愛知県北西部に位置する犬山は古い城下町であり、木曽川沿いの台地上に建つ犬山城は江戸期までに建てられた現存天守で国宝に指定されています。
その城をいただく街並みは落ち着いた古の雰囲気を保っており、尾張の小京都と称されています。
今回はその犬山の城下町を子供の頃から知っているという友人の道案内を頼りに歩いて見る事にします。
▲国宝『犬山城』
2004年までは個人の持ち物の天守閣でした。
▲犬山のマンホール蓋は犬山城と長良川の鵜飼。
▲静かな佇まいの街並み。
犬山の旧城下町の地域には昔は4軒の銭湯が有ったそうです。
それぞれに屋号が有ったと思うのですが、地元の人は浴場のある位置によって上の湯、中の湯、下の湯(それから少し離れたライン温泉)と呼んでいたということです。
今では屋号がはっきりとわかりませんのでこの呼称のままご紹介いたします。
(屋号をご存じの方がいらっしゃいましたらお知らせいただけるとウレシイです)
一番上のタイトル写真は中の湯、あまり広くない静かな住宅地の生活道路沿いに砂利のひかれた駐車場があり、その中に忽然とこのタイル絵が建っています。
以前は浴室の壁であったこの絵の部分だけが保存されているように残っており、この左手には名古屋銭湯の特徴の緩衝地帯の蛇口後もそのまま残されています。
絵はおそらく地元の風景として長良川とそこに掛かる橋梁、右手の丘上には犬山城と思われる城が描かれています。
私がこの銭湯遺跡物件を初めて見た時はとても驚き興奮してしまいました。
それから拾余年、再び訪れて未だに現存しているのに感動を覚えました。
タイル絵の立つ中の湯の前の道を数十メートルすすむと、また銭湯の痕跡があります。
この建物が通称「下の湯」、銭湯遺跡です。
この物件は入口と脱衣場部分の建物のみが残り、裏手の浴室が有った部分は駐車場となっています。
コンクリート壁のシンプルな建物は地方銭湯サイズのこじんまりとしたもので共同浴場風な建物です。
裏にまわって見ましょう。
裏手は浴室との扉の部分からすっぱり無くなって駐車場になっています。
このために構造が良くわかるカタチになっています。
ここに入浴経験のある友人の話では浴室は一段低くなっており、スリガラスの引き戸を開けて数段の階段を下りて浴室に行くようになっていたそうです(一番左の車の横がその階段)。
透明ガラスの入ったガラス戸は緩衝地帯の坪庭になっていたということです。
それにしても手前の中の湯との距離はほとんど離れておらず、友人は子供の頃に従兄弟たちと近くの辻まで来て「今日はどっちに入ろうか?」などと言っていたそうです。
ここも10年以上前に訪れた時のまま、残っていました。
ここから犬山駅方向に少し歩いて祭りの山車の車庫や店が並ぶ古い街並みから路地を入った裏手に「上の湯」跡があります。
ここも駐車場になっており、奥に浴室壁の名残のタイル壁が一部残されているのみとなっていました。
さて、唯一営業していた銭湯「ライン温泉」に入る事にします。
まずは外観を撮影して~
とりあえず営業開始時間まで小雨の中を待機します。
ところが、時間を過ぎても開かない。
とりあえず電話して見ると、番台をされていると思われるお婆さんらしき方が出られて「今日は雨なもんで、足元も悪いし営業は雨の日はやめとります」との事。
まったく、犬山・雨に泣く、でした。
ということで、今回は入浴記はありません、になるところでしたが、1ヶ月半を置いて無理やり機会を作ってライン温泉に訪問して来ました。
ライン温泉。
大正13年築の木造レトロ銭湯。
外観も中もとてもよく昔の姿をとどめている銭湯です。
中部銭湯特有の緩衝地帯も坪庭がそのまま残り、池には水が張られ魚が泳いでいる。
浴室も古い小さなタイル貼りのレトロなつくり。
奥壁には男女浴室に跨って大きなタイル絵がある。
洋風の城と山川の構図はなかなか見る物がありました。
ここに来て本当に良かった、その時もしみじみと思ったのですが、なんとこの2ヶ月後にこのライン温泉は店を閉めてしまいました。
この保存されたようなレトロ銭湯が廃業してしまったのは残念だけれども、なんとか間に合ったカタチになり入れて本当に良かった。
その後、風のうわさでは建物が残っているライン温泉を保存しようという声も上がっているのだとか聞きました。
保存は本当にたいへんでしょうが、なんとか残ってくれたら良いな、と思っております。
犬山はこぢんまりとした城下町に情緒ある街角を散歩できる良い街です。
街歩きのなかで銭湯跡を探索するのも一興かと思います。
▼ 少し離れた街道沿いに発見した銭湯遺跡「松竹湯」跡。
▲国宝『犬山城』
