看板建築の消失はたいていの場合、突然やってきます。今回神田須田町にある看板建築が、千代田区の計らいもあって、さよならイベントが行われました。

看板建築はいきなり消えていく

看板建築のほとんどは、個人商店あるいはかつては個人商店であった建物です。個人商店の特徴は、ある日いきなり閉店することで、A4サイズの「閉店のおしらせ」が貼られてはじめて、閉店に気がつくことが多いものです。

すでに商店としての役割は終え、かつての店頭に植木を並べていた看板建築もあります。この場合は住居と化しており、そこに住むご夫婦(たいてい個人商店は夫婦で営む)が越すことに同意すれば売られてしまう運命です。体調を悪くし入院したため、期せずして家を手放すこともあるでしょう。これもいきなりです。更地になって気づかされます。

空っぽのまま何年も経った看板建築もありますが、これはいつ売られてもおかしくない状態です。昨年の震災では大きく破損した無人の看板建築がいくつか消えていきました。土地計画などによりいきなり消えていくことも多いものです。

以前、「かつて、看板建築があった場所」という記事を寄せましたが、その後も知らずのうちに消えていく看板建築は少なくありません。今後も看板建築が徐々に減っていくことは間違いありません。



神田須田町、かつての交通博物館前に建つ一軒の看板建築。左右非対称のマンサード屋根が特徴的。


看板建築にさよならを言うチャンスが得られる

かつて秋葉原の南西に万世橋駅がありましたが、その向かいにひとつの看板建築がありました。過去のコラム「マンサード屋根の秘密と看板建築」 でマンサード屋根の例として紹介した一軒です。

もともとのお店は「池田屋」という裏地屋さんでした。衣類のボタン等を扱う卸問屋だったそうです。その後、ギャラリーのように使われたりしながら、ずいぶん長生きしてきた建物ですが、このたび建て壊しが決まったようで、内部公開も含めたさよならイベントが開かれることになりました。

というのも、この建物、区としても景観まちづくり重要物件として指定していた物件でありながら、そのブロックについて区もからんだ再開発が始まるらしく、やむを得ず取り壊しせざるをえなくなったからです。

そこで千代田区観光協会の後援のもと、「神田銅板建築柏山邸を見送るプロジェクト」実行委員会によるさよならイベント「ありがとう、90年。神田銅板建築 柏山邸お別れ会」 が開催されることとなりました。

これは看板建築の最期にとって異例のことです。


建物内見学も行われる。左上:急な階段、右上:建築当初からのランプ、右下:押し入れに食い込む階段、左下:銅板葺きをアップで。


建物内見学やライトアップイベントが行われる

私もSNSで情報を得て、イベントに参加してきました。当日は建物内見学も行え、2階および3階(正確には屋根裏)にあがらせてもらうこともできました。イベントには、日本大学理工学部建築学科、東京電機大学工学部建築学科、明治大学理工学部建築学科、東京藝術大学 卒業生および学生有志が協力しており、学生さんのガイドを聞きながら建物内の見学をさせてもらいました。

説明によれば、
・左右対称のマンサード屋根で建築されたが、嫁入り道具を3階(屋根裏)に収納するために、左側の屋根をいじったため、左右非対称のマンサード屋根になったらしい
・実質3階建てのこの建物から、かつてはニコライ堂のほうまで望めたらしい
・裏地屋を営んでいた頃は住み込みの丁稚奉公や職人さんらも含めて10人以上が暮らしていた(40㎡もない建物なので、今なら1世帯住居でも狭いくらい)
・大正11年には建築されていたと伝えられるが、これが本当だと関東大震災前年にあたるため、実際には数年後の建築かもしれない(解体時に棟札が見つかることに期待)
・この地区は戦災を免れており、近くにも古い建物が残るブロックであるが、90年もこの地に立ち続けてきた
といった話がありました。最後の数年は残されたおばあさんが一人暮らしだったとのことで、かなり急な階段の上り下りにも苦労したのではないでしょうか。



最終日のライトアップの様子。人が途切れることなく訪れ、建物もどこか誇らしげな様子。


惜しまれつつ見送られる看板建築の幸せな最後

最終日、ライトアップが行われ、夜の空にひときわ誇らしげに輝く看板建築の姿がありました。多くの人がこのイベントに訪れたようで、ライトアップされた建物を見上げ、写真を撮る姿が目立ちました。

看板建築はとかく保存運動と結びつけられがちですが、所有者の経済合理性を無視した保存運動は不可能です(もし無理に残すのであれば誰かが経済的負担をするべきである)。特に看板建築は富裕層ではない個人の所有であることが多く、また指定文化財になることも難しい物件です(あと20年保存すれば優良物件については考えられなくもないですが)。

現状では登録有形文化財にしておくのが現状としては精一杯でしょう(この場合、補助金等は期待できない)。しかし、それも所有者の同意があって成り立つことですし税金も維持費も所有者の負担です。

むしろ、庶民の建築は庶民の成り行きに身を任せるほうが「らしい」のではないかと思います。
そう考えると、最後の姿をみんなが見送る機会が与えられる、ということは看板建築にとって幸せなことなのかもしれません。


追伸
もし、看板建築のオーナーさんで「取り壊し前に中を見せてあげるよ」という方がいらっしゃったら、ぜひご一報いただければ幸いです(twitter: @yam_syun )。





  • 山崎俊輔(やまさき・しゅんすけ)

  • 趣味ホームページ 8th Feb.

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  • 1972年生まれ。本業はファイナンシャルプランナー。資産運用とか年金のことを分かりやすく書いたりしゃべるのが仕事。副業はオタク。ゲーム・マンガ・街歩きを同時並行的に好む。所属学会は日本年金学会と東京スリバチ学会。Twitterアカウントは@yam_syun