001
 西新宿の超高層ビル街から新宿中央公園を抜けた先にある不思議なバス停、それが今回ご紹介する「十二社池の下」バス停です。
南へ少し歩けば、「十二社池の上」バス停もあります。十二社の読みは「じゅうにそう」ですが、この不思議な響きを持ったバス停に、私のような散歩者はついつい惹かれてしまいます。

 昭和45年の住居表示施行以前、新宿中央公園から西側一帯に、十二社の町名がありました。大阪の十三(じゅうそう)と似ていますが、もちろん無縁で、この地域に古くから伝わる中野長者伝説の主人公、鈴木九郎が、応永年間(1394~1428)に故郷の紀州熊野から「十二」の「社」を勧請し、この地に熊野神社を創建したという説話に因む町名です。「社」を「そう」と読むのは、ひとつの社に十二の神々をまとめる相殿形式からきたものといわれますが、文献によっては「相」「双」「処」等の字が使われ、熊野神社の社殿裏手に現在も見られる大田南畝寄進の手洗鉢には、「十二叢」の字が刻まれています。
juniso_002
 そもそも鈴木九郎なる人物は、紀州熊野神社の神官の後裔といわれ、中野で百姓として暮らし、自宅近くに熊野権現を祀っていたところ、ある日飼っていた馬の売上金を浅草観音に奉納して後、自宅の押入れから黄金の詰まった瓶が見つかり、大金持ちになったといわれます。これを熊野権現の御利益と考えた九郎が、故郷熊野から十二の神々を勧請したとするのが、現在も新宿中央公園北側に社地を構える十二社熊野神社創建にまつわる伝説となっています。

では、「池の下」の「池」とは何でしょうか。広重の『名所江戸百景』にも描かれた十二社の池は、慶長11年(1606)に古くからの小池を開削して整備されたもので、江戸期から昭和初期にかけて、庶民の遊興地として賑ってきました。熊野神社南側がその跡地で、玉川上水から引かれた水が南側の「池の上」から注ぎ込まれる一方、神社西側には熊野の滝と呼ばれた高さ約4メートルの滝があり、北側の「池の下」へと水が落ち込んでいました。明治25年、淀橋浄水場の建設が始まる頃に滝は姿を消し、池も大半が埋め立てられ、僅かに残った部分も昭和43年を最後に完全に消滅したといわれます。中野長者伝説には、この池に関係するものもあり、長者の娘が蛇に化身して池に入水し、小田原最乗寺住職の祈祷によって娘は元の姿で浮かび上がり、昇天したとされ、長者が仏門に入る契機となった出来事と伝えられます。
juniso_003
バス停付近を歩いていると、「十二社天然温泉」の大きな看板が目に入ってきます。バス停同様、十二社の名を人々の記憶に残す意味で、これも貴重といえるでしょう。