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爽やかとは程遠い焼けつくような熱風が、青々と広がる田んぼを抜けていった。
琵琶湖畔から南下して多賀町に入っても、琺瑯看板の姿はどこにもなかった。水田が一面に広がる景色の中に、浮島のように現れる小さな集落を丹念に探していくが、ハンドルを握る時間がむなしく過ぎていくだけだった。
滋賀県に限ったことではないが、ここ1、2年の探検では琺瑯看板を自力発見することが至難となってきた。かつては、どこにでもあった金鳥や菅公でさえ、今では滅多に出遭うこともなくなってしまった。
今回の探検は滋賀県南部を回る日帰りコースだが、収集した情報の物件をカメラに収めること以外に、あわよくば自力発見を期待してのチャレンジである。ホーローの神様は僕に微笑んでくれるだろうか。
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情報を得ていた多賀町のレアモノのクスリ看板を撮影し、旧八日市(東近江市)に向かう。途中の商店で町名看板を見つけたが、これが今回の自力発見第一号になった。このところ町名看板を探すことに凝っているので、こうした偶然の発見は素直にうれしい。
これに気をよくして、信楽までの道中では果敢に集落の中の細道に分け入ってみたが、予期せぬ用水路に阻まれたり、いきなり直角に曲がる狭い道になったりして、クルマを擦らずに運転することが精一杯で、ホーロー探検に集中できる余裕もなくなってしまった。
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町の駐車場にクルマを置いて、午後からは信楽の町を汗を拭きつつ、路地から路地にあてもなく歩いた。額を伝って落ちる汗が目に沁みる。路地に入っても暑さを凌げるところはなく、愛くるしい狸たちも、この暑さに参っているようだった。
焼き物の町として有名な信楽には、町のいたるところに窯元があった。名物の狸の置物や徳利が並んだ風景に、夏真っ盛りの蝉しぐれが降り注ぐ。
緩やかにカーブする坂道を登ったり下りたり、息を切らせて琺瑯看板を探す。あまりの暑さに、いつしか足取りもヨタヨタからフラフラに変わっていった(笑)。
半ば諦めていたところ、古い民家が軒を連ねた路地でお宝発見!ホーローの神様は僕を見捨てなかったようだ。「トヨタミシン」の真っ赤な看板と、その向かいの民家には「雪の元」。どちらも初見の看板だった。
いつもズボンのポケットに忍ばせ、このところ身体の一部のようになっている歩数計のデジタル表示は7000歩を超えていた。
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帰路は三重県の伊賀上野を訪ねた。これまでに何度もホーロー探検に立ち寄った町だが、まだまだ見落としがあったようで、7月の終わりに、ある方からレアモノの看板がずらりと並んでいる商店の情報をいただいた。
教えていただいた煉炭や豆炭を扱っている商店は、古い家屋や商店が軒を並べる一角にあった。店先から声をかけると、いかにも品の良い、柔和な表情のご主人が出てきて、看板の撮影を快く承諾してくれた。
店内には福助豆炭を始めとして、品川煉炭や月星豆炭といった初見の看板が壁にかかっていた。ご主人いわく、かなり以前からこの店に貼られていたようで、中でも福助豆炭の看板が一番古く、昭和30年代からあったそうだ。
ご主人の話は尽きず、岐阜から来たという僕に対して、飛騨高山や合掌造りで有名な白川村の話にまで飛躍して楽しいひと時を過ごすことができた。
しかし、ご主人の話に相槌を打ちながらも、壁に積まれたダンボール箱の陰に何枚かの看板が見えていたことが気になって仕方がなかった(笑)。
荷物を移動させてまで撮影したいともいえず、ぐっと我慢して店を辞した。
ご主人に見送られてゆっくりとクルマを発車させると、古い町並みに挟まれた道の先には、真夏の陽炎がゆらゆらと揺れていた。(取材2011.8.6)


※今回出遭った琺瑯看板たち
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  • つちのこ
  • 琺瑯看板探険隊が行く
  • 1958年名古屋生まれ。“琺瑯看板がある風景”を求めて彷徨う日々を重ねるうちに、「探検」という言葉が一番マッチすることを確信した。“ひっつきむし”をつけながら雑草を掻き分けて廃屋へ、犬に吼えられながら農家の蔵へ、迫ってくる電車の恐怖におののきながら線路脇へ、まさにこれは「探検」としか言いようがないではないか。