青山霊園、谷中霊園、雑司が谷霊園、染井霊園、多摩霊園のことを、勝手に都内五大霊園と呼んでいる。今回は、そのうちの一つ、日暮里の谷中霊園を紹介しよう。JR日暮里駅から西側の丘に牡蠣殻のように墓が密集しているのが一望できる。これが谷中霊園である。厳密にいえば、天王寺墓地や寛永寺墓地も入り組んでいるが、便宜上ここでは全部ひっくるめた総称として谷中霊園と呼ばせていただく。
谷中霊園は、谷中天王寺の敷地などを東京府が引き継ぎ、明治七年(1874)に谷中墓地として開設されたものである。谷中霊園と名称を改めたのは、昭和十年(1921)五月のことである。規模は青山霊園には劣るとはいえ、約七千基の墓碑がところ狭しと立ち並んでおり、「お墓好き」には堪らない聖地となっている。
一番の有名人は、徳川慶喜であろう。谷中霊園は、結構複雑で慣れないとなかなかお目当ての墓に行き着かないが、慶喜の墓だけはしっかりと案内表示があるので迷うことは無い。歴代の徳川家将軍の墓は、三代家光までは日光、それ以降は増上寺と寛永寺に交替で葬られた。慶喜は、将軍を返上したということもあって、遠慮して一人だけ当地に葬られている。しかも神式というのが、いかにも水戸家出身の慶喜らしい。
今回も、青山霊園と同様、書籍ごとに墓を紹介するので、お墓参りの前に一読することをお勧めしたい。興味も倍加するはずである。
谷中霊園は、谷中天王寺の敷地などを東京府が引き継ぎ、明治七年(1874)に谷中墓地として開設されたものである。谷中霊園と名称を改めたのは、昭和十年(1921)五月のことである。規模は青山霊園には劣るとはいえ、約七千基の墓碑がところ狭しと立ち並んでおり、「お墓好き」には堪らない聖地となっている。
一番の有名人は、徳川慶喜であろう。谷中霊園は、結構複雑で慣れないとなかなかお目当ての墓に行き着かないが、慶喜の墓だけはしっかりと案内表示があるので迷うことは無い。歴代の徳川家将軍の墓は、三代家光までは日光、それ以降は増上寺と寛永寺に交替で葬られた。慶喜は、将軍を返上したということもあって、遠慮して一人だけ当地に葬られている。しかも神式というのが、いかにも水戸家出身の慶喜らしい。
今回も、青山霊園と同様、書籍ごとに墓を紹介するので、お墓参りの前に一読することをお勧めしたい。興味も倍加するはずである。
翔ぶが如く〈1〉 (文春文庫) 著者:司馬 遼太郎
・島田一郎ら6名(大久保利通暗殺者)【乙8号3側】
・重野安繹【乙6号5側】
・津田出【天王寺墓地】
・村田経芳【乙7号9側】
最後の将軍―徳川慶喜 (文春文庫) 著者:司馬 遼太郎
・徳川慶喜【寛永寺墓地】
・渋沢栄一【乙11号1側】
胡蝶の夢〈第1巻〉 (新潮文庫) 著者:司馬 遼太郎
・佐藤尚中【甲9号1側】
・佐藤泰然、松本良甫【甲新16号24側】
・戸塚静海、戸塚文海【天王寺墓地】
木曜島の夜会 (文春文庫)所収「小室某覚書」 著者:司馬 遼太郎
・小室信夫【天王寺墓地】
酔って候 新装版 (文春文庫)所収「伊達の黒船」 著者:司馬 遼太郎
・伊達宗城【乙8号11側】
城下の人―石光真清の手記 1 (中公文庫) 著者:石光 真清
・野田豁通【乙14号1側】
彰義隊 (新潮文庫) 著者:吉村 昭
・覚王院義観(真如院墓地)
万延元年の遣米使節団 (講談社学術文庫) 著者:宮永 孝
・村垣範正【天王寺墓地】
・福地源一郎【甲1号12側】
・箕作秋坪【乙5号1側】
夜明けの雷鳴―医師・高松凌雲 (文春文庫) 著者:吉村 昭
・高松凌雲【乙5号2側】
・古屋佐久左衛門【乙2号10側】
落花は枝に還らずとも〈上〉―会津藩士・秋月悌次郎 著者:中村 彰彦
・南摩鋼紀【甲1号7側】
渋沢栄一 | 大原重徳 | 佐藤尚中 |
高松凌雲 | 阿部正弘 | 島田一郎ら大久保利通暗殺者 |
伊達宗城 | 戸塚静海 | 小室信夫 |