40年も昔の風景が走馬灯のようによみがえってくる。
しかし、僕を育ててくれた商店街は、すでにない。
そんな思い出に浸りながら、懐かしいニオイのカケラを探して、『20世紀少年』の町を巡った。だが、現実の世界でセンチメンタルな風景を探すことがいかに滑稽なことかすぐに気づいた。シャッターが下りたままの商店や無人となった廃屋、ビルの壁に残された巨大なダンメン…そんな痛々しい風景がいやでも目に飛びこんでくる。
さらに、思い出のカケラどころか、50才を過ぎた中年オヤジに声をかけてくれる物好きな店主はいないし、商店街で行き交う人々は、スポーツタイプの自転車にまたがった闖入者には関わりたくないといった顔で、皆一様に忙しそうに過ぎていく。
人と人とのつながりが希薄になってきている時代に、昭和そのものの風景が残っていることだけでも奇跡的なのに、更にそこに住まう人々の心をも美化したことは、どうやら僕のエゴだったようだ。
そうした商店街や町の現実に反して、ホーロー看板は6年前に調査したときと同じで、一枚の消失もないまま残っていた。
こういうのは素直にうれしい。誰も持っていかないし、盗っていかない。そこにあるのが当然といった具合に、看板たちは控えめに余生を送っていたのだ。
更に、町並みが途切れた一角で、ずらりと並んだお酒の看板を見つけることができた。どうやら以前は酒屋だったようで、今となっては残された看板だけが往時の商売を忍ばせてくれる。名古屋や岐阜の蔵の銘柄が並んでいるところを見ると、それなりの規模の店だったかもしれない。
この日は、時間が経つにつれ一段と揺れがひどくなった自転車では走り回る気にもなれず、看板たちの無事を確認しただけでホーロー探検を終わらせた。
クルマを置いた駐車場までの帰途に、商店街に2軒あるという銭湯を訪ねてみた。見るからにレトロな雰囲気が漂う「広見湯」はすでに廃業しており、もう一軒の「栄温泉」は時間が早いのか、のれんがまだ出ていなかった。
タオルやヒゲソリの入浴セットを持ってきていたし、浪花節(今なら演歌かな)を唸る刺青のおじいちゃんを期待していただけに、ちょっとばかし、残念だった。
註1 “のりちゃん”とは、僕のことである・笑
註2 名古屋名物の餅菓子。「青柳ういろう」が有名。ぼよよ~んとした食感が特長。僕はあまり好きではない。
※今回見つけたホーロー看板たち
江南市役所の駐車場にクルマを置き、折りたたみ自転車で出発。久しぶりに乗る相棒は、メンテナンスが不十分なのか、ペダルを漕ぐたびにガタピシと揺れた。
駅前から放射状に延びる古知野新町通商店街に入ると、ロケで使われたという酒屋や食堂が軒を連ねていた。これで感動するわけでもないが、初めてホーロー看板探しで訪れた6年前と、いささかも雰囲気が変わっていないことに驚いた。
全国を旅していて、昭和の空気を肌で感じる商店街や町並みに出会うことは少なくない。しかし、幼い日、夕飯の買出しに出かける母に手を引かれ、わくわくしながら歩いた商店街の思い出をほうふつとさせる雰囲気にはめぐり合えないでいる。
僕が育った町の商店街は、コロッケを揚げる香ばしいラードのニオイや、美容院のシャンプーのニオイ、どこからか風に乗って漂ってくる蚊取り線香のニオイが混ざり、なんともいえない温かな、あかね色に染まった世界だった。
夏の日の夕刻には、ステテコとランニングシャツ一枚のおじさんたちが道端に縁台を出して、うちわを片手に賭け将棋に高じていたし、銭湯に入ると、桜吹雪の刺青をしたご隠居が鼻歌交じりでゆっくりと湯に浸かっていた。
乾物屋の暖簾の向こうから、ランドセルを背負った学校帰りの僕に、「のりちゃん、食べりゃぁ」(註1)と言いながら、新聞紙に包んだ“ういろう”(註2)をくれた金歯のおばちゃん。
「おめ、大きなったら、ぎょうさん稼がなあかんで」と、いつも決まったセリフを言って頭をなでてくれた漬物屋のオヤジ…40年も昔の風景が走馬灯のようによみがえってくる。
しかし、僕を育ててくれた商店街は、すでにない。
そんな思い出に浸りながら、懐かしいニオイのカケラを探して、『20世紀少年』の町を巡った。だが、現実の世界でセンチメンタルな風景を探すことがいかに滑稽なことかすぐに気づいた。シャッターが下りたままの商店や無人となった廃屋、ビルの壁に残された巨大なダンメン…そんな痛々しい風景がいやでも目に飛びこんでくる。
さらに、思い出のカケラどころか、50才を過ぎた中年オヤジに声をかけてくれる物好きな店主はいないし、商店街で行き交う人々は、スポーツタイプの自転車にまたがった闖入者には関わりたくないといった顔で、皆一様に忙しそうに過ぎていく。
人と人とのつながりが希薄になってきている時代に、昭和そのものの風景が残っていることだけでも奇跡的なのに、更にそこに住まう人々の心をも美化したことは、どうやら僕のエゴだったようだ。
そうした商店街や町の現実に反して、ホーロー看板は6年前に調査したときと同じで、一枚の消失もないまま残っていた。
こういうのは素直にうれしい。誰も持っていかないし、盗っていかない。そこにあるのが当然といった具合に、看板たちは控えめに余生を送っていたのだ。
更に、町並みが途切れた一角で、ずらりと並んだお酒の看板を見つけることができた。どうやら以前は酒屋だったようで、今となっては残された看板だけが往時の商売を忍ばせてくれる。名古屋や岐阜の蔵の銘柄が並んでいるところを見ると、それなりの規模の店だったかもしれない。
この日は、時間が経つにつれ一段と揺れがひどくなった自転車では走り回る気にもなれず、看板たちの無事を確認しただけでホーロー探検を終わらせた。
クルマを置いた駐車場までの帰途に、商店街に2軒あるという銭湯を訪ねてみた。見るからにレトロな雰囲気が漂う「広見湯」はすでに廃業しており、もう一軒の「栄温泉」は時間が早いのか、のれんがまだ出ていなかった。
タオルやヒゲソリの入浴セットを持ってきていたし、浪花節(今なら演歌かな)を唸る刺青のおじいちゃんを期待していただけに、ちょっとばかし、残念だった。
註1 “のりちゃん”とは、僕のことである・笑
註2 名古屋名物の餅菓子。「青柳ういろう」が有名。ぼよよ~んとした食感が特長。僕はあまり好きではない。
※今回見つけたホーロー看板たち
- つちのこ
- 琺瑯看板探険隊が行く
- 1958年名古屋生まれ。“琺瑯看板がある風景”を求めて彷徨う日々を重ねるうちに、「探検」という言葉が一番マッチすることを確信した。“ひっつきむし”をつけながら雑草を掻き分けて廃屋へ、犬に吼えられながら農家の蔵へ、迫ってくる電車の恐怖におののきながら線路脇へ、まさにこれは「探検」としか言いようがないではないか。