稜線に雪を抱いた山が間近に迫ると、冷たい風を切り裂くようにゆっくりとフェリーが接岸した。
逸る気持ちを抑えてタラップを降りる。
ここまでの行程が長かった。名古屋から新潟行夜行バスで7時間半。更に両津港までフェリーで2時間半。待ち時間を入れると実に13時間をかけてやってきたのだ。
それだけの価値がこの島にあるのか。琺瑯看板ばかりでなく、佐渡の悠久の歴史や自然、その空気に触れることができるだろうか。
これから過ごす数日が充実した日々になることを祈りながら、一歩を踏み出した。

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【両津港編】
両津の町を南北に貫く旧道を北に向かって歩いていく。軒を連ねる木造の民家や、店先で干物を売っている鮮魚店や荒物屋に目が奪われる。懐かしい昭和の世界に突然放り込まれたような奇妙な錯覚にとらわれた。
国道350号線に沿って続く旧道はやがて商店街となるが、狙いの琺瑯看板はなかなか見つけることができず、レアもののクスリ看板を除くと、わずかに新聞やベンチ看板をカメラに収めただけで終わってしまった。歩数計の表示も1万歩を超え、そろそろ足が疲れてきた。
思案の末、再び両津港にある観光案内所に戻り、レンタサイクルを借りることにした。この自転車はなんと電動自転車というヤツだった。なるほど、ペダルを軽く踏むだけでスイスイと走っていく。
機動力が格段にアップしたこともあり、両津港を中心に走ってみた。看板はほとんど見つけることができなかったが、「清酒天領盃」を造る天領盃酒造まで足を延ばしたり、醤油蔵、廃業した銭湯跡等を回ることができた。
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【佐渡ヶ島南部探検編】
波の音と交ざり合った一晩中吹き荒れた風雨は、出発の時間となっても一向に止む気配がなかった。雨具兼用のウインドブレーカーを着込み、海岸線が南に延びる県道にレンタカーのアクセルを踏む。
重く沈んだ空と同じ色に染まった海を見ながら、いかにも寒村といった小さな集落を眺めて走っていく。対向車もないし、誰も歩いていない。雨は激しく、弱く、そして強くを繰り返して、間断なく落ちてくる。
琺瑯看板はそんな天候に関係なく、突然現れるからその度に同じ動作を繰り返すことになる。つまり、クルマから降りる→折りたたみ傘を差す→看板を撮影する→クルマに戻って濡れた衣服とカメラのレンズについた水滴を拭き取る→見つけた看板の場所を地図に記入…こんな具合だ。
しかし、うれしいことに悪天はいつまでも続かなかった。朝昼兼用のパンをかじりながらハンドルを握っていくと、小木の集落を過ぎた頃には清々しいほどの青空に変わっていた。
今日の計画は、内陸部の県道沿いの集落もフォローしながら海岸線を半周し、島一番の町である相川まで走って連泊する宿へ折り返す予定だ。
これまでの経験値では、看板が錆びて腐食が進む海べりよりも、明らかに山の中の集落に琺瑯看板が多く残っていることを実感している。
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佐渡も例外ではなく、忘れ去られたような山あいの小さな集落でレアな看板を何枚か見つけることができた。また、海岸沿いの廃業した醤油蔵の工場跡にもその姿はあった。
廃墟のような板壁の建物に、ぽつんと一枚だけ貼られた「マルダイ醤油」の看板は、そのまま朽ちていくのか、それとも取り壊されるのを待っているのか、吹き荒れる風雨の中で存在感を見せていた。
看板ばかりでなく佐渡の風景にも触れておくと、赤泊や宿根木、相川の集落の風景は、“日本に残る稀有な昭和の風景”といっても過言ではない。
時間が止まったような空間に、幼少の頃になじんできた、とうに忘れてしまった懐かしい匂いが漂っているのだ。特に宿根木の集落には、家屋を縫うように入り組んだ路地に立つと、すれ違う住人の人情すら垣間見える雰囲気があった。
真野から相川町の中心部である下戸までは、商店街や家屋も連なり、生活臭を感じるルートだが、そんな一角にも昭和の雰囲気を色濃く残す場所があった。
「オートメオクサマ粉石けん」やオロナミンCの看板は、忘れ去られたような商店の柱にさりげなく貼られていた。どれだけの人が気づき、この先いつまであるのか分からないが、次回、再訪することがあったら、残っていて欲しいと思う。
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【佐渡ヶ島北部探検編】
昨日の晴天はほんの束の間の贈り物だったのか、再び雨となった。今度は風がないだけ、濃霧が立ち込めるコンディションである。両津港から島を半周する北回りのルートをとった。
しかし、北端の弾岬や奇岩が連なる二ッ亀を過ぎても一向に霧が晴れることはなかった。結局、琺瑯看板の姿を見ることなく相川町まで来てしまい、島の一周を終えた。

急ぎ足で回った佐渡ヶ島だったが、看板のみならず、自然の美しさや、素朴でノスタルジックな町並みに触れることができた旅となった。次第に遠ざかっていく山の稜線を背景に、雨に煙る港をフェリーが離れていく。
わずか三日の、朱鷺が棲む哀愁の島旅は終わった。
(取材2012.5.2-4)

※今回出遭った琺瑯看板たち
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  • つちのこ
  • 琺瑯看板探険隊が行く
  • 1958年名古屋生まれ。“琺瑯看板がある風景”を求めて彷徨う日々を重ねるうちに、「探検」という言葉が一番マッチすることを確信した。“ひっつきむし”をつけながら雑草を掻き分けて廃屋へ、犬に吠えられながら農家の蔵へ、迫ってくる電車の恐怖におののきながら線路脇へ、まさにこれは「探検」としか言いようがないではないか。