
今回は私事になりますが、自分のすごしてきた人生生活内での銭湯についてちょっと思い出してみたいと思います。
私の出生当時、家族は東京都板橋区の十条に暮らしており、銭湯通いの日々だったそうです。
もちろん私に記憶は無く、母の入浴中は銭湯のお手伝いさん(当時は利用客も多く、従業員を置いている浴場が多かったそうです)に見てもっていて入浴したということでした。
きっとレトロ銭湯に今でも稀に見る女湯脱衣場の幼児寝台に載せられていたのでしょう。
私はバリバリの銭湯世代。
当時は都市部では内湯のある家はまだ少なく、物心ついた頃には埼玉県のさいたま市(当時は浦和市)に住んでおり、風呂敷に包んだ洗面器に風呂道具を入れて「柳湯」という銭湯に通っておりました。
当時の記憶ではロッカーなどは無く全て脱衣籠を使用。
風呂敷を広げてその上で着替えるという風呂敷の正統的な使い方をちゃんとしておりました(笑)
そんな銭湯の中で熱い湯をうめて爺さんに怒られたりしながら、私は社会性の一部を身に着けていきました。
しかし当時、銭湯通いは生活の一部で、まさか今になって各地の銭湯を巡り歩く趣味になるなんて思いもしませんでした(笑)
それからかなり年月が経ち、家も引っ越して久しくこの銭湯の事は忘れておりました。
それが近年になり、趣味で銭湯を巡るという事を始めてから「あの銭湯はどうなっているのだろう」とずっと心の片隅に引っかかっておりました。
それで何十年ぶりかで行ってみる事にしました。
JR京浜東北線の浦和駅、東口を降りて歩きます。
※この行ってみた当時、2006年からも既に何年か経過しています。
ご存じの方も多いと思いますが近年浦和駅東口は再開発により激変していますが、この時はまだ昔ながらのこじんまりとした駅前でした。
小学生当時からの記憶ですが道はしっかり覚えておりました。
しかし当時賑わっていた商店街も灯が消えたようにさみしくなっていました。
柳湯到着。

よかった、当時の記憶のままの銭湯がちゃんと営業しておりました。
だいぶ老朽化がすすんでおりますが、昔のままの銭湯がそのまま有ってくれたのがうれしいです。
入口左右のタイル絵(トップの写真)も当時のまま。
さっそく中に入ります。
男湯は左手入口。
中に入ると当時若かったであろう柳湯の御主人が今も健在で番台を守っておられました。
脱衣場、浴室とも昔のままの姿です。
入口を入って横には小さいながらも樹が植わっているお庭がありました。
浴室は男女浴室の壁にタイル絵が3枚。
奥壁のペンキ絵は古い絵師の作の絵が消されずにそのまま残されています。
かなり以前の物のようで経年変化で図柄は薄れてしまっていますが湖に山と舟のようです。
昔はこのペンキ絵が時々描き換えられるのを心待ちにしていたのを覚えています。
訪問時は五月五日、子供の日で菖蒲湯でした。
そういえば菖蒲湯に入るのは久々。
番台のご主人は「今は菖蒲湯とかイベントやっても子供は来ないね~」とさみしそうに言っておられました。
皆さんも経験あると思いますが、子供の頃は広い(大きい)と思っていたところが大人になってみると意外に狭かったり、という経験があると思います。
私もこの銭湯の風呂は広いと思っていた浴室ですが、今見ると意外に小さい。
こんなところで子供時分には船のプラモを持ち込んだりして遊んでいたんだからさぞかし迷惑な子供だった事と思います(笑)
さて、再訪なったこの「柳湯」ですが、訪れた翌年の2007年には廃業、すぐに更地になってしまいました。
もうちょっと色々見ておきたかったと今更ながらに思いますが、それでも最後に再訪がかなって良かった。

さて、自分の生活の中での銭湯としてはあと2軒。
銭湯巡りを趣味とする以前より利用していた地元の銭湯「みなと湯」。
小田急江ノ島線の長後駅西口から出てロータリー左側の闇市のような少し怪しげなアーケードを抜けるとすぐにみなと湯はあります。
駅のホームから煙突が見えるくらいの距離で徒歩1分程度。
昭和中期的、銭湯最盛期に造られたような浴場でした。
でした、というのはこちらも現在は廃業してしまい現在はありません。

ちょうど各地の銭湯巡りに励んでいた頃で、その地元の銭湯の廃業を気づきませんでした。
写真はなんと廃業4日前。
とくに表に貼り紙も無く、閉まってから廃業を知りました。
男湯の奥壁下に「猿橋・猿が数珠つなぎになって橋を造り、そこを紅葉の枝を背負って渡る猿の絵の構図」の珍しいタイル絵が特徴的でした。
※猿は去るに通じるとして、あまり銭湯の絵には使われない素材。
その後しばらくするとこんな感じで解体されてしまいました。

今は銭湯も、そこへ通じる闇市的なアーケード街もありません。
街はキレイになってゆくけれど、ちょっとつまらなくなってゆく気もします。
そして最後の1軒は今、地元で愛用の銭湯の内の一軒「不動湯」。

湘南辻堂の名銭湯。
今は銭湯に入った事の無い世代も多く、子供の頃の思い出の銭湯というのは無い方も多いと思います。
けれどもし、心に残るお風呂屋さんや学生時代や子供の頃にお世話になった思い出の銭湯などがあるようでしたら、是非一度訪ねてみる事をお勧めします。

