徳川慶喜巣鴨屋敷跡地

今日は、「おばあちゃんの原宿」と呼ばれる巣鴨周辺を歩いてみよう。
JR巣鴨駅の南口を出てすぐのところ、白山通(旧中山道)と呼ばれる国道17号線に面した場所に徳川慶喜巣鴨屋敷跡地の石碑が建っている。石碑の周囲には、いつもたくさんの自転車が停めてあって近づくことが難しい。慶喜の屋敷跡はこの石碑がある場所から南側一帯に当たる。大政奉還後、静岡で謹慎を続けた慶喜が、三十年ぶりに東京に戻ったのがこの地である。六十一歳のときのことであった。慶喜がこの地に住んだのは、明治三十年(1897)から三十四年(1901)までの四年間。近くに山手線が通ることになり騒音を嫌って、この後小日向第六天町に移り住んだ。

巣鴨駅から徒歩7~8分で染井霊園に行き着く。染井霊園は、江戸時代には播磨林田藩や伊勢津藩の藤堂家などの大名屋敷があった場所である。当時この地域には大名屋敷に出入りする植木屋が多く、その縁でヤマザクラを改良した染井吉野の発祥の地でもある。明治七年(1874)に墓地として開設され、維新関係の著名人の墓も数知れない。三菱財閥の祖、岩崎弥太郎の墓もあるが非公開。

宍戸たまき故警部補寺本義久之墓正二位松平定敬之墓福岡孝弟の墓


坪井信良之墓(左)
右は坪井信道(誠軒)の墓
従二位勲二等藤堂高猷墓小河一敏の墓下岡蓮杖墓


 染井霊園の主だった幕末維新人の墓を紹介しておこう。
 宍戸たまき(「たまき」は王扁に「幾」)は、維新後は司法大輔、元老院議官などを歴任した長州藩出身の政治家である。寺本義久は、明治九年(1876)、このころ続発していた反政府騒動の一つ、思案橋事件で反政府分子を鎮圧するために出動して殉職した警部補。松平定敬は、会津藩主松平容保の実弟にして桑名藩主。土佐藩士福岡孝弟は、五箇条の御誓文を起草したことで知られる。
 幕末の蘭医、坪井信道は、緒方洪庵や青木修弼、川本幸民らの師である。信良は、その養子で将軍家の奥医師を務めた人。藤堂高猷(たかゆき)は、津藤堂藩最後の藩主である。小河一敏は、九州岡藩出身の尊攘派志士。維新後は教部省、宮内省などに出仕した。下岡蓮杖は、幕末から明治期に活躍した写真師である。当時の風俗を伝える貴重な写真を数多く残している。

 染井霊園の周辺には大小の寺院が散在しており、「墓マニア」には堪らない聖地となっている。お墓ばかりで恐縮だが、以下そのうちの一部を紹介したい。
 染井霊園北側に隣接する勝林寺は、もともと本郷にあったが、道路の拡幅工事に伴い現在地に移転した。かつては広大な境内を誇っていたらしいが、現在せまい墓地に墓が密集している。中には柳沢家、蒔田家、山名家といった大名家の墓もある。その中の一つが田沼家である。
 田沼家は、もとを質せば大名ではなく、紀州藩の足軽の家である。意次のとき将軍吉宗に見いだされ、その後九代家重、十代家治の二代にわたって将軍の厚い信任を得た。その間、抜擢につぐ抜擢、加増、昇進を重ねて、遂に相良藩五万七千石の大名に上り詰めた。老中首座として幕政改革に取り組み、重商主義による財政立て直しに成果を挙げたが、一方で賄賂が横行したことで悪名を残した。極悪人の代表のように言われるが、昨今ではその政治手腕を再評価する声も出ている。
 田沼意次の墓の向って右手、田沼家歴代の墓に注目して欲しい。ここに田沼意次の曾孫、田沼意尊が眠っている。元治元年(1864)水戸藩で起こった天狗党の乱では、幕命を奉じて出陣し、遂には敦賀で降伏した武田耕雲斎ら三百五十二名を極刑に処した。

勝林寺田沼意次の墓田沼家累代墓


 西福寺の墓地にある一際背の高い墓標は、仙台藩主伊達慶邦を顕彰したものである。伊達慶邦は、戊辰戦争時に東北各藩が結成した奥羽越列藩同盟の盟主となった人物である。明治七年(1874)駒込の屋敷で息を引き取り、一時期西福寺に埋葬されたため、ここに家臣らの手により記念碑が建てられた。その後、仙台の伊達家廟に改葬されている。

西福寺伊達慶邦公墓碑記念碑


 西巣鴨周辺にも魅力的な人物が多く眠っている。
 盛雲寺には、新門辰五郎の墓がある。辰五郎は、幕末の火消であるが、娘が徳川慶喜の愛妾となった。鳥羽伏見で幕府軍が敗れると、慶喜が大阪城内に置き忘れた将軍の馬印を持ち出して、子分とともに東海道を江戸まで戻ったという逸話は有名である。

 妙行寺三浦家累代の墓に、三浦休太郎が葬られている。三浦休太郎は、坂本龍馬暗殺の首謀者と目され、京都天満屋で襲撃された。維新後は、東京府知事などを歴任。

盛雲寺新門辰五郎の墓妙行寺三浦休太郎の墓


遠山金四郎景元の墓千葉周作の墓森山多吉郎の墓久世広周の墓


本妙寺には、有名な遠山金四郎の墓がある。名奉行と言われた実在の人物であるが、テレビでやっているのは基本的には創作された話。剣豪千葉周作は、司馬遼太郎の小説『北斗の人』の主人公。森山多吉郎は、吉村昭の『海の祭礼』の主人公である。久世広周は、井伊直弼が桜田門外で横死した後、安藤信睦とともに老中として公武合体を推し進めた人物である。
巣鴨周辺には、まだまだ見どころがたくさんあるが、今日はこの辺で…