
JRで富山から名古屋へ向かうルートは、金沢経由の北陸本線と、飛騨高山経由の高山本線の二通りがあるが、僕は何といっても「ワイドビュー飛騨」で行く高山本線が気にいっている。
深山幽谷と表現しても大げさでない、飛騨川の渓谷が車窓に広がる風景は日本でも指折りの景観だと思うし、美濃太田に近づくにしたがって面積を拡大していく田園風景も、またいい。
そんな高山本線であるが、出張帰りに何度か利用するうち、いつしかホーロー看板を求めて目を皿にして車窓を眺めるようになった。こうして見つけた看板のある風景が忘れられず、うだるような残暑の中、富山を旅することにした。

高岡駅でレンタカーに乗り継ぎ、まずは富山湾に注ぐ常願寺川の河口にある水橋町を目指す。水橋は江戸時代から沿岸漁業で賑わった町で、運河や古い町並みも残っている。緑一色の広大な田園風景も目に鮮やかだ。
二度目の訪問だが、「ブリヂストンタイヤ」や「サン号の自転車」が貼られたレトロな自転車屋も健在だった。
陽炎が揺れる水橋の町から南下して富山駅に出ると、いよいよ高山本線に沿ったホーロー探険が始まる。
今回はできるだけ線路に沿って走りたいので、平行する県道59号線を直進しながらも、線路から外れると脇道を見つけて走り、再び県道に戻って走るということを繰り返すことにする。
最初の物件は千里駅前にある看板屋敷。無人の駅に着いてカメラを首から提げた途端、ドンピシャのタイミングで雷鳴がとどろき、大粒の雨が降り出した。
しばし待機。雨が上がったのを見計らってクルマから下りて歩き出すと、再び雨が落ちてくる。あえなくクルマに戻り、同じことを繰り返して30分後にようやく看板屋敷の前に立つことができた。

駅のホームを越えて線路のすぐ脇にある屋敷は、家庭菜園の野菜たちに囲まれて建っていた。
太陽櫻学生服と金鳥ペアが貼られた屋敷は、もちろん車窓から何度も見た風景だが、やはり看板の前に立って見上げてみると、看板屋敷が放つ独特なオーラを感じた。反面、見る角度によっては箱庭に作った模型のようにも見える。
看板屋敷は希少ゆえに、今となっては“違和感をもった風景の産物”なのかもしれない…そんなことを考えながら越中八尾に向かう。
「おわら風の盆」を控えた八尾の町は、けだるい午後と重なったのか、誰も歩いておらず閑散としていた。しかし、そこには“祭りの前の静けさ”といった緊張感が漂っており、広場には観光客に踊りを披露するステージが作られ、打ち水がされた酒蔵の塀に等間隔にぼんぼりが並んでいた。

坂道が多い八尾の町を離れ、再び高山本線に沿って走ると、田園の中に建つ看板屋敷を発見。千里駅の屋敷と同じ太陽桜学生服と金鳥ペアの布陣だが、稲が頭をたれ始めた田んぼの畦道に立ち、少し引いた角度でファインダーを覗くと、何ともいえない孤高のオーラが出ていて素晴らしい。
二両編成の電車を見送りながら更に線路に沿って進み、笹津駅から国道41号線を南下すると楡原駅に出た。6月の出張時にこの駅の手前にある屋敷の壁に「ジューキミシン」の看板を見つけたので、逸る気持ちを抑えて、クルマを下りる。

線路に沿ってしばらく歩き、目星をつけた場所に目的の看板を探してみたが、目測を誤ったのかどうしても見つけることができなかった。
半ば諦めかけて、これが最後のチャレンジと思いながら、汗を拭きつつ夏草を掻き分けて線路に続く急な土手を登ったところ、本日二度目のドンピシャのタイミングで看板の前に飛び出した。看板屋敷の先には入道雲が沸き立つ青い空を背景に、赤茶けたレールが一直線に続いていた。
高山本線に沿ったホーロー探険をここで切り上げ、すっかり陽が傾き西日がいっそう眩しくなった富山駅前に戻ると、微かに涼しい風が吹き抜け、自分の影が残暑に熱したアスファルトに長く尾を引いていた。
彩りの秋は、すぐそこまできている。(取材2012.8.19)
※今回出遭った琺瑯看板たち

