電柱(電信柱)には、地表3~4mの高さのところに、電柱番号札が取り付けられています。電柱番号札は、アルミニウム製または合成樹脂製で、番号札に記載される事項は、(1)社名(社票)、(2)電柱番号整理区域名、(3)電柱番号、(4)電柱建設年月、などです。*1
 このうち、(2)電柱番号整理区域名は、地名や近くにある施設をもとに命名されるため、電柱が設置された当時の町名や近くに何があったかを知る手がかりとなり、思いもよらな い情報をもたらしてくれることがあります。


 岐阜市西柳ヶ瀬の電柱に、「大門南分」と書かれた電柱番号札があります。柳ヶ瀬と言えば、昭和41年にヒットした美川 憲一の柳ヶ瀬ブルースに代表される繁華街ですが、柳ヶ瀬の西端には明治期から戦時中にかけて金津遊廓がありました。通常、遊廓は、周囲が城郭のように塀で囲まれ、遊廓の入口には大門が設置されました。金津遊廓は、当初は田んぼの中に建設された遊廓でしたが、柳ヶ瀬はその門前の商店街として発展しました。


 岐阜県大垣市は、江戸時代の美濃路の宿場町であると同時に大垣藩の城下町でもありました。遊廓は市街の東側の藤枝町にあって、旭遊廓と呼ばれていました。格子状の道路と古い母屋が連なる風景は、同時の様子を連想させます(写真上)。
 付近の電柱番号札には、「旭廊支」と書かれています。このように直接的に遊廓という施設名が電柱番号札に書かれてい るのは珍しいケースですが、なぜか、「旭廓(あさひかく)」ではなく「旭廊(あさひろう)」と書かれています(写真左側)。 


 静岡県清水市の現在の清水商店街は、かつての東海道五十三次の18番目の宿、江尻宿の中心地にあたります。ここにも遊廓がありましたが、都市計画のため、大正15年、巴川畔(現在の巴川橋際)に移転しました。*2 現在、その場所は、閑静な住宅街となっていますが、電柱番号札をみると、「廊支」と書かれていて、この付近に遊廓があったことがわかります(写真右側)。
 しかし、電柱番号札をよく見ると、大垣の「旭廊」と同様、遊廓の「廓(かく)」ではなく、廊下の「廊(ろう)」という文字があてられていますが、国語辞典や漢和辞典で見る限り、両者はまったく別の漢字です。
 「廓」と「廊」がまったく関連がないかというとそうではありません。映画評論家の梅本洋一さんは、「日本の遊廓映画の中では、娼館の部屋の中ではなく、部屋の外の廊下や小路で登場人物が出会う場面が見事に描かれており、廊下と小路が遊廓映画を支えてきた。」と論じています。*3 このように、「廓」と「廊」のイメージが関連しているために、「遊廓(ゆうかく)」を「遊廊(ゆうろう?)」と書いてしまうことがあったのかもしれません。

【参考文献】
*1 岩崎務:外線工事(電気書院,1955)P.19-P.20
*2 郷土出版社:清水いまむかし(郷土出版社,1987)P.29
*3 梅本洋一:世界週報(1987.7.21)P.65「遊郭映画を支える廊下と小路」






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