
前回に引き続き、今回も大田区仲池上にある坂道を取り上げてみたいと思います。
坂名は「相生坂(あいおいざか)」と言い、今回の記事のタイトルにもあるとおり前回の八幡坂の近所(仲池上1丁目)にある坂道なのですが、実はここ、ちょっとおもしろいつくりになっていることもあり、タイトルの最後になにげなく“?”をつけてみました。
ですので、そのあたりのことなどもちょっと気にかけつつ、今回の記事を読んでいただくとありがたいかもです。

写真1
ではさっそく坂道の話に入りますが、写真1は相生坂の坂の中腹あたりから坂上のほうを眺めたものです。
道幅はけっこう広めで、左側はJRの東海道本線が走っています。
またここは写真1の手前のほうに見えている横断歩道のところを右折して道沿いに南へ2分くらい歩くと前回取り上げた八幡坂の坂上あたりにぶつかるという本当にご近所さんの坂道だったりします。
写真2
こちらは写真1と同じ位置より坂下のほうを見てみたものが写真2です。
坂道的には見てのとおり中腹あたりの場所なので、坂下との高低差もけっこうあるのですが、今回はそこまで紹介すると話が長くなりそうですのでとりあえず坂下あたりのことはスルーすることにして、次の写真をどうぞ。

写真3
こちらは写真1の位置よりさらに坂上のほうまでやってきたところのものです。(写真3)
このあたりから奥に見えている橋のあたりの頂上付近まではけっこうな勾配具合でした。
また左側には東海道本線が走っていることもあり、当日は在来線に加えてうれしいことに新幹線も坂の途中から見物することができました。(この時の様子、すなわち坂道と新幹線のコラボ風景はトップの写真を参照してください。)

写真4
そして、こちらが坂上からの眺めです。(写真4)
こうしてみるとやはり坂下との高低差もかなりのもので、ごちゃごちゃした電線や太い電柱もなく幅広いJRの線路のおかげで、坂上からの景色のひらけ具合もかなりのものでした。
またはじめのタイトルにも書いたので、気がついている方も多いとは思いますけど、今でも時期があえばここから富士山がはっきり見えるそうですよ。(この情報はネットでも坂学会をはじめ数人の方が自身のサイトに写真をアップされています。)
位置てきにはこの坂道の軸線上すなわち線路の向こうに富士山が・・・、と言いたいところですが、実際のところは線路のすこし右側にずれいて、正面に細い電柱らしきものが見えていますが、どうやらその電柱のすぐ左あたりに見えるようです。
あとは(写真4でもなにげに見えていますが)、この坂にも坂の由来が書かれた坂の碑があり、『新幹線を挟んで両側に、二つの坂が並んでいるところから、この坂を相生坂という。昭和初年耕地整理により出来た坂である。』とありました。
ということは・・・・。
そうなんですよ!
実は、この坂、線路を挟んでもうひとつ同じ名前の坂道があるんです。
位置関係的にいえば、トップの写真がわかりやすいかもですね。
そして、実は手前の相生坂と線路向こうの相生坂は住所も違うんですよ。(手前が仲池上で向こうが上池台。)

写真5
というわけで、こちらがその相方です。(写真5)
勾配具合も同じ具合で、こちらにもちゃんと坂の碑がありました。
なので、勾配具合がほぼ同じとはいえ、坂道分類的には違う坂とするのがもしかしたら正しい選択のかもしれないですが、かつてここは東海道本線が開業する1914年(大正3年)までひとつの斜面(この坂道は昭和初年にできた坂道なので)だった可能性が高いので、とりあえずここではひとつの坂道として扱うことにしてみますので、あしからず。
ちなみにこちらの相生坂からも富士山が今でも見えるそうです。
住所
大田区仲池上1-15あたり
ですので、そのあたりのことなどもちょっと気にかけつつ、今回の記事を読んでいただくとありがたいかもです。

ではさっそく坂道の話に入りますが、写真1は相生坂の坂の中腹あたりから坂上のほうを眺めたものです。
道幅はけっこう広めで、左側はJRの東海道本線が走っています。
またここは写真1の手前のほうに見えている横断歩道のところを右折して道沿いに南へ2分くらい歩くと前回取り上げた八幡坂の坂上あたりにぶつかるという本当にご近所さんの坂道だったりします。

こちらは写真1と同じ位置より坂下のほうを見てみたものが写真2です。
坂道的には見てのとおり中腹あたりの場所なので、坂下との高低差もけっこうあるのですが、今回はそこまで紹介すると話が長くなりそうですのでとりあえず坂下あたりのことはスルーすることにして、次の写真をどうぞ。

こちらは写真1の位置よりさらに坂上のほうまでやってきたところのものです。(写真3)
このあたりから奥に見えている橋のあたりの頂上付近まではけっこうな勾配具合でした。
また左側には東海道本線が走っていることもあり、当日は在来線に加えてうれしいことに新幹線も坂の途中から見物することができました。(この時の様子、すなわち坂道と新幹線のコラボ風景はトップの写真を参照してください。)

そして、こちらが坂上からの眺めです。(写真4)
こうしてみるとやはり坂下との高低差もかなりのもので、ごちゃごちゃした電線や太い電柱もなく幅広いJRの線路のおかげで、坂上からの景色のひらけ具合もかなりのものでした。
またはじめのタイトルにも書いたので、気がついている方も多いとは思いますけど、今でも時期があえばここから富士山がはっきり見えるそうですよ。(この情報はネットでも坂学会をはじめ数人の方が自身のサイトに写真をアップされています。)
位置てきにはこの坂道の軸線上すなわち線路の向こうに富士山が・・・、と言いたいところですが、実際のところは線路のすこし右側にずれいて、正面に細い電柱らしきものが見えていますが、どうやらその電柱のすぐ左あたりに見えるようです。
あとは(写真4でもなにげに見えていますが)、この坂にも坂の由来が書かれた坂の碑があり、『新幹線を挟んで両側に、二つの坂が並んでいるところから、この坂を相生坂という。昭和初年耕地整理により出来た坂である。』とありました。
ということは・・・・。
そうなんですよ!
実は、この坂、線路を挟んでもうひとつ同じ名前の坂道があるんです。
位置関係的にいえば、トップの写真がわかりやすいかもですね。
そして、実は手前の相生坂と線路向こうの相生坂は住所も違うんですよ。(手前が仲池上で向こうが上池台。)

というわけで、こちらがその相方です。(写真5)
勾配具合も同じ具合で、こちらにもちゃんと坂の碑がありました。
なので、勾配具合がほぼ同じとはいえ、坂道分類的には違う坂とするのがもしかしたら正しい選択のかもしれないですが、かつてここは東海道本線が開業する1914年(大正3年)までひとつの斜面(この坂道は昭和初年にできた坂道なので)だった可能性が高いので、とりあえずここではひとつの坂道として扱うことにしてみますので、あしからず。
ちなみにこちらの相生坂からも富士山が今でも見えるそうです。
住所
大田区仲池上1-15あたり