全国一億数千万の地味寺ファンのみなさん(てか)、ついにこの日がやってきた。地味寺に潜入し、その活動をつぶさに取材する機会がやってきたのだ。
灯台もと暗しというが、毎日のように顔を合わせている仕事仲間のプログラマ、竹谷さんの実家が地味寺だったのだ。
「うちみたいなお寺でいいんですか」という竹谷さんを説得すること2カ月、ついに訪問のお許しが出た。
京都市伏見区、伏見稲荷にもほど近い円弘院(真言宗国分寺派)。ご住職は、わが友竹谷さんのご母堂。
「コウは弘法大師の弘です」と決然と言われる。
本山は、大阪市北区にある国分寺。今は立派な伽藍が立ち並んでいるが、宗派としては大きくない。


現住のお母様がこの国分寺派の別格本山で得度して、1959(昭和34)年頃にこの地に道場を開いたのが始まりだという。今のご住職も同じ別格本山で得度し、お母様の後を継がれた。私は便宜上「住職」と呼ばせて頂いているが、こちらでは「先生」と呼称されているそうだ。前に「教会」について紹介したことがあるが、この「道場」も教会と同様、比較的創建時期が浅く、土地に根付いて地道な布教活動をしている。
円弘院には多くの信者がいる。家族の心配ごと、自分の健康、家相など、さまざまな悩み事をここに来て相談しているのだ。月に一度、27日の縁日には護摩を焚いている。内陣。


半世紀以上室内で護摩を焚き続けているので、室内の戸は真っ黒。黒光りがしている。


こうした道場は各地にあったようだが、今はほとんどなくなったという。
世間には、大々的に寺の存在を広告し、数多くの信者を集めている宗教施設がたくさんあるが、この円弘院は、「一切広告をしてはならぬ」というお母様の遺訓を守っている。だから看板さえない。表札にかろうじてその名が読み取れるだけだ。


その教えは現世利益が中心ではあるが、派手なこと、突飛なことで人を惑わすのではなく、弘法大師が人々を教え導いた時代のままに、人の悩みを聞き、読経をし、護摩を焚き、おだやかに諭すことが中心だ。
ところで、円弘院の本尊は阿弥陀如来である。真言宗ならば大日如来のはずなのだが、本山に倣っているという。
これは推測だが、この宗派は中世に浄土宗の教えを取り入れて真言宗を改革したかくばんの、新義真言宗の流れを汲んでいるのだろう。日本の仏教は宗派間での争いもあったが、同時に他宗の教えを取り込み、融合しつつ発展したのだ。
仏壇中央には厨子に入った阿弥陀如来がおわし、その横に大日如来、そして隣には弘法大師が安置されている。まさに真言宗の歴史がそのまま表れている。


まったく広告をしない円弘院の経済は、決して楽なものではないという。
しかし「先代の教えを守ってこれからもやっていきたい」と言われるそのお顔は神々しかった。小さな建物の中には、お大師さんの時代の空気がそのままひっそりと保たれているように思えた。


私はお寺を回るたびに「寺、古きがゆえに貴からず」「大きいがゆえに貴からず」を実感している。またひとつ、かけがえのないお寺を知った、と思った。





  • 広尾 晃

  • ふつうのお寺 http://futsu-no-otera.jp/
  • わけあって、今は小さく、目立たないけれど、ずっと法灯を伝えている。そんな小さなお寺を「地味寺」と呼びたい。「地味寺」は、「みすぼらしいちっぽけなお寺」ではなく、誰かの思いに応えるために、時代の風雪に耐えながら生きている、かけがえの無いお寺です。私は全国75,000と言われるお寺を回ることをライフワークにしています。その中から選りすぐりの「地味寺」をご紹介していきます。
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