写真は「ショウキザクラ」
というのは真っ赤な嘘で、テーマとはまったく関係ありません・・・
今年は少し遅そうですが、あと少しの辛抱で桜の季節ですね。

ここのところ自著出版で浮かれていました。
今回は気を引き締めて、ちょっとだけアカデミック(笑)に鍾馗さんに迫ってみます。

このコラムでは主に希少な手作りの鍾馗さんを紹介していますが、実際に町を歩いて目にするのは
大部分が型物の量産品です。見慣れてくると「ああまたか」とつい軽く流してしまいますが、
こうした量産品にも地域ごとの特色が見られます。


広域タイプ


(滋賀県愛荘町、愛知県常滑市)

仲間うちでは「ライオン丸」と呼ばれているこの鍾馗さん。約三百体を記録しています。
他にもバリエーションはありますがこの二種が代表。ポーズは一緒ですが、右の方が表情が渋い。



この鍾馗さんは愛知県を含む関西六県(愛知、三重、滋賀、京都、奈良、大阪)に広く分布しています。
こうした分布を示す鍾馗さんは、流通経路が整備されて以降に、三河などの大産地から供給されたことを想像させます。


(いずれも京都市下京区)


(いずれも京都市東山区)

京都でよく眼にするこの鍾馗さんたちは五百体以上を記録していて、分布はこんな感じです。


京都市内に密集していて、この地図では多さがわかりませんが、市内だけでも四百体以上!
東海道に沿って滋賀県に分布が伸びていますが、京都を中心にした狭い範囲を中心に分布していることがわかります。
紹介した四体は、共通の型を原型にしながらも、それぞれ異なる京都周辺の瓦屋さんの製作になると思われます。


(大阪市東住吉区、大阪市東淀川区)

この鍾馗さんも非常によく見られ、三百体近く記録しています。左右とも原型は同じものだと思いますが、
髭の広がり具合が違いますね。また、右はかなり細部が省略されていて雑な感じ。


この鍾馗さんの分布は大阪、奈良が中心で、愛知県、三重県ではまったく見かけません。
産地がどこかはわかりませんが、瓦の一大産地である三河を擁する東海地方には食い込めなかったようです。


ローカル鍾馗

広域タイプと違って、限られた地域内だけでしか見られないローカル鍾馗さんはバリエーションに富んでいます。鍾馗さんをあげる風習が健在だった昭和30年代頃までは、まだ現在のように瓦産業が大産地に集約されておらず、各地で地場の瓦屋さんが地元のための瓦を生産していたために、個性的な鍾馗さん達が遺されたのです。

ここでは例として奈良県の三種類の鍾馗さんの分布をあげてみます。
いずれも県内限定鍾馗さんですが、県内でもそれぞれ見られる地域は異なっています。


(奈良県天理市)


(奈良県斑鳩町、奈良県橿原市)

は型物ですが、奈良市、大和郡山市、天理市あたりの奈良盆地北部だけで見られます。
は斑鳩町周辺限定。手びねりらしくちょっとずつ細部の異なるこのタイプの鍾馗さんが
法隆寺の周辺ではたくさん見られます。  
は奈良盆地南半部の橿原市、高取町などで見られる、個性的な手びねり鍾馗さんです。

瓦は割れ物の重量物を大量に建築現場まで運ばねばならないので、道路が未舗装の時代には
さぞや運搬には苦労したと思います。
牛馬の引く荷車に載せられた屋根瓦に交じって、こうした鍾馗さんは近在の窯から運ばれたのでしょう。


地域間の相関分析


こうした鍾馗さんの分布傾向を、府県別の相関度合いで整理した図です。
矢印が濃くて太いほど、共通の鍾馗さんが多く見られます。

隣接する京都⇔滋賀、大阪⇔奈良、愛知⇔三重ではそれぞれ共通の鍾馗さんが多く見られますが、
大阪と京都は近いにもかかわらず、あまり共通の鍾馗さんが見られないなど
いろいろ興味深い結果が浮かび上がります。
民家の様式や、ひいては生活文化の共通性とも関連がありそうで、継続して調べていきたいと思っています。


今回登場した鍾馗さん


広く各地
<0082>

京都を中心とする各地
<0050>

奈良・大阪を中心とする各地
<0135>

奈良盆地北部
<0125>

斑鳩町周辺
<0321>

奈良盆地南部
<0234>

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※<>内の数字は筆者HP「鍾馗博物館」内・収蔵室の通し番号です。





  • Kite 改め 小沢正樹

  • 鍾馗を尋ねて三千里

  • 鍾馗博物館

  • 愛知県在住の会社員、1961年生まれ。
    週末のたびに関西方面へ遠征し、民家にひそむ鍾馗さんに望遠レンズを向けてます。
    不審尋問には笑顔とポケット版鍾馗ファイルで対抗するも、追い払われることもしば
    しば。