kishibosin01
みなさんこんにちは。本日は節分ですね。
同僚から「ワタナベ」姓の人は豆まきをしなくても良いらしい、と聞いたので調べてみると、どうやら地域によっては本当にそういう伝承があるらしいですね。

何故に「ワタナベ」かといえば、はるか昔、源頼光の家来をしていた武将「渡辺綱」が、京都一条戻り橋上で鬼退治を行ったため、以後、鬼は「ワタナベ」を避けるようになったから、という話。全国のワタナベさんが羨ましいですね。ガスタンク講師渡邊さんのご家庭ではどうだったんでしょうか。(このときの刀「髭切(鬼切)」は北野天満宮にあるそうです。)

さて、これをみちくさ学会的に強引につなげると、慶応大学三田キャンパス脇にある「綱坂」、あの名前の由来はこの渡辺綱がこのあたりで生まれたからと言われていて、それゆえ「渡辺坂」とも呼ばれています。坂に立っている柱には、ちゃんとこのあたりの話も書いてあります。(節分の話は書いてありませんけど)。この近辺には「綱の手引坂」なんてのもあります。鬼はこの坂を避けて通るんですかね?

それから鬼で思い出したのは、池袋からほど近いところにある古刹、「鬼子母神」(都電荒川線の駅名では「きしぼじん」ですが、ただしくは「きしもじん」」。PCではそんな文字は出力できないのですが、寺域にある石碑などを見ていただくと、ことごとく「鬼」の上部「´」が取れていますね。
伝説では、鬼子母神は最終的には「鬼」では無くなったので、それをお祀りするお寺の方でも、"ツノを取って"こういう字にしたということです。本能寺の「能」の字も、現地の石碑などを見るとわかるのですが、旁の部分に「ヒ」が重なるのは信長さんのこともあるし、「火」に通じて縁起が悪いね、ということで火除けの意味も込めて「ヒ」の下に「去」と表記しています。なるほどこういうことは地図で見てもわかりません。

みなさんも、是非、外出中に石碑などを見かけたときは、ぜひ足を止めて見てみてください。先入観を打ち破る、意外な発見がありますよ!
というわけで、節分から始まるちょっとしたお話でした。(事務局員大谷)

■関連情報
三田綱坂 幕末期 横浜開港資料館
綱坂周辺の地図鬼子母神周辺の地図