開業まであと1年を切った東京スカイツリー。今回は、その足元に佇む都営バスの「業平橋」バス停をご紹介します。
浅草から吾妻橋で隅田川を越える都営バスは、スカイツリーを左前方に捉えながら浅草通りを東へ進み、いよいよその雄姿が視界に納まりきらない距離まで近づくと、業平橋バス停に到着します。上空に突き刺さるように聳えるスカイツリーの、まさに足元に位置するバス停です。
バス停から北十間川の東武橋を越えると、スカイツリーへの玄関口として期待される業平橋駅があります。東武鉄道では、駅名を「とうきょうスカイツリー」に改称することを既に発表し、現在では大掛かりなリニューアル工事も進められていますが、私のような散歩者から見ると、昭和6年の東武鉄道浅草駅開業時からの伝統ある業平橋の駅名が失われることに、一抹の寂しさも感じてしまいます。
さて、駅名が改称されるとなると、バス停はどうなるのでしょうか。都営バスに「東京タワー」や「六本木ヒルズ」というバス停があるのと同様に、ツリーへの足としてバスをアピールするのであれば、業平橋バス停が「東京スカイツリー」と改称されても不思議ではありません。因みに、今月から東武バスが運行している上野~スカイツリー間の新路線バスは、業平橋駅西方の北十間川沿いに「東京スカイツリー前」バス停を設置しました。
そんなことを考えながら業平橋駅へと歩いていくと、東武鉄道の高架下に「業平橋駅前」バス停が。・・・そうです、都営バスにはもうひとつ、この駅前バス停がありました。駅名が改称される以上、こちらは必然的に「東京スカイツリー駅前」とならざるを得ないかと思いますが、そうなるとひとつ問題が。この駅前バス停は、三ツ目通りを南へ下って豊洲や銀座を経由して新橋まで行く路線の起点ともなっていますが、この路線の系統番号が「業10」なのです。東京の路線バスの系統番号は、「起点の頭文字+二桁の数字」という表記で概ね統一され、「業10」系統は業平橋駅の「業」を付した唯一の系統でもありますが、これが駅名改称となると、「ス10」とでもなるのでしょうか。都営バスでは伝統ある路線のひとつだけに、今後が気になります。
最後に、せっかく業平橋に来たので、スカイツリーばかりでなく、業平橋そのものを見ておきましょう。業平橋バス停から浅草方面に少し戻ると、浅草通りは大横川親水公園を跨ぎますが、ここに架かっている(いた)のが業平橋です。大横川は江戸期に開削された運河で、北十間川と深川方面を結んでいましたが、現在は墨田区内の大部分が埋め立てられ、親水公園として整備されています。大正期まで、橋の西詰に南蔵院という寺院があり、大岡越前のしばられ地蔵の逸話で知られていましたが、その境内に在原業平を祀った業平天神社があり、周辺の業平地名や橋名の由来となったといわれます。但し、隅田川の吾妻橋にも業平橋の別称があり、地名はそちらに因むとする説もあるようで、定かではありません。
業平橋から見える親水公園内の船の形の建物は、公園管理事務所とのこと。
バス停から北十間川の東武橋を越えると、スカイツリーへの玄関口として期待される業平橋駅があります。東武鉄道では、駅名を「とうきょうスカイツリー」に改称することを既に発表し、現在では大掛かりなリニューアル工事も進められていますが、私のような散歩者から見ると、昭和6年の東武鉄道浅草駅開業時からの伝統ある業平橋の駅名が失われることに、一抹の寂しさも感じてしまいます。
さて、駅名が改称されるとなると、バス停はどうなるのでしょうか。都営バスに「東京タワー」や「六本木ヒルズ」というバス停があるのと同様に、ツリーへの足としてバスをアピールするのであれば、業平橋バス停が「東京スカイツリー」と改称されても不思議ではありません。因みに、今月から東武バスが運行している上野~スカイツリー間の新路線バスは、業平橋駅西方の北十間川沿いに「東京スカイツリー前」バス停を設置しました。
そんなことを考えながら業平橋駅へと歩いていくと、東武鉄道の高架下に「業平橋駅前」バス停が。・・・そうです、都営バスにはもうひとつ、この駅前バス停がありました。駅名が改称される以上、こちらは必然的に「東京スカイツリー駅前」とならざるを得ないかと思いますが、そうなるとひとつ問題が。この駅前バス停は、三ツ目通りを南へ下って豊洲や銀座を経由して新橋まで行く路線の起点ともなっていますが、この路線の系統番号が「業10」なのです。東京の路線バスの系統番号は、「起点の頭文字+二桁の数字」という表記で概ね統一され、「業10」系統は業平橋駅の「業」を付した唯一の系統でもありますが、これが駅名改称となると、「ス10」とでもなるのでしょうか。都営バスでは伝統ある路線のひとつだけに、今後が気になります。
最後に、せっかく業平橋に来たので、スカイツリーばかりでなく、業平橋そのものを見ておきましょう。業平橋バス停から浅草方面に少し戻ると、浅草通りは大横川親水公園を跨ぎますが、ここに架かっている(いた)のが業平橋です。大横川は江戸期に開削された運河で、北十間川と深川方面を結んでいましたが、現在は墨田区内の大部分が埋め立てられ、親水公園として整備されています。大正期まで、橋の西詰に南蔵院という寺院があり、大岡越前のしばられ地蔵の逸話で知られていましたが、その境内に在原業平を祀った業平天神社があり、周辺の業平地名や橋名の由来となったといわれます。但し、隅田川の吾妻橋にも業平橋の別称があり、地名はそちらに因むとする説もあるようで、定かではありません。
業平橋から見える親水公園内の船の形の建物は、公園管理事務所とのこと。
- 岩垣 顕
- 雑司が谷の杜から 東京再発見への誘い
- 1967年生まれ。坂、川、街道、地名、荷風など、様々な切り口で東京の街歩きを楽しむ散歩人。著書に、「歩いて楽しむ江戸東京旧街道めぐり (江戸・東京文庫)」「荷風片手に 東京・市川散歩」「荷風日和下駄読みあるき」など。