そんな高山本線であるが、出張帰りに何度か利用するうち、いつしかホーロー看板を求めて目を皿にして車窓を眺めるようになった。こうして見つけた看板のある風景が忘れられず、うだるような残暑の中、富山を旅することにした。

高岡駅でレンタカーに乗り継ぎ、まずは富山湾に注ぐ常願寺川の河口にある水橋町を目指す。水橋は江戸時代から沿岸漁業で賑わった町で、運河や古い町並みも残っている。緑一色の広大な田園風景も目に鮮やかだ。
二度目の訪問だが、「ブリヂストンタイヤ」や「サン号の自転車」が貼られたレトロな自転車屋も健在だった。
陽炎が揺れる水橋の町から南下して富山駅に出ると、いよいよ高山本線に沿ったホーロー探険が始まる。
今回はできるだけ線路に沿って走りたいので、平行する県道59号線を直進しながらも、線路から外れると脇道を見つけて走り、再び県道に戻って走るということを繰り返すことにする。
最初の物件は千里駅前にある看板屋敷。無人の駅に着いてカメラを首から提げた途端、ドンピシャのタイミングで雷鳴がとどろき、大粒の雨が降り出した。
しばし待機。雨が上がったのを見計らってクルマから下りて歩き出すと、再び雨が落ちてくる。あえなくクルマに戻り、同じことを繰り返して30分後にようやく看板屋敷の前に立つことができた。

駅のホームを越えて線路のすぐ脇にある屋敷は、家庭菜園の野菜たちに囲まれて建っていた。
太陽櫻学生服と金鳥ペアが貼られた屋敷は、もちろん車窓から何度も見た風景だが、やはり看板の前に立って見上げてみると、看板屋敷が放つ独特なオーラを感じた。反面、見る角度によっては箱庭に作った模型のようにも見える。
看板屋敷は希少ゆえに、今となっては“違和感をもった風景の産物”なのかもしれない…そんなことを考えながら越中八尾に向かう。
「おわら風の盆」を控えた八尾の町は、けだるい午後と重なったのか、誰も歩いておらず閑散としていた。しかし、そこには“祭りの前の静けさ”といった緊張感が漂っており、広場には観光客に踊りを披露するステージが作られ、打ち水がされた酒蔵の塀に等間隔にぼんぼりが並んでいた。

坂道が多い八尾の町を離れ、再び高山本線に沿って走ると、田園の中に建つ看板屋敷を発見。千里駅の屋敷と同じ太陽桜学生服と金鳥ペアの布陣だが、稲が頭をたれ始めた田んぼの畦道に立ち、少し引いた角度でファインダーを覗くと、何ともいえない孤高のオーラが出ていて素晴らしい。
二両編成の電車を見送りながら更に線路に沿って進み、笹津駅から国道41号線を南下すると楡原駅に出た。6月の出張時にこの駅の手前にある屋敷の壁に「ジューキミシン」の看板を見つけたので、逸る気持ちを抑えて、クルマを下りる。

線路に沿ってしばらく歩き、目星をつけた場所に目的の看板を探してみたが、目測を誤ったのかどうしても見つけることができなかった。
半ば諦めかけて、これが最後のチャレンジと思いながら、汗を拭きつつ夏草を掻き分けて線路に続く急な土手を登ったところ、本日二度目のドンピシャのタイミングで看板の前に飛び出した。看板屋敷の先には入道雲が沸き立つ青い空を背景に、赤茶けたレールが一直線に続いていた。
高山本線に沿ったホーロー探険をここで切り上げ、すっかり陽が傾き西日がいっそう眩しくなった富山駅前に戻ると、微かに涼しい風が吹き抜け、自分の影が残暑に熱したアスファルトに長く尾を引いていた。
彩りの秋は、すぐそこまできている。(取材2012.8.19)
※今回出遭った琺瑯看板たち


- つちのこ
- 琺瑯看板探険隊が行く
- 1958年名古屋生まれ。“琺瑯看板がある風景”を求めて彷徨う日々を重ねるうちに、「探検」という言葉が一番マッチすることを確信した。“ひっつきむし”をつけながら雑草を掻き分けて廃屋へ、犬に吠えられながら農家の蔵へ、迫ってくる電車の恐怖におののきながら線路脇へ、まさにこれは「探検」としか言いようがないではないか。