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 丹羽郡大口町にある上小口白山神社には、かつて木造の蕃塀が存在したが、現在は石造の蕃塀が建っている。
大口町上小口白山神社の「蕃塀」

 名古屋から犬山に向かう国道41号の途中、上小口2丁目の交差点を西に向かうと、右手に上小口白山神社が見えてくる。神社が創始された年代は不明であるが、戦国時代に織田広近が守護神として深く崇敬したと伝えられるので、それなりに古い由緒を持つ神社である。昭和57年に刊行された『大口町史』にはこの白山神社の写真が掲載されており、その写真を見ると、鳥居の奥に瓦葺きの木造連子窓型蕃塀が建っていたことが分かる。しかし、現在はこの写真に見られる木造蕃塀は存在しない。

昭和57年2月大口町史所収写真
 現在、上小口白山神社の鳥居の奥には白色の新しい石造の短塀があり、社殿を覆い隠している。この蕃塀はコンクリート製の基壇の上に建つが、基礎構造以外は全て花崗岩(かこうがん)で造られている。両端に円柱が立ち、最上部に屋根の形に切り出された大きな石材が載っている。石造だが連子窓はちゃんと塀の真ん中に設置されており、向こう側が透けて見えようになっている。見かけ上は木造連子窓型蕃塀と同じ形をしているといえよう。

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 次にいつものように蕃塀の屋根を見てみる。上小口白山神社の場合は、両端部も斜めに三角形の屋根面があり、これは建築用語では寄棟造(よせむねづくり)と呼ばれる屋根の形式である。正木八幡社や矢合三島社のような木造連子窓型蕃塀の屋根は必ず「切妻造」であるのとは対照的である。

 石造連子窓型蕃塀の最大の特徴は、蕃塀の各所に文字や紋様が彫刻されることであろう。表には龍や獅子などの図像が浮き彫りにされているし、背面には「米寿祝 昭和五十五年十二月吉日」などと文字が刻まれている。特に、刻まれた文字によって製作年代・製作者・依頼者・製作の目的など分かる場合が多いため、木造連子窓型蕃塀に比べれば、石造連子窓型蕃塀の方がいろいろなことが明らかになりやすい。

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  最初に触れたように、上小口白山神社の蕃塀は昭和57年に発行された書物の写真には木造の蕃塀が存在したが、どうやら昭和55年12月に新しく石造の蕃塀に作り替えられたようである。神社の施設の中には、特に鳥居が典型的に当てはまるのだが、木造から石造に移り変わる傾向があるようで、蕃塀もそういった大きな流れに合致しているのかもしれない。たまたま、ある別の神社で蕃塀の修理をしていた石工さんに話を聞いたところ、「石の方が長持ちするからねえ」といわれたことがある。つまり、木造の施設は、特に基礎の部分が濡れて腐食が進みやすいのだが、石造はこういったことはまず無いのである。

 蕃塀の半数以上は石造蕃塀であるが、このうちのいくらかは木造から建て替えたものなのだろうと思われる。




  • 蕃塀マニア

  • 蕃塀マニア

  • 愛知県出身。某団体職員。2006年に愛知県豊橋市所在の石巻神社の蕃塀を見て、それが「蕃塀(ばんぺい)」という名前のものであることを知り、それから蕃塀の調査を開始した。