渡良瀬遊水地
今回は関東に戻って東武鉄道の日光線に乗って水門を見に行きましょう。
北千住から電車で約1時間、新古河駅で降ります。あ、そうすると水門が見える前に降りることになってしまうのだった。車窓からの風景として見たい方は、次の柳生駅まで乗り越しちゃってください。進行方向右手に、かなり巨大な構造物が見えるはず。もっとも人間は自分の気になるものが他より大きく見えるらしいので、巨大に見えるのはわたしだけなのかもしれません。

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渡良瀬川の高い堤防を越え、いよいよ河川敷に入ります。目指す水門は、電車から見たときよりもかえって遠くに見える感じ。みごとに距離感が狂ってます。だから歩いても歩いてもなかなか着かない。これはまさしく巨大なものへ向かっている証拠なので、とっても喜ばしいです。

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どーん。水門の真正面に到着しました。ちょっとキミ、カッコよすぎなんじゃないか。これが首都圏を洪水から守る渡良瀬遊水地のメインの排水口、渡良瀬遊水地第一水門です。水門鑑賞に熱中するあまり橋から落ちないように注意しましょう。なにしろこの位置にある橋(柏戸橋)には欄干がありません。いわゆる沈下橋と呼ばれる橋で、渡良瀬遊水地に貯められていた洪水が排水されるときには、流れにどっぷり浸かってしまいます。スムーズに水を流すため、余計な飛び出しのない橋になっているのです。

さて渡良瀬遊水地は、埼玉、茨城、栃木、群馬が県境を接する場所に作られています。面積は何と山手線の内側の半分ほどもあるそうで、一部は貯水池になっているものの、そのほとんどが広大な原野です。渡良瀬遊水地の機能は、大雨が降った時に渡良瀬川の洪水を一時的に貯め込み、本流である利根川の水位が下ってから流すというもので、要するに平地のダムなんですが、誰もダムとは呼びません。別にダムと呼ばれなくても、ちっとも困りませんけど。

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では水門のそばまで行ってみましょう。このコンクリートの護岸をぐっと立ち上がらせれば、何となくダムっぽく見えるなあなどと思ったり。

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横から観察すると、ゲートは単なる平らな面ではないことがわかります。一般に水門は水圧を受け止める方を表側とします。そうするとこちらは裏側です。ふつう水門の裏は補強リブがむき出しで武骨な印象になるのですが、これはリブの上からスキンプレートと呼ばれる鉄板が貼られているので、すっきりしたスタイルになっています。お金かかってます。

渡良瀬遊水地は、昔から平地のダムだったわけではもちろんありません。明治時代、この渡良瀬川上流の足尾銅山が鉱毒を流し、下流一帯の農地が汚染されました。洪水の時に流れて来る鉱毒を沈殿させるために、ひとつの村を丸ごと強制収用して作られたのが渡良瀬遊水地です。そう、もともとここは谷中村という名の普通の農村で、鉱毒公害反対運動の拠点となっていたのだそう。ちょっと〜明治時代!やることがむちゃくちゃじゃないの。

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水門のすぐ近くまで寄ってみましょう。とにかく圧倒されるでかさです。見上げるとそこに巨大な鉄のかたまりが、宙吊りになっています。このど迫力をみんなに伝えたいと、いつも思っていますが、たぶん伝わらない。こればっかりは実際に行って見てもらわないとわからないと思う。

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こちらが表側。このゲートで巨大な水圧を受け止めます。まあなんとすばらしい鉄の壁っぷり。

第一水門、というからには第二水門があるのかというと・・・あります。第三水門まであります。それらはもっと奥まった原野の真ん中に、ぽつねんと立っています。もうここが関東平野のど真ん中であるとは信じられない風景。第一水門の近くはレジャー公園になっていて多少にぎやかですが、第二、第三水門のあたりまで行くと、葦などの植物が生い茂るばかりの本当の原野です。キツネやタヌキなんかも出るそうです。実際、わたしも遊水地のど真ん中でイタチに遭遇したことがありますよ。


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  • 佐藤淳一

  • Das Otterhaus

  • 1963年、宮城県生まれ。水門写真家。最近はカワウソばかり撮っている。高いところと水のそばが得意。近著は「カワウソ」(東京書籍刊)。