先日当みちくさ学会のライターが集まる「みちくさ総会」というものがありまして 先日当みちくさ学会のライターが集まる「みちくさ総会」というものがありまして、そこで井戸カテゴリ担当の柏崎哲生さんから
「トマソンの由来を書いて下さいよ!」
と言われて気がつきました。
トマソンを担当しているのに「なんで街角にある無用の長物をトマソンと呼ぶようになったのか」について一切説明していないという事に!

 これはいけない、と思いまして今回はなぜトマソン、という言葉が生まれたのか、という事についてのお話をします。柏崎さんありがとう。自分のぼんくらっぷりに乾杯です。ちなみに先だってのサッカーW杯デンマーク代表フォワード、「ゴールの外科医」ことヨン・ダール・トマソン選手とは語源は一切関係ない事はお断りしておきます。


「超芸術トマソン」(ちくま文庫)によって広く世に知られるところとなりました。
 1回目の記事にも書きましたが、「トマソン」という言葉は赤瀬川原平氏が提唱し、著作「超芸術トマソン (ちくま文庫)」によって広く世に知られるところとなりました。

 本の中に説明がありますので、引用してみますと、

 そんなことがわかってから、私は世の中の超芸術(筆者注:超芸術=トマソンの事です)の探査をはじめました。一人の力では及ばず、私の行っている美学校の生徒たちにも協力を呼びかけました。そしてみんなで探査研究をしていきながら、これらの物件にもっと密着した名前がほしいと思いました。
(中略)
 封じられた建造物ということで「封造物」というのも考えました。忘れられた建造物ということで「建忘物」というのも考えました。都市、つまりポリス、そのポリスにおけるインポテンツの部分として「インポリス」なんていうふうにも考えもしましたが、いずれも字余りというか、字足らずというか、なかなかピタリとは収まりにくい。そんなときにふいと浮かんだのが「トマソン」でした。
 そうです。ちょうどそのとき、一九八二年、ジャイアンツの四番バッターの座にいたトマソン選手です。(中略)打席に立ってビュンビュンと空振りをつづけながら、いつまでもいつまでも三振を積み重ねている。そこにはちゃんとしたボディがありながら、世の中の役に立つ機能というものがない。それをジャイアンツではちゃんと金をかけてテイネイに保存している。素晴らしいことです。いや皮肉ではない。真面目な話、これはもう生きた超芸術というほかに解釈のしようがないではありませんか。
〔「超芸術トマソン (ちくま文庫)」赤瀬川原平著 1987年 ISBN4-480-02189-2 より〕


 結構残酷な表現とも思えますが、要約すると
「当時読売巨人軍にトマソンという三振だらけの外国人四番バッターがいたんだけど、その役立たずっぷりは超芸術を体現しているよ!だからトマソンって名前にしたんだよ」
という事です。いやはやなんとも。

 野球に興味のない方には大変申し訳ない話となるのですが、つまりは巨人軍の外国人四番バッターがクロマティやラミレス、ペタジーニだった頃に原爆タイプや高所ドア、純粋階段といった物件が初めて発見されていたとしたら、絶対に「超芸術クロマティ」「超芸術ラミレス」にはなっていないわけです。だって強打者ですから。
 読売巨人軍という、当時絶対的に強かったチーム(注:筆者は横浜ベイスターズファンです、悪しからず)の四番バッター、しかもわざわざアメリカから招聘された人物が、さっぱり役に立たなかった、というその事実が、「超芸術=トマソン」という思考に繋がったわけです。時代の偶然って恐ろしいですね。

 というのが「超芸術トマソン」という名前の由来です。30年近く昔、たった一年だけ読売巨人軍の四番バッターだった選手の名前が今も日本の地で本人とは全く関係ない物の名称としてどことなくキャッチーな響きと共に残っているのって、とんでもなく面白いなぁと思いませんか?





  • 川浪 祐

  • From Basshead For

  • 1975年生まれ。中学生の頃父親の書棚にあった「超芸術トマソン (ちくま文庫)」を読んでしまい、トマソン探しの人生を送るようになる。元々は音楽やフェスの話などをしていたブログも今ではすっかり路上観察一色。。