「アタゴ」という言葉は、トマソニアンにとって特別な意味があります。
 普通「アタゴ」と言えば、「愛宕」でしょう。落語では小判拾いに傘で谷底に飛び降りていく「愛宕山」という演目で有名ですし、東京都内にお住まい、お通いの方ならば新橋、虎ノ門から近い東京都港区愛宕という地名を耳になさった方が多いと思います。愛宕神社に愛宕警察、当みちくさ学会で中谷さんが担当なさっている超高層ビルのファンでしたら森ビルの「愛宕グリーンヒルズMORIタワー」でお馴染みかもしれません。

 トマソンを愛するトマソニアンにとっても、「アタゴ」とは確かにここ、「愛宕」なのです。

 ではここがトマソンが密集する古今東西のトマソニアンが大挙して押しかける聖地なのか、と言いますとそれはちょっと違うのです。

 実は「アタゴ」とは「世界で始めて、愛宕で発見されたタイプのトマソン」を指す言葉なのです。記念すべき始めての発見は、東京都港区愛宕1-2だったそうです。Googleストリートビューで見てみるとマッカーサー道路に関わる再開発すれすれの立地である事がわかります。ぐるぐると回転させてみると、すぐそこで大掛かりな工事が始まるような気配が見て取れます。



大きな地図で見る


 そして、「もしあったらこの路地あたりではないか?」と思われる場所は残念ながらストリートビューの範囲外。気になる方は是非足を運んでみて頂きたいです。

 長々と引っ張ってきましたが、ここには一体どんなトマソンがあった(ある)のか?と言いますと、「建物わきの道路しっかりと設置されている四本の短小のコンクリート柱」(「超芸術トマソン」赤瀬川原平著、ちくま文庫刊 35ページより)だそうです。

 つまりは「なんだかよくわからないけどそこに存在している物体」を指して「アタゴ」タイプのトマソンと言います。ちなみに「超芸術トマソン」202ページにはみちくさ学会トマソン投稿コーナーの選者を務めて頂いてる吉野忍さんが発見した17連続アタゴという実に見事なトマソンも掲載されています。

 
 ところがこの「アタゴ」、現在では当初のような意味づけではなくなっているのではないか?というのが今回の主題です。



 東京都中央区八丁堀で発見したのがこちらの物件。建物のわきにコンクリート製の車止めのようなものが連続して配置されているのです。実にアタゴ的なのですが、ここに車止め(のようなもの)が置かれているのは、なんとなく意図が理解できませんか?

 あくまでも推測ですが、このコンクリートたちは「駐車、駐輪をしないように」置いてあるのではないでしょうか?ちなみにここは車が通行するのも少々難儀しそうな路地なので、そうなると駐輪車両除けではないかと思うのです。

 車がやっと通れるような道なのですから、ここに駐輪されるともう車が通れなくなる。だから置いたのだ。だからアタゴなどというトマソンではないのだ!という叫びが聞こえてきそうなのですが、でも実はしっかりと自転車が置いておかれてたりもしてる。なんともシュールな風景だなぁ、としみじみ思うのです。そしてこのようなものは他にもあります。



 八丁堀から程近い、東京駅すぐそばの八重洲あたりにある同じようなコンクリートの塊なのですが、写真左手はびっちりとほぼ隙間なく石が連続して配置されていますが、右手はちょっとすかしてあります。

 左手は通行が困難になるための路上駐車防止、右も同じく路上駐車防止なのですが、こちらは駐輪スペースを確保するために、車は近寄れないけど自転車は置いておけるようにしたのではないか、と思います。ここまでは実に立派で見事。計算されているな、と思います。若干後付け感が拭えないのですが。



 ところがここで1枚の表示が更に混乱を招きます。

「自転車は停めない」

 ・・・これは一体どうした事か。ここは駐輪場ではないのか。停めてるのはみんな無法者か。それともこの角だけ停めない、という事か。謎はひたすらに深まるのです。



 更によくわからない物件があります。同じく東京駅の八重洲あたりなのですが、またもやコンクリート製の塊です。この塊、東京都中央区で流行ったのでしょうか。みんな同じような形状です。

 建物に沿って等間隔で塊(というか車止めというか)が配置されています。が、写真をご覧になればお分かりの通り、バイクは停めてあるわ自動車も停まっているわ、もう何だか意味がわからないのです。
 更に、搬出入口と思われる扉があるのですが、そこにも塊が置かれています。これじゃあ物を出し入れする際に扉まで寄り付けないんじゃないの?と激しく激しく首を45度どころか85度くらいにかしげてしまうのですが、これはもう、どういう事なのでしょう?
 近寄れないよう、近寄れないよう、と頑張ってアタゴを配置したら近寄って欲しいものまで遠ざかった、というまるで恋のようなそんな切なさを感じてしまいます。

 この3例で分かるのは、アタゴ的な物件ではあるのですが、実は何らかの意図を持って配置されたのではないか、という事です。しかし、その割には異形だし、そもそも最初から計画されたのではなく、後から必要に迫られてとりあえず置きました、というような焦燥感や適当さを感じるのです。さてこれはトマソンでしょうか?



 1980年代に発見されたアタゴというものは実はもう殆ど残ってないのかもしれません。今回ご紹介したような、何らかの意図を感じさせるものばかりなのかもしれません。しかし、今回のアタゴ的物件3つの写真を眺めていると「なんだこれは・・・」というトマソンを発見した時のような感情が胸に湧き起こります。ではこれはトマソンか?それは僕にもよく分からないのですが、この無骨なコンクリートの均等な配置とその無駄さを考えると、やはりこれは、発見当時とは趣きを変えてはいるけれども、「アタゴ」というトマソンなのではないだろうか、と思うのです・・・。



みなさんのトマソン投稿募集中

 みちくさ学会トマソンカテゴリでは皆さんが見つけたトマソンの投稿を絶賛募集中です。皆さんが投稿して下さった物件にジャッジをしてくれるのは、「トマソン・リンク」管理人にして1980年代から今までずっと精力的に活動しているトマソン伝道師、
吉野忍さんです!写真を撮って、こちらの記事にある投稿フォーマットに従ってお気軽にメールを送って下さい 






  • 川浪 祐

  • From Basshead For

  • 1975年生まれ。中学生の頃父親の書棚にあった「超芸術トマソン (ちくま文庫)」を読んでしまい、トマソン探しの人生を送るようになる。元々は音楽やフェスの話などをしていたブログも今ではすっかり路上観察一色。