この夏、念願だった仁丹の看板を撮影した。
“念願”と書いたのは、それがリベンジだったことと、手前味噌であるが、全国に残された仁丹看板を貼った屋敷を、これで全て訪ねたことになると思ったからだ。

場所は岡山県のJR金光駅の近く。一回目のチャレンジは、寒風が吹きすさぶ2月。ある情報をもとに山陽本線沿いを探索したが、どうしても見つけ出すことができなかった。

どうやら、クルマで探したことがその敗因みたいだ。迷路のような集落の中に入ってしまうと、路地や一方通行に阻まれて、目標からどんどん離れてしまう。

…ここは、“みちくさ”の原点に帰るべきだと、意を決して再チャレンジしたのがこの夏である。

「車窓から見える」という情報だけでは、金光駅から東側か西側なのか分からないし、南北でさえ不明だ。

同じ失敗を繰り返したくないので、今回は電車と徒歩で探すことにした。新倉敷駅から金光駅を挟んで鴨方駅まで切符を買い、普通電車に乗り込む。車窓から目を皿のようにして流れ行く景色を見ていく。

まずは北側だ。

遠くに見える家屋の壁に目をやっても「仁丹」の二文字は現れない。結局、金光駅を通り過ぎて鴨方駅に着いてしまった。北側じゃないようだ…ホームを渡って上り電車に乗車。今度は南側の風景を見ていく。

ガタゴトと揺れる車両が低速に入り、駅に着くというアナウンスが始まる時、車窓から遥か先の集落に仁丹の特徴的な赤い文字が見えた。

周囲に乗客がいることも構わず「あった!」と、思わず声に出していた。持っていた地図におおよその位置を記して、金光駅で途中下車した。

ギラつく太陽は真上、吹き出る汗を厭わず歩くこと20分。踏切を渡り、用水路に沿って目星をつけた集落を目指す。

入道雲を背景に、目的の仁丹看板が貼られた屋敷は目の前に聳え立っていた(そんな形容がぴったりなのだ)。

…琺瑯看板を見つけることは、砂漠で針を探すようなものだとつくづく思う。今となっては下駄履きで“みちくさ”ついでに見つかるものではなくなった。情報を駆使して、ようやく出遭える必然的なものになっているのは嘆かわしいが、それでも偶然通りかかった旅先の小さな集落で、珠玉のようなお宝に出遭うこともある。

看板探しが楽しいと、素直に思える瞬間だ。

仁丹は琺瑯看板の王者


ほろ苦い、まるで砂をかじっているような味…僕がもつ仁丹のイメージである。

はるか昔、今は亡き祖父さんのあぐらにちょこんと座ると、苦味が効いた仁丹特有のツーンとする匂いがした。あの頃の大人たちはだれもが仁丹を噛んでいた。親父の机の引き出しにもあったし、祖父さんのドテラの袖口にも入っていた。子供心に銀の小粒の仁丹は大人の味がしたものだった。

さて、そんな仁丹であるが、歴史は1905年(明治38)の森下南洋堂の発売まで遡る。登録商標である軍人は1900年(明治33)に梅毒薬「毒滅」の商標であるビスマルク像が図案化、デフォルメされながら現在の大礼服姿になっていったといわれている。

琺瑯看板はたくさんのバージョンがあるが、現在では鉄道沿いに貼られた大型看板と、京都市を中心に残ってる戦前モノの町名表示看板が知られている。大阪市に本社を置く関係上、関西地方に集中的に貼られたようだ。

仁丹の琺瑯看板のおおよその年代を知るには、登録商標の軍人マークを観察するのがよい。ヒゲや服装が年代ごとに微妙に違っており、参考になる。詳細は森下仁丹サイト「森下仁丹歴史博物館」に詳しい。


鉄道系仁丹看板の分布について


鉄道沿いの民家や蔵に貼られた巨大な仁丹看板の分布をみると、特定の鉄道沿いと一定のエリアに貼られた傾向が見えてくる。
JR東海道本線に集中的に貼ったのは、どんな意図があったのか定かではないが、静岡、愛知、岐阜、滋賀、大阪に至る沿線に残っていることを考えると、一日の本数が多い当時の大動脈にポイントを絞ったということが想像できる。

特に岐阜県関ヶ原から滋賀県米原、更に彦根から大津にかけてのJR琵琶湖線(東海道本線)沿線には集中的に貼られた感がある。「仁丹」だけでなく、「リミー」や「仁丹ガム」といった丸型のタイプの看板も残っている。



また、東海道本線以外には、三重県松阪市を中心とした近鉄山田線沿線でも見ることができる。「真珠漬」の看板と競い合うように貼られた形跡が伺える。更に、JR山陽本線沿いでは広島県西広島駅あたりまで貼られたが、現在では兵庫県と岡山県にわずかに残っているだけだ。

現在確認している「仁丹」の二文字が貼られた屋敷は、22箇所である(以下)。関東以北、四国、九州にはないようで、貼られたエリアも限定されているところから、昭和30~40年代の琺瑯看板を使った広告戦略の一端が見えてくる。

さて、その仁丹屋敷、ほとんどは現存しているが、建物の老朽化ともに消えていくのは避けられそうもない。保存などという大それたことはできないが、記録に留めておくことはしたい。
これ以外にご存知でしたらぜひ情報をお寄せいただきたい。
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■発見エリア ※地名は最寄の駅名
 ?JR東海道本線沿線…静岡県熱海、掛川/愛知県刈谷/岐阜県関が原/滋賀県醒ヶ井、米原、彦根、草津、瀬田/大阪府梅田
 ? 近鉄山田線沿線…三重県櫛田、松ヶ崎、稲木
 ?JR山陽本線沿線…兵庫県曽根、上郡/岡山県倉敷、金光
 ※調査期間 2005.2~2010.8現在


  • つちのこ「琺瑯看板」運営
  • 琺瑯看板探険隊が行く
  • 1958年名古屋生まれ。“琺瑯看板がある風景”を求めて彷徨う日々を重ねるうちに、「探検」という言葉が一番マッチすることを確信した。“ひっつきむし”をつけながら雑草を掻き分けて廃屋へ、犬に吼えられながら農家の蔵へ、迫ってくる電車の恐怖におののきながら線路脇へ、まさにこれは「探検」としか言いようがないではないか。