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横浜から一駅、相鉄線平沼橋駅近くのガスタンクは、ロックバンド "NICO Touches the Walls" の「Broken Youth」のミュージックビデオにも登場する。ここに訪れる数日前、偶然僕はその映像をスペースシャワーTVで見ていた。

緑色のショートパンツの女の子がiPod nanoから伸びるイヤホンを耳に入れて平沼の街を全力疾走するシナリオで、彼女が線路沿いを走っているとき、背景にガスタンクが映る。走る彼女は見向きもしない。そこにタンクがあるのは当たり前のように、あるいは最初から視界に入っていないようにみえる。それで僕は少しがっかりした。
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すぐ近くには最近建てられたと思われる真新しいタワーマンションがあって、彼女はガスタンクとの対比を撮りたかったのか、いつもより細かく僕に指示を出した。
「あのマンションの住人は、みんなガスタンクが好きなのだろうか」
「もちろん。嫌いな人は朝起きてカーテンを開けたら目の前にガスタンクが見える部屋には住まないよ」

マンションの下にある小さな公園のベンチには、サングラスを掛けて何かの文庫本を読むお母さんと、ベビーカーの中で寝ている赤ちゃんがいた。これからあの子が少し大きくなって口が訊けるようになったら、遅かれ早かれ「あの丸いのはなに?」と聞くだろう。そしてお母さんは「お風呂を沸かしたり、コンロに火をつけるためのガスを貯めているのよ」と説明するのかもしれない。
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「クイズです。あのマンションの住人になったつもりで答えてください」
「はい」
「昼に一番大きく見える星は?」
「太陽」
「じゃあ、夜に一番大きく見える星は?」
「……月」
「不正解です」
「うん」

僕はカメラを下ろして目をつぶり、朝起きてカーテンを開けると目の前にガスタンクが見える生活について考える。頭の奥ではその風景を鮮やかに思い浮かべることができる。ただ、言葉にして伝えようとすると、途端に暗礁に乗り上げる。
「ねえ、ガスタンクの見える部屋に住みたい?」
「住みたい、でも住むのがこわい」

特別なものは手に入れたい。でも、手に入れることで当たり前になるのは怖い。矛盾している。特別な存在だったガスタンクが日常の風景の一部となり、あまり気に留めなくなる。まだ僕はその状況を想像することから逃げている。