もちろん私に記憶は無く、母の入浴中は銭湯のお手伝いさん(当時は利用客も多く、従業員を置いている浴場が多かったそうです)に見てもっていて入浴したということでした。
きっとレトロ銭湯に今でも稀に見る女湯脱衣場の幼児寝台に載せられていたのでしょう。
私はバリバリの銭湯世代。
当時は都市部では内湯のある家はまだ少なく、物心ついた頃には埼玉県のさいたま市(当時は浦和市)に住んでおり、風呂敷に包んだ洗面器に風呂道具を入れて「柳湯」という銭湯に通っておりました。
当時の記憶ではロッカーなどは無く全て脱衣籠を使用。
風呂敷を広げてその上で着替えるという風呂敷の正統的な使い方をちゃんとしておりました(笑)
そんな銭湯の中で熱い湯をうめて爺さんに怒られたりしながら、私は社会性の一部を身に着けていきました。
しかし当時、銭湯通いは生活の一部で、まさか今になって各地の銭湯を巡り歩く趣味になるなんて思いもしませんでした(笑)
それからかなり年月が経ち、家も引っ越して久しくこの銭湯の事は忘れておりました。
それが近年になり、趣味で銭湯を巡るという事を始めてから「あの銭湯はどうなっているのだろう」とずっと心の片隅に引っかかっておりました。
それで何十年ぶりかで行ってみる事にしました。
JR京浜東北線の浦和駅、東口を降りて歩きます。
※この行ってみた当時、2006年からも既に何年か経過しています。
ご存じの方も多いと思いますが近年浦和駅東口は再開発により激変していますが、この時はまだ昔ながらのこじんまりとした駅前でした。
小学生当時からの記憶ですが道はしっかり覚えておりました。
しかし当時賑わっていた商店街も灯が消えたようにさみしくなっていました。
柳湯到着。

よかった、当時の記憶のままの銭湯がちゃんと営業しておりました。
だいぶ老朽化がすすんでおりますが、昔のままの銭湯がそのまま有ってくれたのがうれしいです。
入口左右のタイル絵(トップの写真)も当時のまま。
さっそく中に入ります。
男湯は左手入口。
中に入ると当時若かったであろう柳湯の御主人が今も健在で番台を守っておられました。
脱衣場、浴室とも昔のままの姿です。
入口を入って横には小さいながらも樹が植わっているお庭がありました。
浴室は男女浴室の壁にタイル絵が3枚。
奥壁のペンキ絵は古い絵師の作の絵が消されずにそのまま残されています。
かなり以前の物のようで経年変化で図柄は薄れてしまっていますが湖に山と舟のようです。
昔はこのペンキ絵が時々描き換えられるのを心待ちにしていたのを覚えています。
訪問時は五月五日、子供の日で菖蒲湯でした。
そういえば菖蒲湯に入るのは久々。
番台のご主人は「今は菖蒲湯とかイベントやっても子供は来ないね~」とさみしそうに言っておられました。
皆さんも経験あると思いますが、子供の頃は広い(大きい)と思っていたところが大人になってみると意外に狭かったり、という経験があると思います。
私もこの銭湯の風呂は広いと思っていた浴室ですが、今見ると意外に小さい。
こんなところで子供時分には船のプラモを持ち込んだりして遊んでいたんだからさぞかし迷惑な子供だった事と思います(笑)
さて、再訪なったこの「柳湯」ですが、訪れた翌年の2007年には廃業、すぐに更地になってしまいました。
もうちょっと色々見ておきたかったと今更ながらに思いますが、それでも最後に再訪がかなって良かった。

さて、自分の生活の中での銭湯としてはあと2軒。
銭湯巡りを趣味とする以前より利用していた地元の銭湯「みなと湯」。
小田急江ノ島線の長後駅西口から出てロータリー左側の闇市のような少し怪しげなアーケードを抜けるとすぐにみなと湯はあります。
駅のホームから煙突が見えるくらいの距離で徒歩1分程度。
昭和中期的、銭湯最盛期に造られたような浴場でした。
でした、というのはこちらも現在は廃業してしまい現在はありません。

ちょうど各地の銭湯巡りに励んでいた頃で、その地元の銭湯の廃業を気づきませんでした。
写真はなんと廃業4日前。
とくに表に貼り紙も無く、閉まってから廃業を知りました。
男湯の奥壁下に「猿橋・猿が数珠つなぎになって橋を造り、そこを紅葉の枝を背負って渡る猿の絵の構図」の珍しいタイル絵が特徴的でした。
※猿は去るに通じるとして、あまり銭湯の絵には使われない素材。
その後しばらくするとこんな感じで解体されてしまいました。

今は銭湯も、そこへ通じる闇市的なアーケード街もありません。
街はキレイになってゆくけれど、ちょっとつまらなくなってゆく気もします。
そして最後の1軒は今、地元で愛用の銭湯の内の一軒「不動湯」。

湘南辻堂の名銭湯。
今は銭湯に入った事の無い世代も多く、子供の頃の思い出の銭湯というのは無い方も多いと思います。
けれどもし、心に残るお風呂屋さんや学生時代や子供の頃にお世話になった思い出の銭湯などがあるようでしたら、是非一度訪ねてみる事をお勧めします。

- まぁやぁ
- 銭湯と路地裏散歩な日々
- 銭湯wiki
- 1960年、東京生まれ埼玉育ち。現在は神奈川県藤沢市に在住。小さい頃は風呂屋のペンキ絵が描きかえられるのを心待ちにしていた子供でした。
現在は路地裏散歩と居酒屋徘徊を趣味としており、産業遺産ならぬ生活遺産に興味を抱き銭湯や古建物などを見て巡っております。
座右の銘は遠い温泉より近くの銭湯、かな。