安曇野から眺める残雪の常念岳。信州ではどこを歩いてもこうして山並みを眺めることができます。
うらやましい。
安曇野に鍾馗さんあり!
3月の記事「青空と山々 鍾馗探訪信州編」で、信州には鍾馗さんが少ない、と決め付けてしまいましたがわずかな調査に基づく軽はずみな結論でした。
この記事を書いた直後に、信州の鍾馗さんに関する瞠目すべき情報を発見したのです。
安曇野でハーブの店を営む「さんろく」さんのブログ「安曇野ハーブスクエアだより」では安曇野周辺の自然、文化に関する情報を幅広く発信しておられます。
その中で安曇野周辺の鍾馗さんが何体も紹介されていました。しかもいずれも見たことのない手びねり。
さっそく詳しい場所を教えてもらおうと連絡を取ると、「ご案内してもいいですよ~」とのありがたいお申し出、さっそくご好意に甘えることにして、おとんさんもお誘いして第一回安曇野鍾馗ツアーが実現しました。
(第一回ツアーで目にした鍾馗さんたち)
(左:安曇野市豊科新田 右:安曇野市明科七貴)
(左:筑北村青柳 右:安曇野市明科東川手)
(安曇野市豊科高屋)
(安曇野市穂高白金)
信州の鍾馗さんの特長
信州の民家は関西とは違って広い敷地にゆったり建てられていて、古いお宅では屋敷林に囲まれたものも多く、外からは屋根の様子がうかがい知れない場合もしばしばです。さらに関西では多数派の「お寺鍾馗」がまったくなく、お寺が手がかりにならないので探すのは非常に大変です。しかし、見つかる鍾馗さんの多くは手造りの味わいのあるものが非常に多く、量産品の多い他地域とは著しく異なった、この地域の特長となっています。
全国のデータでは量産品が8~9割を占めるのに対し、信州では逆に8割以上が手作りの鍾馗さん。
これは探索する者にとっては、無上の喜びです。
地図が塗り替えられた
その後もさんろくさんは精力的に長野県内の探索を続け、次々と各地で鍾馗さんを発見しています。最近、さんろくさんとともに信州の鍾馗さんを探索している山梨県在住のnaoさんも加わって第二回ツアーが開催され、おいしいとこ取りで楽しませていただきました。
いずれも、さんろくさんもしくはnaoさんが発見した鍾馗さんです。
(第二回で目にした鍾馗さんたち)
(左:須坂市小河原 右: 須坂市小山)
(左:麻績村麻 右: 松本市会田)
(左:松本市五常 右: 安曇野市穂高有明)
(左右とも: 安曇野市明科南陸郷)
(左:大町市八坂 右: 安曇野市豊科田沢)
いかがです? いろんなのがいるでしょう。
二回のツアーで見た鍾馗さんをマッピングすると、この半年で分布図がすっかり塗り替えられたことがお分かりいただけると思います。中央の太い線は長野自動車道ですが、並行して走る旧街道・善光寺西街道沿いにも数多くの鍾馗さんが残されていることがわかってきました。
ルーツを探る
この地域の鍾馗さんはどこからやってきたのか?さんろくさんが前述のブログで卓見を披露しておられますので転載します。
ところで、長野県内の瓦鍾馗は、これまでは佐久市、小諸市、上田市、長野市で散見される程度で他地域では見られないという情報が雑誌やネットで流されてきました。
こうしたことから、信越本線(現在は、三セク・しなの鉄道)が開通した明治26(1893)年後に鍾馗を飾る生活文化が信州にも入って来たのではないかという説もあります。
しかし、これまでに当ブログで掲載してきたように善光寺街道の宿場や街道筋にも瓦鍾馗の古物は代々屋根に上げられていますし、安曇野のように主要街道から離れた地域や国道19号沿いでも数多くの年代ものの鍾馗さんを発見してきました。
これまでのところ、わたしたちが見かけた瓦鍾馗の数(平成23年11月21日現在)は、安曇野市内だけでも47体にのぼります。市外では今のところ49体になります。
これは、鬼師と呼ばれる特別な技術を持った瓦職人が手びねりした一品もので、型抜きの量産された最近のものを除いた数になります。
鍾馗さんが屋根にあがっている宅の聞き取りでは、有に100年を超えて屋根に載っているという話も数多く耳にして来ました。
江戸後期の文政年間に瓦業の営業を藩に願い出た古文書や明治元年に瓦屋を創業したという記録なども目にして来ました。
信州でも古くから瓦業が興り、西国の鍾馗を屋根に飾る風習が伝わりこうした生活文化が一時盛んになったことを物語ります。
そうなると、これまでに流布してきた「散見・信越本線」説はその根拠を失うことになります。
(中略)
これまでのところ、人が行き交う街道筋の宿場に京都などから鍾馗を屋根に飾る生活文化の話が伝わり、さらにその情報が信州各地に伝播するとともに、粘土が産出し瓦業を営んでいた各地の瓦屋に三州からの渡り職人が制作技術を教えたことが相まって信州各地に瓦鍾馗が上がっている由来ではないかと考えていますが、これからの探訪結果や聞き取りなどを終えてからでないと断定できません。
私もこの推定は当たっていると思いますが、今後のさらなる研究成果を期待しています。
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※<>内の数字は筆者HP「鍾馗博物館」内・収蔵室の通し番号です。