「同潤会」と聞いてすぐに集合住宅を思い浮かべるのは、私より少し上の世代の皆さんでしょうか。今回ご紹介するのは、同潤会の名が地名として定着している、江戸川区の「同潤会」バス停です。
 新小岩駅から、江戸川区の中南部を縦断するようにして葛西駅へ向かう都営バスに乗ると、鹿骨街道と千葉街道の交差する菅原橋から同潤会通りに入り、中央3丁目、NTT江戸川支店、大杉小学校と過ぎると、次のバス停が同潤会です。

そもそも同潤会とは、関東大震災後の住宅復興を目的として設立された、我が国最初の公的住宅供給財団で、鉄筋コンクリート造集合住宅建築の草分け的な存在として、近代建築史にも大きな足跡を残してきたことで知られています。建物は同潤会アパートと呼ばれ、つい数年前までは都心部のあちこちにその末期の姿を見ることができましたが、現在は台東区の上野下アパートを残すのみとなりました(荒川区の三ノ輪アパートは昨年解体)。平成18年に表参道ヒルズとして生まれ変わった青山アパートなら、目にしたことのある人も多いのではないでしょうか。

しかしながら、同潤会の事業は、集合住宅の建築だけではありませんでした。それ以前、都内各所に木造住宅団地の建設を行っており、今回ご紹介する江戸川区の同潤会バス停付近も、同潤会通りと京葉道路の交差する中央2丁目交差点を中心に、大正末年から昭和初年にかけて、およそ300世帯(店舗含む)の住宅団地が形成されたことから、同潤会の名が地名のように定着してきたものと思われます。


現在も地図で見ると明らかですが、同潤会通りを縦軸、京葉道路を横軸にして、南北約300メートル程にわたり、きれいな格子状の区画割りが見られ、計画的に区画整理の行われた痕跡をはっきりと確認することができます。実際に現地を歩いてみても、周囲に高層マンションなども多い中、この格子状の区画の中だけは月島あたりの路地を見るような趣があり、同潤会当時の建物こそ現存しないものの、街並みには昔ながらの温もりが残されているように感じます。



京葉道路を歩いていると、同潤会病院という看板が目にとまります。私のような散歩者には特異に映る同潤会の名も、この付近では地域に根差した地名のひとつとして、しっかりと住民の暮らしの中に溶け込んでいるのでしょう。