2004年までは個人の持ち物の天守閣でした。
▲犬山のマンホール蓋は犬山城と長良川の鵜飼。
▲静かな佇まいの街並み。
犬山の旧城下町の地域には昔は4軒の銭湯が有ったそうです。
それぞれに屋号が有ったと思うのですが、地元の人は浴場のある位置によって上の湯、中の湯、下の湯(それから少し離れたライン温泉)と呼んでいたということです。
今では屋号がはっきりとわかりませんのでこの呼称のままご紹介いたします。
(屋号をご存じの方がいらっしゃいましたらお知らせいただけるとウレシイです)
一番上のタイトル写真は中の湯、あまり広くない静かな住宅地の生活道路沿いに砂利のひかれた駐車場があり、その中に忽然とこのタイル絵が建っています。
以前は浴室の壁であったこの絵の部分だけが保存されているように残っており、この左手には名古屋銭湯の特徴の緩衝地帯の蛇口後もそのまま残されています。
絵はおそらく地元の風景として長良川とそこに掛かる橋梁、右手の丘上には犬山城と思われる城が描かれています。
私がこの銭湯遺跡物件を初めて見た時はとても驚き興奮してしまいました。
それから拾余年、再び訪れて未だに現存しているのに感動を覚えました。
タイル絵の立つ中の湯の前の道を数十メートルすすむと、また銭湯の痕跡があります。
この建物が通称「下の湯」、銭湯遺跡です。
この物件は入口と脱衣場部分の建物のみが残り、裏手の浴室が有った部分は駐車場となっています。
コンクリート壁のシンプルな建物は地方銭湯サイズのこじんまりとしたもので共同浴場風な建物です。
裏にまわって見ましょう。
裏手は浴室との扉の部分からすっぱり無くなって駐車場になっています。
このために構造が良くわかるカタチになっています。
ここに入浴経験のある友人の話では浴室は一段低くなっており、スリガラスの引き戸を開けて数段の階段を下りて浴室に行くようになっていたそうです(一番左の車の横がその階段)。
透明ガラスの入ったガラス戸は緩衝地帯の坪庭になっていたということです。
それにしても手前の中の湯との距離はほとんど離れておらず、友人は子供の頃に従兄弟たちと近くの辻まで来て「今日はどっちに入ろうか?」などと言っていたそうです。
ここも10年以上前に訪れた時のまま、残っていました。
ここから犬山駅方向に少し歩いて祭りの山車の車庫や店が並ぶ古い街並みから路地を入った裏手に「上の湯」跡があります。
ここも駐車場になっており、奥に浴室壁の名残のタイル壁が一部残されているのみとなっていました。
さて、唯一営業していた銭湯「ライン温泉」に入る事にします。
まずは外観を撮影して~
とりあえず営業開始時間まで小雨の中を待機します。
ところが、時間を過ぎても開かない。
とりあえず電話して見ると、番台をされていると思われるお婆さんらしき方が出られて「今日は雨なもんで、足元も悪いし営業は雨の日はやめとります」との事。
まったく、犬山・雨に泣く、でした。
ということで、今回は入浴記はありません、になるところでしたが、1ヶ月半を置いて無理やり機会を作ってライン温泉に訪問して来ました。
ライン温泉。
大正13年築の木造レトロ銭湯。
外観も中もとてもよく昔の姿をとどめている銭湯です。
中部銭湯特有の緩衝地帯も坪庭がそのまま残り、池には水が張られ魚が泳いでいる。
浴室も古い小さなタイル貼りのレトロなつくり。
奥壁には男女浴室に跨って大きなタイル絵がある。
洋風の城と山川の構図はなかなか見る物がありました。
ここに来て本当に良かった、その時もしみじみと思ったのですが、なんとこの2ヶ月後にこのライン温泉は店を閉めてしまいました。
この保存されたようなレトロ銭湯が廃業してしまったのは残念だけれども、なんとか間に合ったカタチになり入れて本当に良かった。
その後、風のうわさでは建物が残っているライン温泉を保存しようという声も上がっているのだとか聞きました。
保存は本当にたいへんでしょうが、なんとか残ってくれたら良いな、と思っております。
犬山はこぢんまりとした城下町に情緒ある街角を散歩できる良い街です。
街歩きのなかで銭湯跡を探索するのも一興かと思います。
▼ 少し離れた街道沿いに発見した銭湯遺跡「松竹湯」跡。
- まぁやぁ
- 銭湯と路地裏散歩な日々
- 銭湯wiki
- 1960年、東京生まれ埼玉育ち。現在は神奈川県藤沢市に在住。小さい頃は風呂屋のペンキ絵が描きかえられるのを心待ちにしていた子供でした。
現在は路地裏散歩と居酒屋徘徊を趣味としており、産業遺産ならぬ生活遺産に興味を抱き銭湯や古建物などを見て巡っております。
座右の銘は遠い温泉より近くの銭湯、かな。